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第267号  詩篇121-122篇

2018年の中東情勢を聖書から洞察

終末末期にエルサレムに起こることとして、神の言葉『聖書』がすでに明確に預言していることの成就、すなわち、人類史最後の時代の集大成のときが非常に近づいている…

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。エルサレム、それは、よくまとめられた町として、建てられている。そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。      
詩篇121篇-122篇
 


2017年は国連の反イスラエル決議を皮切りにエルサレムの帰属問題で幕開けし、12月6日のトランプ米大統領のエルサレムをイスラエルの首都と承認する画期的な聖書的声明で幕を閉じようとしています。この問題は引き続き2018年にどのように展開していくのか、世界中の関心を集めていますが、これは諸外国の利害関係、宗教的背景、さまざまな思惑が入り混じって人為的に、あるいは、偶然に起こったことではありません。
見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする …その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。(ゼカリヤ書12:2-3)
異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21:24)
万軍の主はこう仰せられる。『あなたがた(エルサレムの民)に触れる者は、私のひとみに触れる者だ。見よ。わたしは、こぶしを彼ら(エルサレムを略奪した国々)に振り上げる… (ゼカリヤ書2:8-9)

と、終末末期にエルサレムに起こることとして、神の言葉『聖書』がすでに明確に預言していることの成就、すなわち、人類史最後の時代の集大成のときが非常に近づいていることを指し示しているのです。

2017年5月14日に建国七十周年目に入ったイスラエルは、あらゆる分野で目覚ましい発展を遂げ、今日、名実ともに「神の民」として、世界をリードする国家に成長しています。最先端を行く軍事、学術、医科学、工学に加え、イスラエルの無尽蔵の資源、豊富な農産物は、略奪を目的とした「ゴグ・マゴグの侵略戦争」(エゼキエル書38、39章)がいつ起こってもおかしくない時代に突入しています(「一人で学べるゼカリヤ書」、「一人で学べるルカの福音書」、「一人で学べるエゼキエル書」ほか、一人で学べる聖書シリーズ参照)。2017年はイスラエルにとって、様々な分野で神の祝福の約束を新たに実感する年となりました。

イスラエルのワインが、聖書が語っているように、世界一の品質であることが認められたことはその一つでした。ヨーロッパでは熱波のため、米国ではカリフォルニア州の山火事のため、世界的にワイン生産量が歴史的に低水準に落ち込んだ今年、例外的にイスラエルのぶどう園はどこもワイン樽が不足するほどの大豊作で、多くのキリスト者ボランティアの援助によって、満ちあふれるぶどうが収穫されたのでした。
まさにヨエル書2章の預言をほうふつとさせる祝福で、数ある作物の中でもぶどうの生産は「イスラエルへの神の祝福」の指標とみなされています。11月にチェコ共和国で開かれたヨーロッパの聖礼典用のワインコンクールで、このイスラエルの適正食品としてのワインが、一位を獲得したのです。


作物の実りだけでなく、ユダヤ系イスラエル人の出生率が、今年初めてアラブ系イスラエル人の出生率を上回ったことが11月に報道されました。イスラエルのユダヤ人が少数派になるとの長期予測をくつがえす統計結果、アラブ系イスラエル人女性の平均出産数が3.11人と下降傾向に対し、ユダヤ系イスラエル人女性は3.16人と上昇傾向にある実情は、現在、アラブ系人口が百八十二万四千人に対し、ユダヤ系が六百五十二万三千人のイスラエルで、今後この傾向が続くことが期待されています。
イスラエルの出生率は、サウジアラビア、クゥエート、シリアなどほとんどのアラブ諸国よりも高く、2000年には平均出産数が5人だったパレスチナ管轄区のアラブ人も2016年にはほぼ3人に減少しており、神のアブラハム、イサク(後に、ヤコブも含め)、―イスラエルの族長― への約束
わたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。(創世記26:4)

が、思い起こされるのです。この預言はイスラエルのメシヤ、イエス・キリストの来臨によって完全に成就することになりますが、昨今の全世界からのユダヤ人のイスラエルへの移民は、ロシア、ウクライナ、モルドバ、フランス、英国、ドイツ、オランダ、ベルギー、アルゼンチンからさらに期待でき、預言の成就に向かって、着実に進んでいることを示しています。

12月21日のハヌカの祭りには、かつてソロモンの神殿で行われていた香壇で香を焚く行事が二千年を経て初めて再現されました。聖書の指示に従って、ケハテ族の系図に連なるラビ、バルーク・カハンが大祭司の役割を担い、特別に調合された香油の煙る香りが点火とともに辺り一面に充満したとき、ユダヤ人に対する預言
わたしがあなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々から、あなたがたを集めるとき、わたしは、あなたがたをなだめのかおりとして喜んで受け入れる。わたしは、諸国の民が見ている前で、あなたがたのうちに、わたしの聖なることを示す。(エゼキエル書20:41、下線付加)

の御言葉が思い起こさせられた象徴的な出来事となったのでした。

昨今、世界のどこにもめったに起こらないのに、北イスラエルの海岸沖にサメの大群がよく出没するようになっており、ラビたちは、魚の尋常でない動きはゴグ・マゴグの戦いの前兆、メシヤの時代到来のしるしと受けとめています。科学者たちは、タービンを冷却するため海水を利用し、暖かくなった水を海に排出しているハデラ発電所に、サメが引き寄せられていると理由づけしていますが、地中海全体ではサメの数が減少しているのに、イスラエル沖ではその出没数が増加しており、その海域への接近が警告されています。

イスラエルに起こっている現象だけでなく、世界的な諸々の現象から、メシヤの時代が確実に近づいていることは間違いありませんが、冒頭に引用した詩篇121-122篇は、イスラエルの首都「エルサレム」をどのように取り扱うかに諸国民の未来の行く末、―繁栄か没落か―、が掛かっていることを明確に記している預言です。そこには、「神ヤーウェの都、エルサレムを愛する人々の繁栄」が約束されているのです。12月に、中東危機を招いたとしてパレスチナとアラブ世界に反発が広がっているエルサレムの帰属問題の発端は、トランプ大統領の「エルサレムをイスラエルの首都と認定する」声明でした。

エルサレムとユダヤ人との歴史的関係を無縁とする国連の反イスラエル姿勢に対して、聖書を信じるトランプ大統領が、12月6日に発表したエルサレムを首都と認定する声明に対し、国連安全保障理事会は、12月18日、エルサレム首都認定の撤回を求める決議案を十四箇国の賛成で採決しました。しかし、米国が拒否権を行使して否決したため、決議案採決は廃案となりましたが、アラブ諸国の要請によって、決議案採決が12月22日の国連総会に持ち込まれました。その結果は、決議に控訴力はないとはいえ、128箇国の賛成、米国とイスラエルを含む9箇国が反対、棄権が35箇国で、首都認定撤回決議案が採決されました。

マスコミは、トランプ大統領が中東和平に大きな亀裂をもたらしたと報じ、パレスチナ自治政府は、米国はもはや中東和平の仲介役を放棄したとみなしていますが、果たして聖書はどのようなシナリオを描いているのでしょうか。冒頭にあげた詩篇は120篇から134篇までの十五の詩篇で構成されている「都上りの歌」と名づけられている詩篇の最初の三篇、―祈りの部分― のうちの二篇です。この最初の祈りの部分は、苦悩の叫びの120篇、主への信頼の121篇、救い、祝福、平和の約束の122篇の三篇で成っています。
ユダヤ人の苦しみの叫び、神への訴えで始まった120篇に続き、苦悩から神へのゆるぎない信頼へと移っていく過程を描いた121篇、明るい未来を待望する預言「ダビデの詩篇」の導入で、ユダヤ人の究極的な解放が眺望された122篇の三篇による構成は134篇まで同じパタン、三篇ずつのくり返しで続き、巡礼の最終目標、―地上にメシヤの御国の樹立― に向かって高まっていきます。122篇はユダヤ人の足が平和に包まれたエルサレムの門に立ち、諸国民の心が一つにされたエルサレムが描かれています。

この「都上りの歌」から洞察できる預言的眺望を来月も吟味することにしましょう。


NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS

今月、フルダミニストリーでは、フィリピンで開拓伝道に専心しているメアリー・ジェーン姉妹

*******を、宣教支援金として送金しました。貧困家庭の子女をはじめアエタ、デュマガットなど少数派部族と僻地宣教、生活支援、彼女の伝道所と有機農園、畜産での奉仕者への賃金と維持費のための支援です。姉妹は過労のため、ひどく身体を損ないながら、宣教に従事していますので、主の憐みと癒しをお祈りください。



#267: SEASON TO OFFER GIFTS AND CARE TO THE NEEDY

SEASON TO OFFER GIFTS AND CARE TO THE NEEDY

The passage of Isaiah 58 tells us the best way to spread light over the suffering nations and world. It is by caring for those who are in need, neglected, disadvantaged, oppressed, poor and weak. ...

‘Is not this the kind of fasting I have chosen: to loose the chains of injustice and untie the cords of the yoke, to set the oppressed free and break every yoke? Is it not to share your food with the hungry and to provide the poor wanderer with shelter – when you see the naked, to clothe them, and not to turn away from your own flesh and blood? Then your light will break forth like the dawn, and your healing will quickly appear; then your righteousness will go before you, and the glory of the LORD will be your rear guard. Then you will call, and the LORD will answer; you will cry for help, and he will say: here am I. ‘If you do away with the yoke of oppression, with the pointing finger and malicious talk, and if you spend yourselves on behalf of the hungry and satisfy the needs of the oppressed, then your light will rise in the darkness, and your night will become like the noonday.
The LORD will guide you always; he will satisfy your needs in a sun-scorched land and will strengthen your frame. You will be like a well-watered garden, like a spring whose waters never fail.
Your people will rebuild the ancient ruins and will raise up the age-old foundations; you will be called Repairer of Broken Walls, Restorer of Streets with Dwellings. ‘If you keep your feet from breaking the Sabbath and from doing as you please on my holy day, if you call the Sabbath a delight and the LORD’s holy day honourable, and if you honour it by not going your own way and not doing as you please or speaking idle words, then you will find your joy in the LORD, and I will cause you to ride in triumph on the heights of the land and to feast on the inheritance of your father Jacob.’ For the mouth of the LORD has spoken.              ISAIAH 58:6-14.

God’s powerful voice came upon the prophet Isaiah like a trumpet blast to declare His Word to His rebellious and hypocritic people who pretended to be religious but not:
For day after day they seek me out; they seem eager to know my ways, as if they were a nation that does what is right and has not forsaken the commands of its God. …seem eager for God to come near them. …Yet on the day of your fasting, you do as you please and exploit all your workers. Your fasting ends in quarrelling and strife, and in striking each other with wicked fists. You cannot fast as you do today and expect your voice to be heard on high (58:2-5).

In the passage quoted at the beginning, God appeals for the outward evidence of genuine righteousness from the Israelites who were superficially engaging in self-imposed false fasting. If only they would identify themselves with the hungry and naked, and mind them like their own, God would reveal His bright plan of real peace for them. If they repent and return to Him, their community ‘will be like a well-watered garden… sorrow no more’ (Je.31:12). In the end God made it clear that real joy in life lies solely in doing His will and not our own.

Jewish people celebrate the holiday of Hanukkah on 13th Dec. this year, which lasts for eight days from 25th of the Kislev to 2nd of the Tevet. They commemorate the military victory of the Maccabees over the Syrians and their king, Antiochus Epiphanes in 168 BCE and also the miracle of the oil for the menorah in the Temple. It is said that after the victory, the Maccabees found only one cruse of consecrated oil, enough to burn for one day only. Nevertheless the oil miraculously lasted eight days, allowing enough time for more consecrated oil to be produced through decreed procedures by the law.
The significance of this feast lies more in the latter miracle, that is, what happened after the miraculous victory. The miracle of the oil enabled the Jewish people to purify and rededicate the holy Temple and this signified their spiritual survival, removing all pagan influence from their three year occupation and desecration of the Temple and spread the light of holiness.

The passage of Isaiah 58 tells us the best way to spread light over the suffering nations and world. It is by caring for those who are in need, neglected, disadvantaged, oppressed, poor and weak. Whenever we offer our compassion to the needy and share what we have with them without stint, our light shines in the darkness. 

Today, there are 1.7 million Israeli citizens living under the poverty line, along with 800,000 children. This fact often goes unseen from public view. According to an article, in Israel there are five restaurant-style soup kitchens located throughout the country, where a meal is provided daily by a charity organization, “Meir Panim” and hundreds of impoverished Israeli citizens living in Jerusalem are coming for their only meal for the day. What is witnessed in “Meir Panim” where everyone who walks through their doors are being fed with care and dignity appears to reflect a genuine spirit of the feast Hanukkah.

The project of redeeming Jerusalem through righteousness as an enforcement of the vision of Isaiah seems to be put into practice by the patrons’ and volunteers’ faithfulness to the Word: ‘The difference between what we do and a standard soup kitchen is that Meir Panim patrons walk in and sit down at a table. They are served their hot meal with a smile, just like one would be served in a restaurant. Except, their meal is free’(the meaning behind Meir Panim’s soup kitchens).

In the same way, can I encourage you all to reach out to the needy in this coming year and spread the light of Jesus in this dark world?




Yさんの証し その24

待ちに待った喜びの一報

11月5日(日)

Ministry Letter と執り成しの祈りをありがとうございました。
金曜日の11月3日にようやく初出勤の詳細・指示が出ました。感謝申し上げます。

明日月曜からの出勤に備え、昨日はLiberal Judaism (自由主義のユダヤ教)の集会で、今日は教区教会で祈りを捧げました。
Mary Janeのこと、健康・日常生活に問題を抱える主にある兄弟姉妹のこと、自分の精神状態のこと等々、世の中の課題は山積ですが、主の知恵を仰ぎながら、皆さんのお祈りを胸に恬淡と向き合ってまいります。

この三ヶ月、CPFTのHigh Intensity Psycho-CounsellingとChaplaincy Services(集中的、高頻度で心理学的カウンセリングと牧会カウンセリング)にお世話になり、自分の信仰上の問題にも向き合う時間をいただきました。
主の恩寵にすがりきれていなかった自分を何度も見つめ直しました。

最近、日本に四年ほど研究職として暮らしていた英国人の友人が、遠藤周作の「沈黙」(マーティン・スコセッシ監督2017映画)に関する記事を添付してくれました。

主はマタイの福音書の24章で終末の兆候について語られましたが、「しかし耐え忍ぶものは救われる」という言葉を、私は全く理解していなかったのだと痛感しました。そして、主イエスを裏切ってしまったペテロとユダ二人の運命を分けたのも、主の恩寵の赦しに完全に身を委ねることができたか否かの一点だけだったのかもしれないと、考えさせられました。
それには考えられる理由が当然ある。棄教者は基督教教会にとっては腐った林檎であり、語りたくない存在だからだ。臭いものには蓋をせねばならぬ。彼等の棄教の動機、その心理、その後の生き方はこうして教会にとって関心の外になり、それを受けた切支丹学者たちにとっても研究の対象とはならなくなったのである。(中略) こうして弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。沈黙の灰のなかに埋められた。だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみにたいして小説家である私は無関心ではいられなかった。彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。  ―遠藤周作『切支丹の里』1974年―

皆さまの上に主の祝福と御守りが豊かにありますように。

12月3日(日)

新しい職場での一ヶ月

月報をお送りくださり、ありがとうございました。
皆さまのお祈りと主のお守りで、無事11月を新しい職場で過ごすことができました。

仕事初日に、面接官の一人であり、直属の上司でもある方に、思いがけない出来事を知らされました。
上司は私の出願書類を見るなり、「この人がわがチームで働くことになるだろう」と直感したそうです。それを不思議に思っていたところ、面接の前日に、「私の夢」を見たのだといいます。普段からそういった偶然や論理的でないことには全く振り回されない上司にとって、それはそれは奇妙な体験だったそうです。
すべての面接が終わって結果が出た後の話では、面接に来る途中で私を見かけた他の同僚も全く同じことを直感したといいます。

人知を超えた主のご意向

今回の就職に、人知を超えた主のご意向が働いていることを知り、畏怖の心持ちでおります。主の御旨を伺いながら、主がこの仕事を通して私に何を望まれているのかを学び、一つずつ実行してまいりたいと思います。
今後とも聖書を通してのご指南、執り成しのお祈りを賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

ロンドンにお立ち寄りの際には是非ご連絡ください。職場は駅から5分で、私は月曜から金曜の朝7時30分から16時頃まで働いています。

皆様の上に主イエスキリストの祝福とお守りが豊かに注がれますように。


Y




Yさんの証し その23

執り成しの祈りをお願いいたします!

10月20日(金)  

B図書館の面接から一ヶ月が経ちました。

9月27日に先方から必要書類が書留で着いたとのメールが届き、二、三週間ほどDBS(身元調査に時間がかかることがある、と書かれていました。

その後、オンライン上で追跡したところ、10月3日にDBSが完了し、郵送に最長五日かかるとありました。
ところが音沙汰がないので、10日に追跡の連絡をB図書館にしたところ、三週間経つまで待つようにとの指示が出たので待ち、18日にもう一度追跡をしました。
オンライン上の追跡システムのディスプレー上の画像データも添付して、連絡を取りましたが、それっきり返事がありません。

Offer(採用通知)をもらってから、明日で一ヶ月になります。
不安になってはいけないと思いながら、心のどこかで、「ひょっとして、主はまた私を試そうとしておられるのか」、「また今回もサタンに担がれただけなのか」とざわめき立つ不安を抑えるのに必死です。
どうか信仰の弱い私をお守りください。
執り成しの祈りに感謝申し上げます。

10月22日(日)

執り成しの祈り、心から感謝申し上げます。

10月13日の昼に、真っ赤な月が空に浮かんでいるのを見てしまい、黙示録6:12-14を彷彿とさせるような、何かひと悶着ありそうな予感がしていました。
私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして…天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。

これもまた、私を主からなんとしてでも引き離そうとするサタンのあがきなのでしょう。
下手をすると主に疑いを向けるような心理状態におかれるかもしれません。
とりあえず月曜日に再追跡のメールを出して、先方の出方を待つことにいたします。

また、現にサタンの嫌がらせにさらされている他の主にある兄弟姉妹のためにも、重ねて祈ります。
主が試練の期間を縮め、持ちこたえられるようご介入くださることを切に願い、祈ります。

10月27日(金)

励ましのメールをありがとうございました。

Mary Janeさんをはじめ皆さんが死活問題に直面し、必死に打開策を祈り求めておられる様子に頭を抱えてしまいました。以前ご教示いただいたハバクク書を思い浮かべ、主が働いておられることを信じて祈ります。

先日、以前の会社の日本人同僚の方の家を訪問しました。すでに英国に三十年以上住んでおられる方ですが、身体の動くうちに日本に帰国するつもりでおらるそうです。聖歌隊で長年歌っておられますが、キリスト信仰者ではなく、宗教全般に非常に強い嫌悪感を抱いておられる印象を受けました。

キリストの贖いの死についての知識も十分ある方ですが、「なぜあのように残酷なキリストの架刑姿(流血)を教会に飾るのか」と聞かれました。

【プロテスタント教会では、死から甦りのキリストを象徴する木の十字架だけを仰ぎますから、教会堂にキリストの架刑姿が飾られることはありません。ヘブル語(旧約)聖書が明記しているように、木にかけられたものは呪いだからです。

その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである…(申命記21:23)

キリストによる救いの逆説は、「罪人の代わりに呪いとなって死んでくださり、新しいいのちに甦り、キリストによる救いを信じる罪人に永遠のいのちを保障してくださった神」の救いの奥義を理解しないかぎり、この世の知恵では解明できないのです。
「ヨシェルの会」 第7回、第35回をお訪ねください!】

かつてご教示いただいた旧約聖書の雛形の数々を思い出しながら、民数記21:5-21:9の「青銅の蛇」の出来事を慎重に話しました。
彼女にとっては、「主にはむかった民に燃える蛇をおくり、蛇に反逆の民が噛まれて死んでしまう」ということが非常に暴君的で理解できない、ということでした。私が通っていたSussex(サセックス州)の教会の年配女性も、贖いのために二頭のヤギをいけにえにする(レビ記16章)という行為が受け入れられないといわれました。)二人ともに、憐みの主がこのようなことをするのが信じられない、ということのようです。

日英両訳の聖書が我が家にあるので、いかがですかと申し上げたところ、「読みたい本がたくさんあるし、それと聖書を天秤にかけると、聖書でないほうを優先したい」と言われました。最後にもう一度だけ、「気が向いたときには、いつでもお申しつけください」とだけ念を押しました。

彼女が日本に帰る前に、聖書を手に取られるように、彼女に主の御言葉が届くようにと、祈っています。
主が、新たな職場を通して、私にさまざまな出会いと、キリストの福音を正しく的確に伝える知恵と勇気を授けてくださいますようにと、祈ります。


Y


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Yさんの証し その22

2017年5月から12月にかけてのYさんの証し その22~24

5月25日(木)

お返事が遅くなり大変申し訳ございませんでした。
5月15日付で、健康を理由に解雇となりました。その後、突然の激しいめまいに断続的に三日間見舞われ、今日の午後は寝たきりになってしまったので、外出時は夫に付き添ってもらわなければなりませんでした。

間一髪、聖書に守られて!

去る日曜日、恐ろしいことが起こりました。
突然車が突っ込んできたことに気づかず、危うく息子もろとも轢かれそうになったのです。でも、間一髪で免れました。
その日、鬱の改善に近くの自然保道を家族で歩こうと、出かける途中のことでした。主の聖日(日曜日)なので、木陰で休むとき三人で読もうと、ちょうど聖書をリュックに入れていました。一瞬の悪夢は、この聖書に守られたとしか考えられないような出来事で、私はただ主に感謝しました。

散策の途中一休みし、夫がヨハネの福音書(15章1-11節)を読んでくれました。引き続く鬱の治療と今後の再就職活動に対し、漠然とした不安をぬぐえない弱い私を、主が憐れんでくださり、励ましてくださったのでしょうか、この箇所に心底力づけられました。

証しの掲載(「Yさんの証し その18~21」までの掲載部分)をありがとうございました。同じような状況にあるどなたかの励ましになればとても嬉しいです。

6月4日(日)

月報をありがとうございました。お祈り、ご助言に心から感謝申し上げます。
体調を見ながら、不可解な症状が続く場合は即GPに精密検査の依頼をいたしたいと思います。貴重なご助言、ありがとうございました。

D市の旧友のご主人(ユダヤ人)が、車椅子での生活を余儀なくされることになりました。
この十二年間、周りの友人のほとんどに打ち明けることもなく、腰の不調を抱えながら仕事にまい進されていたのですが、ついに自分で歩くこともままならなくなってしまったのです。
Face Bookには「…この十二年間、ありとあらゆることを試してみましたがすべて効果がなく、ついに車椅子のお世話になることになりました …だから、たとえ善意からであっても『この治療法を試してみたら?』といった書き込みはもうたくさんです…」といった趣旨の告白に、“Don't worry, I'm taking it well, life is still beautiful.(心配しないでください。よく分かっています。人生はまだ美しい)”と、添えられていました。

主ご自身が宣言しておられるので、私は主の癒しの力を疑いませんが、私たちが目の当たりにしている現実は、得体のしれない病苦と葛藤の日々を送っておられる方々が非常に多いということです。
…わたしは主、あなたをいやす者である。‘...For I am the LORD your healer/who heals (רֹפְאֶֽךָ)’ 出エジプト記 15:26


祈りながら、以前お話に出たMezuzah(メズーザー)、―羊皮紙に申命記の一部がヘブル語で書かれた小さな巻物で、律法に従って、ユダヤ人家庭の出入口の柱に埋め込まれた― にまつわる‘Talmud(タルムード)’の逸話を思い出しました。
主の御言葉がこの世のどんな宝よりも尊いものであり、心から信じるときに初めて、その言葉の真の力が、信じる者の上に発揮されることがこのTalmudから伝わってきます。

そのことを踏まえた上で、コリント人への手紙第二12:9-10のキリストの御言葉「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである…なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」を読み返すと非常に意義深く、病気や怪我、障害に悩まされ続ける私たちに大きな慰めと勇気を下さる御言葉として常に覚えていたいと思っています。

今日はPentecost(ペンテコステ、五旬節)です。ヨシェルの会「キリスト教会誕生」を聞き直しています。
鬱の治療と並行して、私自身、形式にとらわれない「家の教会クァハール・祈りの集い」をどのように実現していくことができるのか、また、主のお導きを通して、日本人、ユダヤ人の友人たちにも我が家に来ていただき、気軽に聖書を手に取って、話しあえるような機会(雑談・お茶会)を設けられたらと、あれこれ考えています。

日本は梅雨入り間近、どうぞご自愛下さいませ。
主イエス・キリストの祝福とお守りが豊かにありますように。

10月5日(木)

今日10月5日はSukkot(仮庵の祭り)でした。
月報をありがとうございました。お便りをお出ししたいと思いながら、波のよう次々と変化が押し寄せてきて、9月中にお便りできず、申し訳ございませんでした。

ユダヤ暦5778年の始まり

まずは9月21-22日、Rosh Hashanah (新年祭)、ユダヤ歴5778年が始まりました。
5月14日はイスラエル国誕生七十年目を迎える節目の年なので、主の御旨通りに世界情勢も大きく働くのではないかと希望を持ちつつ、気を引き締めたいと思っております。
今年のYom Kippur(贖罪の日)は私自身の誕生日と重なり、悔い改めをするのに非常に良い機会となりました。なぜかYom Kippurと主の再臨が密接に感じられてなりません。

大図書館からの採用通知!

去る9月20日にB図書館のアジア部門職の採用試験を受け、条件付き採用をいただきました。主に心から感謝いたします。
現在、DBS(身元調査)中で、出願時に鬱についても公表していたので、健康診断書の提出を求められる可能性もあると思います。この二点を通過すると本採用通知となります。主が私を常に正しい道へお導きくださいますように、この仕事を通して、主の御業を周囲の方々に伝えられますようにと、お祈りしています。

召天されたE姉妹の深い洞察「あなたは美しい!」

昨日4日は、教会の友人の葬儀に参列いたしました。
Eさんは六十代の女性で、交通事故で足腰に不自由があり、多くの健康問題を抱えておられました。非常に愛のある方で、以前、街中で彼女を見かけたとき、BigIssue(ビッグイシュー:ホームレスの社会復帰に貢献することを目指す企業が英国を発祥に世界で販売しているストリート新聞)を売っておられたHomeless(ホームレス)の人たちに気さくに声を掛け、別れ際に細い身体で大きなHug(抱擁)をしておられました。

鬱で、教会の礼拝に参列できたりできなかったりしていた私をいつも気遣って下さり、よく「祈っているからね」と帰りがけにお声をかけてくださいました。鬱と自己嫌悪で心が押しつぶされそうだったある日曜日、彼女がしっかりと私を見つめて、「貴女は美しい」とおっしゃいました。
瞬時に、それは私の外見のことではなく、「不完全な人間の私の中にも存在する、神の似姿としての美しい一面」を彼女が見て取られたのだ、と感じました。姿形こそ違え、すべての人間の中に存在する神の似姿を、慈愛のある人は一人ひとりの中に見出だすのだと、心が打ち震えました。

彼女が亡くなる三日前の日曜日、奇しくも彼女はこの言葉をもう一度私に残しました。
そしてしっかり二人でHugをして別れました。これが私と彼女の最期の会話になりました。
わけもなく自己嫌悪にさいなまれそうになるたびに、Eさんの言葉と慈愛を思い返しています。

日本も随分秋めいてきた頃でしょうか。どうぞご自愛ください。
主の慈愛と祝福が皆さまの上に豊かにありますように。

Y


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第266号  テモテ第二3章、ルカの福音書8:16-17

相次ぐ『聖書』を立証する発見

異なった分野、『科学、―特に、宇宙論と量子力学の領域において―』と『モーセ五書』の融合の時代から、『人類学』と『モーセ五書』融合の時代へと発展・・・今日は、科学が聖書を裏づける時代

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。…確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 テモテ第二3章
明かりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。 ルカの福音書8:16-17



主流メディア十数社が歓喜して、「DNA研究結果、聖書に反証を挙げる:聖書のカナン人の記述は誤りであることを科学が証明」と報道する出来事がありました。
しかし、その「すっぱ抜き」自体がいかさまであったことが明らかになったことにより、多くが即座に撤回、訂正に応じた中で、撤回を余儀なくされた社もあったようです。
神を否認し、真理の書『聖書』に反証を挙げることに狂喜するこの世の傾向を垣間見させたこの出来事の発端は、今年7月27日に、科学誌が「現代レバノン人は古代カナン人の遺伝学上の子孫である:レバノンのシドンで発見された二つの頭蓋骨から抽出されたDNAを用いた研究の結果、イスラエルの地からレバノンへのカナン人の移住がたどれた。この発見は、神がイスラエル人に異邦の民を破壊せよと命じたという記述が誤っていることを示すものと結論づけられる」と報じたことにありました。
主流メディアは直ちにこの話に飛びつき、「カナン人は聖絶(神が命じられた根絶)されたとの聖書の提言、反駁される」、「聖書は間違っている:神が聖絶を命じられた文明社会、まだ元気で生き生きしている」、「新DNA研究、聖書の主張に疑問を投げかける」等々、勝ち誇ったように報道したようですが、報道者たちは聖書を調べもしないで、日ごろから抱いている偏見をそのまま記事にしてしまったようです。

イスラエルのメディアBINはすぐにその反聖書的主張の真意を調査し、聖書自体とラビの助言から、反宗教的メディアの偏見を暴いただけでなく、むしろ、歴史書として聖書がいかに正しいかを立証することになったのです。聖書は、イスラエル人がカナン人を神が命じられたように聖絶することができず、条件つきで共存が許された町々があったことを至る所で語っており、したがって、「DNAは聖書を確証」が見出しになるべきだったのです。
あなたの神、主の相続地として与えようとしておられる次の国々の民の町では…必ず聖絶しなければならない…その神々に行っていたすべての忌みきらうべきことをするようにあなたがたに教え…主に対して罪を犯すことのないためである。(申命記20:16-18)
マナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。(ヨシュア記7:12)
イスラエルは、強くなってから、カナン人を苦役に服させたが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。(士師記1:28)
等々。

旧新約全聖書の主張は一貫していて、歴史的、科学的、文化的に叙述の正しさは、今日、考古学や医科学、最新工学による分析で、ますます実証されてきています。世の終わりには、悪も善も真理も隠されていたものすべてがだれの目にも明らかにされるというのが聖書の主張、神の御旨だからです。


創世記30-31章には、当時中東では圧倒的大多数であった白い羊ではなく、ぶち毛、まだら毛のまれな種類の羊を神が族長ヤコブの所有として与えられ、ヤコブが多くの羊を連れて故郷カナンの地に帰ったことが記されています。北イスラエル原産のこの珍しい種の羊は聖書の時代以降イスラエルから姿を消していたのですが、数年前、カナダに存在することが分かり、カナダの所有者の強い願望と努力で、お役所的、実際的な多くの障害を乗り越えて、昨2016年、119頭がイスラエルに輸出されました。ぶち毛の羊の群れはイスラエル内外の聖書を信じる多くの人たちの声援で、至難を経て何十世紀ぶりに現地に戻ることができたのですが、しかし、まだ大きな試練が待ち構えていました。
今年7月、その多くが、輸入畜産物では死亡率90%のブルータング病(反芻動物に感染するウイルス病)にかかり、48頭が死亡し、群れは当初の半分近くになってしまったのです。ただ、その一箇月前に生まれたばかりの、通常病気に一番感染しやすい子羊たちは全部守られるという驚くべき神の憐みも見られたのでした。
関係者は「ときには、悲しみ苦しみを通して喜ばしい祝福がもたらされる、これが神の道」と、試練を振り返り、48頭の死が無駄にはならず、祝福に変えられたことを次のように話しました。ユニークなことにこれらヤコブの羊の雄には通常の二本ではなく四本も角がありますが、死んだ雄羊の角がすべて、ショファー(角笛)を作るために用いられたのです。三十四本の角は各々$500(¥55,000)で、即日完売したのでした。


今日、「旧約のイスラエルは新約の時代の教会に置き換えられた」という非聖書的な置換神学を信奉する神学の教会は神の契約の民イスラエルではなく、政治的にパレスナを支援していますが、ラビたちをはじめ、聖書を正しく解釈するキリスト者は、エルサレムや中東の昨今の動きを聖書の預言に基づいて、メシヤの時代の近づきとして捉えています。
イザヤは
その日…イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。その日、大きな角笛が鳴り渡り…エルサレムの聖なる山で、主を礼拝する。(イザヤ書27:12-13)
と預言しましたが、正真正銘のヤコブの群れの雄羊の角が備えられた今、メシヤの来臨ははるかに近づいたといえるのです。


8月14日、凍てついたグリーンランド大陸で先例のない山火事のニュースが報道されましたが、すでに聖書が
雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。建国以来エジプトの国中どこにもそのようなことのなかった、きわめて激しいものであった。(出エジプト記9:24)
と語っている珍しい出来事を思い起こさせる現象でした。

夏でも大陸の90%が3.2㎞もの氷におおわれている国で、7月の終わりに衛星が捉えた熱画像が大火事を警告したにもかかわらず、科学者たちはそれをデータの間違いと軽くみなし、上空を飛んだ小飛行機のパイロットが火災を発見するまで、だれも異常を認識しなかったのでした。
部分的に腐敗した有機物の蓄積である、炭素含有量の多い泥炭は植物中でより、炭素中でよく燃え、風によって運ばれる黒い炭素が、太陽の赤外線エネルギーを吸収することによって氷をはるかに速く溶かすため、冬の新雪が降り始める時期にならない限り、いったん起こった火事を消す手立てがないということでした。
ただ火災地が近隣の町から150㎞ほど離れた遠隔地ということで、人身には災いが及ばなかったようですが、近年の衛星データは、2015年以降、この類の火災の劇的増加を示しているのです。極寒のグリーンランドで、対照的な要素「火」と「氷」の不可解な混合物が燃え続け、制御できず、生態系に荒廃をもたらす超自然現象の相次ぐ再来は、神が送られたしるしとみなすことができるかもしれません。


相反する要素の混合は、
あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。(レビ記19:19)
…あなたが蒔いた種、ぶどう畑の収穫が、みな汚れたものとならないために。(申命記)
と明らかに聖書が警告している現象ですが、今年6月18日にも、同じような別の破壊的な出来事が報道されました。大きな地滑りがグリーンランドのフィヨルドに沈み込み、北西海岸沿いに津波が発生し、人口約百人のウマナック村の十分の一にも及ぶ十一家屋が完全に崩壊、海に流され、人々が重軽傷を負い、行方不明者も出る災害に発展したのでした。


また構成分の違う海水同士は混ざり合わないというユニークな現象が、アラスカ湾の太平洋と大西洋とが出会う地点で見られることが今年発表されましたが、鉄分の多い海水と粘土質の混合の海水とは混ざることなく、海上にくっきりと分岐線が生じているのです。
ヘブル語(旧約)聖書には、この現象にヒントを与える興味深い言葉が記されています。イスラエルの預言者ダニエルは、捕囚先のバビロンでネブカデネザル王が見た巨像のビジョンの足の部分が鉄と粘土とで構成されていることを
あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです…その国は一部は強く、一部はもろいでしょう…しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。(ダニエル書2:41-43、下線付加)
と、説明しましたが、神が造られた自然界はまさにこの原則を守っているのです。


世の終わりには真理が明らかになることを聖書は明言していますが、昨今、科学と聖書という異分野の合同研究で、真理の書『聖書』を立証する発見が相次いでいることは、キリストの再臨が非常に近づいていることのまた別のしるしともいえます。
過去五十年間、特に宇宙論と量子力学の分野で、科学とモーセ五書とが非常に緊密に関連づけられてきましたが、さらに人類学とモーセ五書とが結びつけられてきているようです。

最新の遺伝子研究は、長い間、独占してきた地域仮説ではなく、人類のすべての女性が一人の女性から、また、すべての男性が一人の男性から派生したこと、すなわち、全人類の祖先が共通であることを示唆し、聖書のアダムとエバの話を裏づけています。母方からのみ伝えられるミトコンドリアDNAで母体系統をたどると、ミトコンドリア・エバに至るという説が1987年以来、科学学会では一般に受け入れられるようになっています。
他方で、男性に受け継がれるY染色体をさかのぼることで、Y染色体・アダムが1995年に見つけられ、今日では、ミトコンドリア・エバとY染色体・アダムがほぼ同じ時期に生存したことも明らかになっています。
このように、聖書の記述を科学が立証する時代、イスラエルでは、最新遺伝学によって古代イスラエルの祭司の血筋ケハテ族とみなされた者たちが、来るべきメシヤの時代、祭司としてエルサレム神殿で奉仕に当たるため、備えられているのです。


#266: LOTS OF BIBLICAL QUOTATIONS EVEN FROM DEMONIC DEVICES

LOTS OF BIBLICAL QUOTATIONS EVEN FROM DEMONIC DEVICES

The New Age movement currently seems to be hidden in plain sight but is being revealed as the subjective feelings- and experientially-oriented movement in the name of new revelation/new spirituality/new worldview/New World Religion.

From Miletus, Paul sent to Ephesus for the elders of the church. When they arrived, he said to them: ‘You know how I lived the whole time I was with you, from the first day I came into the province of Asia. I served the Lord with great humility and with tears and in the midst of severe testing by the plots of my Jewish opponents. You know that I have not hesitated to preach anything that would be helpful to you but have taught you publicly and from house to house. I have declared to both Jews and Greeks that they must turn to God in repentance and have faith in our Lord Jesus. ...
However, I consider my life worth nothing to me; my only aim is to finish the race and complete the task the Lord Jesus has given me – the task of testifying to the good news of God’s grace. … For I have not hesitated to proclaim to you the whole will of God. Keep watch over yourselves and all the flock of which the Holy Spirit has made you overseers. Be shepherds of the church of God, which he bought with his own blood. I know that after I leave, savage wolves will come in among you and will not spare the flock. Even from your own number men will arise and distort the truth in order to draw away disciples after them. So be on your guard! Remember that for three years I never stopped warning each of you night and day with tears. ‘Now I commit you to God and to the word of his grace, which can build you up and give you an inheritance among all those who are sanctified. … In everything I did, I showed you that by this kind of hard work we must help the weak, remembering the words the Lord Jesus himself said: “It is more blessed to give than to receive.”’     ACTS 20:17-21,:24-35.

The passage above is Apostle Paul’s farewell address to the Ephesian church elders and one of the most poignant messages from him. Paul, serving the Lord with great humility under conditions of great danger, preached the gospel of the grace of God house to house in Ephesus without hesitation. His prophetic warning of grievous wolves, that is, false teachers, invading the church to lead her astray came true not so long after. Later, in his writing to Timothy, Paul warned of their rise from within the church and named at least five false teachers from Ephesus whose erroneous teachings had already begun to spread around in the neighbouring city of Colossae.
Paul instructed Timothy of the importance of being nourished in the words of faith and in good doctrine that he had diligently followed:
The Spirit clearly says that in later times some will abandon the faith and follow deceiving spirits and things taught by demons. Such teachings come through hypocritical liars, whose consciences have been seared as with a hot iron… Watch your life and doctrine closely. Persevere in them, because if you do, you will save both yourself and your hearers.  (1Ti.4:1-16)

Whatever teachings that tamper with God’s providence and commandment should be avoided in order to remain as His faithful believers to the end. Interestingly, Christ’s revelation to the Ephesus church in Rev. 2:2-6 shows that they heeded Paul’s admonition regarding the false teachers, as the Lord mercifully commended them for their labours.

However, throughout church history, heretical teaching has continued to rear its head and stirr up the church. I have recently come across an interesting talk about the reappearance of the New Age in disguise: “That Good, Old-Time, New Age Religion”, which is helpful in providing understanding of the current trend of false teachings. Warren Smith, a former New Ager who has used his experience to equip the body of Christ to discern New Age teachings and practices, has revealed several warnings. The outline of his talk is as follows.

He warns that the following books or statements are influenced by New Age thinking, despite the impact they’ve had amongst Christian circles: ‘Jesus Calling’ by Sarah Young was inspired by a New Age book ‘God Callng’, which was primarily designed to get people engaging in contemplative prayer and hearing voices that are not from God. He also warns that Rick Warren’s interpretation of Proverbs 3:6: ‘in all your ways submit to him (the LORD), and he will make your paths straight’ as ‘Listen for God's voice in everything you do, everywhere you go. He's the one who will keep you on track’ is wrong.
Regarding the hearing of God’s voice as premium and the encounter with Him as the standard of faith is both false. The similar emphasis on hearing from Christ is claimed by Beth Moore and others. David Jeremiah who once wrote a book of warning about the New Age, saying ‘The New Age is the most dangerous thing to come into the church’ in 1995 and 2002, has recently written a book; ‘Is This Really the End?’. Endorsing and supporting Sarah Young, he has now turned to endorse the New Age. He has yielded to apostasy, and has succumbed to a delusion.
Any bible-believing Christian ‘recognizes that it's all moving in a certain direction. It's setting the world up, conditioning the world for the religion of the Antichrist. This is where it's headed’. In their conversation Tom A. McMahon underscores Smith’s talk as an undermining move from the objective Word (the written Word of God) into the realm of subjectivity, (the contemplative movement in which feelings rule).

Paul warned in 2 The.2:10-12 that God will send strong delusion to those who refuse to love the truth. Likewise, the same apostasy can happen to any believer if he/she does not remain in the teachings consistent with the Word. False teachers quote lots of scriptures though, but out of context and by wrong devices. To make matters worse, such unbiblical concept, untruths and lies that are claimed to be inspired by Christ, have increased not only in the church but in the world as a little leaven growing into a whole lump.
The New Age movement currently seems to be hidden in plain sight but is being revealed as the subjective feelings- and experientially-oriented movement in the name of new revelation/new spirituality/new worldview/New World Religion.