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第260号  ゼカリヤ書12:1-8 

イスラエルにとって最大の脅威は北朝鮮

北朝鮮を「イスラエル撲滅戦争」に関わる敵とみなすラビたち、その根拠は…
日本海を挟んで隣国の日本が北朝鮮の脅威から守られる唯一の方法は…?

宣告。イスラエルについて主のことば。―天を張り、地の基を定め、人の霊をその中に造られた方、主の御告げ― 見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。その日、―主の御告げ― わたしは、すべての馬を打って驚かせ、その乗り手を打って狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を開き、国々の民のすべての馬を打って盲目にする。ユダの首長たちは心の中で言おう。エルサレムの住民の力は彼らの神、万軍の主にある、と。その日、わたしは、ユダの首長たちを、たきぎの中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えているたいまつのようにする。彼らは右も左も、回りのすべての国々の民を焼き尽くす。しかし、エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る。主は初めに、ユダの天幕を救われる。それは、ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えとが、ユダ以上に大きくならないためである。その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。               ゼカリヤ書12:1-8

百歳以上の長寿を全うしているユダヤ教のラビ、モシェ・アロン・ハコーヘンが解読した「千二百年前の書」に記された興味深い預言に遭遇しました。メシヤが顕れる直前の時代を描写しているその古代の預言には、差し迫った北朝鮮戦争がこの世の最終戦争へと発展し、ついには贖いへと導かれることが記されている、というものでした。現在は隠遁生活を送り、緊急なメッセージが告げられたときだけ限られた人たちに会うというラビ、ハコーヘンがラビ、ヨセフ・ベルガーに伝えたのは、次のような預言でした。

終わりの時代には、恐ろしい暴力が世界中で起こる。世界の北部で勃発した戦争が諸国民を巻き込むとき、これはメシヤの到来が切迫しているしるしとなる。今日、これらの出来事はかつてなく近づいている。この預言は、千二百年ほど前、北イスラエルに住んだユダヤ教カバラの研究者ラビ、ピネハスと妻ラケルに起因する。子に恵まれなかった夫妻に872CEにやっと授けられた息子ナーマン・ハトゥファは誕生直後から深遠な奥義を語り始め、十二歳になったとき、メシヤの顕れる直前の時代の預言的奥義を顕し始めた。ナーマンの語ったことは『子どもの預言』と呼ばれる書にアラム語で記録され、預言を伝えた後、その子は死んだ。その子と父親の埋葬地は今日社(やしろ)となり、まだ北イスラエルにある。アラム語の暗号で書かれたこの書は法外に難しく、ほとんど研究されることはなかった。しかし、北朝鮮の動きが急速に緊迫化し始めた今日、ラビ、ハコーヘンはこの預言とそこに含蓄されていることを公にすることは、もはや選択の問題ではないと感じ始めた。

ラビ、ハコーヘンの解読によれば、預言には以下の二つの鍵と、困難な時代をどのように乗り切るかの助言が含まれている。(1)北朝鮮での戦闘はメシヤの時代が始まろうとしていることの最初のしるしである、(2)次のしるしは、世界中に散っているユダヤ人が、戦闘の最終段階でイスラエルを助けるために本国帰還する。
「世界中からのイスラエルの部族が、サンバティヨン川(アッシリヤ軍に追われた北イスラエルの一部の人々が越えた川で、幾つかの歴史書はダマスコの近くにあると記しているが、まだ特定されていない)の向こうからやって来る。彼らは特にモーセ五書と「聖め」の掟に潔癖で、これがゆえに彼らには超自然的な強さが与えられ、彼らは最終戦争でイスラエルを助けるために、これらの強さを用いる。ユダヤ人の伝説では、この川には「安息日には流れない」というユニークな特徴がある。最終戦争は、各々の局面にたった数分かかるだけで、異様に速く終わる。この戦争ではすべての局面が、人が制御できる限界を越えているが、唯一「とき」の管理と、自分でできることがあるとしたら、「安息日を守ることで強くなることができる」ということである。サンバティヨン川を越えてやって来るイスラエルの部族は安息日とモーセ五書の順守を奨励し、イスラエルのユダヤ人を創造者に関連づけ、この世に対処する助けをする。しかし、これら本国帰還のユダヤ人はイスラエルに、「これらの部族が戻った後、イスラエルへの門戸は閉じられる」との厳しいメッセージをもたらすことにもなる。

この預言を知ったとき、冒頭に引用したゼカリヤ書の預言が思い起こされました。ゼカリヤ書ではこの引用箇所の直後に、ユダヤ人のメシヤ、イエス・キリストが御姿を顕され、イスラエル国家に劇的な回心が起こり、罪を悔い改めた全「ダビデの家とエルサレムの住民」がキリストをユダヤ人のメシヤとして受け入れることが記されています。すなわち、主の再臨の劇的な描写です。
引用したくだりでは、「ユダの天幕」、「ダビデの家」、「エルサレムの住民」との相互関係を理解するのが難しいのですが、もし、「ユダの家」「ユダの天幕」「ユダの首長たち」が、ラビ、ハコーヘンが解読した預言の「サンバティヨン川を越えてやって来るイスラエルの部族」、すなわち、最終戦争のときまで国外に離散しているイスラエル人に該当するとみなすなら、引用した文脈の解釈の助けになるのではないかと思います。すなわち、最終戦争で包囲されたエルサレムに籠城しているユダヤ人を助けるのは、国外から救出に駆けつけるユダヤ人同胞、―イスラエルの国外で、モーセの掟順守に生きていたユダヤ教徒と、キリストをメシヤとして受け入れたユダヤ人キリスト者― と解釈できるかもしれません。
言い換えれば、
『その日』、霊的誇りを抱いていたエルサレムの住民に対し、主は、神の力を見分けることのできたユダの首長たちを『たきぎの中にある火鉢』のように、また、『麦束の中にある燃えるたいまつ』(6節)のようにして大きく用いられ、彼らによって、敵を完敗させることでしょう。このように正しい見分けで神の力を確信したユダの首長たちが、見事な働き振りでエルサレムの守りに貢献することによって、『エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る』(6節)と記されているように、都エルサレムとその住民は奇蹟的な存命へと導かれるのです。

ラビ、ハコーヘンのほかにも、二十二年前まだ北朝鮮が西欧にとって何の脅威ともみなされていなかったときに、イスラエルにとって最大の脅威が北朝鮮であると警告したラビがいます。1967年の六日戦争や1973年の十月(ヨム・キプル)戦争をも正確に予告したレビ・サアディア・ナハマティです。ラビ、ナハマティのメッセージは、1994年に奇しくも前触れなく召された一箇月前に、録画されました。
(www.youtube.com/watch?v=pbWm9pDKLGI&feature=youtu.be)

ラビ、ナハマティは、モーセ五書の註解書、アラム語の『ゾーハル』に従って、イザヤ書34章のイラクのイスラム教徒シーア派の町で事実上イランが支配している「ボツラ」と「この世の端にある国」とを、イランと北朝鮮との同盟として解釈しています。北朝鮮が世界的な脅威となったのは十年前の最初の核実験以降の急な進展ですから、はるか前にこのことを見抜いていたことは驚くべきです。
宗教的にも、地理的にも、政治的にも、経済的にも、文化的にも何の共通事項もないイランと北朝鮮の同盟は筋が通らないように見えますが、両国は「西欧諸国に対する憎しみ」という唯一の接点で結びつき、大陸間弾道ミサイルと核兵器計画での協力へと導かれるに至ったのでした。この二国がエゼキエル書38、39章に記されているマゴグの地のゴグによる戦争を引き起こすと、ラビ、ナハマティは解釈したのです。

イスラエルのニュース日刊誌は、北朝鮮が敵視しているのは米国と米国の同盟国で、同盟国のリストの最上位に日本とイスラエルを挙げ、隣接海域に実験ミサイルが落下して常時脅威にさらされている日本はさておき、なぜイスラエルなのかを、「イスラエルがシリアの初期の核開発計画を破壊したとき、北朝鮮がアラブの挑発的な専制君主に核兵器の技術と兵器類を提供していたことがすぐ判明した。北朝鮮は、イスラエルの絶滅を見たいと願っている中東の非人道的な数箇国と同盟している」と、説明していました。
拡散防止の専門家によると、北朝鮮とイランとの関係は両国が使用しているミサイルや核のデザインの類似や、浅海を航行できる「小型」潜水艦からの巡航ミサイル発射を二国だけが共同研究していることからも明らかで、両国は日増しに世界的な脅威になっているのです。
米国国防省の話では、弾道ミサイルは、最初は北朝鮮からイランに持ち込まれていたのが、イランから北朝鮮へと商取引が逆転を始めたようで、イランの巧みな方策が背後にあったことが疑われています。複数の情報当局者によると、1990年代から何百人もの北朝鮮の科学者や技術者がイランの核開発、ミサイル計画のために働き、2007年に破壊されたシリアの原子炉はイランが融資し、北朝鮮が建設したものでした。
イランは、経済制裁が課されることから自国を守るために、西欧との核協定に応じる姿勢を見せた一方で、核開発を続ける秘策として、核開発の大部分を北朝鮮に外注化することに決めたのでした。
イランと北朝鮮の動向を数年間調査してきたジェラルド・フラァーリィ(フィラデルフィア「神の教会」の牧者)は、2015年7月に合意に達した米国のイランとの核協議、―イランは諸大国による経済制裁を大幅に解除するため、十年以上に亘り、保有する核燃料の制限と核関連施設への査定受け入れを承諾し、秘密裏に核兵器製造をしないことに合意― を、米国史上最悪、大失敗の対外政策と評しましたが、イランが核開発を断念したのではなく、北朝鮮との合弁事業に巧みに乗り替えただけの話であったのなら、まさにその通りなのです。

北朝鮮は、国連の安全保障理事会決議に明らかに違反する傍若無人な挑戦、弾道ミサイル発射を三月から五月にかけてすでに六回も試み、核実験に加え、ミサイルの射程距離を米本土攻撃に向けて飛躍的に伸ばし続け、世界中の脅威になっています。
日本海を挟んで隣国の日本は、予測できない北朝鮮の挑発行為に米国、韓国との連携で対処していく軍事同盟に依存する政策、そのために安倍内閣は平和憲法改正を強行する方向に向かっていますが、人が人を殺す体制に参与することは、聖書的には墓穴を掘る行為で自らの滅びを招くだけです。
人類史も、また、特に万軍の主、神ご自身が歴史に関わっておられることを明確に主張している聖書史も、軍事同盟に勝算がないことを教えています。勝利は、真の神を信じ、神に依存する者たちと国々の上にのみあるのです。イスラエル史は、古代だけでなく現代においても、1948年の独立戦争や1967年の六日戦争においてのように、神のご介入で奇蹟的な勝利がイスラエルにもたらされたことを証しています。
日本も、この世の軍事同盟ではなく、平和憲法を維持し、戦争放棄に徹することによって生ける神の御旨を選ぶなら、神の奇蹟的ご介入で間違いなく守られることになるでしょう。神との同盟による勝利を聖書は証しているのです(『ヨシェル9』参照)。

#260: THE 50TH ANNIVERSARY OF THE UNIFICATION OF JERUSALEM

THE 50TH ANNIVERSARY OF THE UNIFICATION OF JERUSALEM

US President Donald Trump visited Israel on 22- 23 May and ascended to the Temple mount to pray in the Western Wall, in which he enacted precisely what King Solomon prayed at his dedication of the First Temple. ...

Then King Solomon summoned into his presence at Jerusalem the elders of Israel, all the heads of the tribes and the chiefs of the Israelite families, to bring up the ark of the LORD’s covenant from Zion, the City of David. All the Israelites came together to King Solomon at the time of the festival in the month of Ethanim, the seventh month. When all the elders of Israel had arrived, the priests took up the ark, and they brought up the ark of the LORD and the tent of meeting and all the sacred furnishings in it. The priests and Levites carried them up, and King Solomon and the entire assembly of Israel that had gathered about him were before the ark, sacrificing so many sheep and cattle that they could not be recorded or counted. …
When the priests withdrew from the Holy Place, the cloud filled the temple of the LORD. And the priests could not perform their service because of the cloud, for the glory of the LORD filled his temple. Then Solomon said, ‘The LORD has said that he would dwell in a dark cloud; I have indeed built a magnificent temple for you, a place for you to dwell forever.’ While the whole assembly of Israel was standing there, the king turned round and blessed them. …
‘But will God really dwell on earth? The heavens, even the highest heaven, cannot contain you. How much less this temple I have built! Yet give attention to your servant’s prayer and his plea for mercy, LORD my God. Hear the cry and the prayer that your servant is praying in your presence this day. May your eyes be open towards this temple night and day, this place of which you said, “My Name shall be there,” so that you will hear the prayer your servant prays towards this place. Hear the supplication of your servant and of your people Israel when they pray towards this place. Hear from heaven, your dwelling place, and when you hear, forgive. …
‘As for the foreigner who does not belong to your people Israel but has come from a distant land because of your name – for they will hear of your great name and your mighty hand and your outstretched arm – when they come and pray towards this temple, then hear from heaven, your dwelling-place. Do whatever the foreigner asks of you, so that all the peoples of the earth may know your name and fear you, as do your own people Israel, and may know that this house I have built bears your Name. …
‘May your eyes be open to your servant’s plea and to the plea of your people Israel, and may you listen to them whenever they cry out to you. For you singled them out from all the nations of the world to be your own inheritance, just as you declared through your servant Moses when you, Sovereign LORD, brought our ancestors out of Egypt.’                        
1Kings 8:1- 5… :10-14… :27-30… :41-43… :52-53.

3,000 years ago during the Feast of Tabernacles, King Solomon dedicated the Jerusalem Temple to the Lord. Just as a visible manifestation of the presence of the Lord had descended on the tabernacle at Sinai, so the glory of the Lord filled the temple when the priests brought up ‘the ark of the Lord’s covenant’. Spreading out his hands, Solomon prayed a prayer of dedication and rightly recognised that even though God had chosen to dwell among His people in a localized way, He is too great to be contained in a human made temple. 

Solomon referred to the time when Israelites were unable to pray in the temple itself, but instead directed their prayers towards the place where God had pledged to be present among His people. During the Babylonian exile Prophet Daniel is recorded to have done so from Babylon. Solomon also articulated a case of the foreigner’s prayer, who came from a foreign land to pray to Israel’s God at the temple; 
hear from heaven, your dwelling-place. Do whatever the foreigner asks of you, so that all the peoples of the earth may know your name and fear you, as do your own people Israel, and may know that this house I have built bears your Name. 

US President Donald Trump visited Israel on 22- 23 May, which coincides with “Jerusalem Day”, when Israel celebrates the 50th anniversary of the unification of Jerusalem in the Six-Day War. Many Israelis expected him to give the order actualising his promise of the US Embassy’s move from Tel Aviv to Jerusalem, which Trump promised as part of his presidential campaign platform and because of which he succeeded in drawing support from many pro-Israel voters. 
According to Breaking Israel News, the Sanhedrin had sent a letter to President Trump, calling on him to ascend to the Temple Mount and pray for world peace at his arrival in Jerusalem. He chose to answer the call and he not only became the first-ever sitting US president to visit the Western Wall, but also enacted precisely what King Solomon prayed at his dedication of the First Temple. At this specific point of history when the prospect of war is truly a serious reality, rabbis believe Trump’s role essential 
to be a part of a process to bring the Messiah and unprecedented blessing to the world, in the same manner that King Cyrus played his part in building the Second Temple. 
Although Trump would not take the opportunity to dramatically announce his decision about his campaign promise as many had expectantly speculated, according to the rabbis, he would receive blessings because he prayed on the Temple Mount, “the proper place for a leader” to do so.       (breakingisraelnews.com/88117/sanhedrin-calls-trump-fulfill-king-solomons-mandate-praying-temple-mount/#oIrg8SDxMx9HImzI.99)

Knesset members and major rabbis are expecting record number of people coming to the Temple Mount on this Jerusalem’s Jubilee, an event of untold significance, commemorating the day when Israeli forces took back the Old City, Western Wall and Temple Mount from the occupation of the Jordanian army in 1967. 
An investigative archaeologist, Harry Moskoff argues that now is the most appropriate time to recognise the importance of biblical archaeology and its projects, believing that finding the sacred ark of the Lord’s covenant and vessels is a catalyst for the coming of the Messiah. He holds a unique 100-year-old map that belonged to a certain farmer who claimed to fall into a cave where these ancient holy vessels were hidden in the Jerusalem area, and it even indicates the tunnel entrances to discover the long-awaited items when the time comes. 
Now that UNESCO has officially declared that no part of Jerusalem belongs to the State of Israel, Moskoff feels that now is the time to create new legislation stating that whatever is found on top of or beneath the Temple Mount belongs to the Jewish People. He claims: 
Biblical archaeology is being hijacked for political purposes. How can discoveries from excavations in East Jerusalem, for example, be taken away from Israel’s possession? ... The Palestinian Arabs try to do this every day. They strive to take away all Jewish connection to the Land.
He believes that with President Trump in office, God has opened up a unique opportunity to strengthen the State of Israel politically as well as biblically.

Yさんの証し その20

4月14日

助けてください!

この聖なる週に、次から次へと災難に見舞われ、どうしたらよいのかわかりません。どうか、執り成しの祈りをしていただけませんか。
知人の紹介である求職案内会社に登録し、一件だけ、地元の法律事務所の臨時秘書の仕事に応募しました。Pitman 秘書コースの資格を生かしたかったためです。その日のうちに留守電が入り、やっと巡ってきた機会を主に感謝し、翌朝折り返しの電話をすることにしました。
電話すると、「あなたいろいろな職に出願されたでしょう?」と言われ、「いえ、昨日登録し、法律秘書一件のみ出願しましたが」と答えると、「あれ?うーん、秘書はすでに法律秘書として働いている人しか要らないから… あなたは面接には呼ばれないわよ」と言われ、あっけにとられました。とりあえず、Pitman 秘書コースの資格のこと、何とかして法律事務員の仕事に就きたいので何かあったら連絡してほしい、とだけ残して、電話を切りました。悔しくて涙が出ました。

昨日は銀行の明細が届き、三月いっぱい皆勤したにもかかわらず、給与明細が法定疾病手当になっており、ほとんど支払われていませんでした。問い合わせをしても、私の上司の命令だったといわれるだけで、人事部(HR)にも涙ながらに電話をしましたが、留守電のみでした。歯科医治療費の支払いがこの日あったのでなおさらショックでした。夫はイースター・ホリデー 明けには必ず解決するよ、と言ってくれました。

主に対する失望、悲しみ、憤り

この三ヶ月あまりにも理不尽なことが続き、神経が擦り減り、もう耐えられないと思い、主に「どうか私に情けをおかけください、しばらくの間だけ、このような理不尽なことやアクシデントでこれ以上精神的におかしくならないように、後生ですから、憐れみを垂(た)れてください」と祈って眠りにつきました。
今朝起きると鬱で涙が止まらず、再び、「どうか私に憐れみを垂れてください。お願いします。もうこれ以上は自分で対処しきれません。助けて!」と祈りました。

ところが、ほんの今しがた、私の祈りをあざ笑うかのように、二週間前に配管工が修理したばかりの風呂場の蛇口がもぎ取れ、熱湯が噴き出し、止まらなくなりました。熱湯をふたで、手で、押さえながら、涙が止まらず、叫び続けました。「助けて!イエスさま、助けて!」… 私の祈りは今回も聞き入れられませんでした。
主は、次はどんな災難を用意して待っておられるのか… 私はいったいだれに祈ればよいのか… わからなくなりました。
週末、配管工はこの地区にはいないとのことなので、水の元栓を閉めるしか方法がない、しかし、どうやって週末と休日明けの火曜日まで持ちこたえればよいのか。火曜日は夫の内視鏡検査の予定があり、夫の実家に帰るにしても検査を延期しなくてはならないかもしれません。主が私たちを見守ってくださらなかったこと、弱っているときの祈りすら聞いてくださらなかったことに失望と悲しみでいっぱいです。

私が苦しんでいるとき、主は傍にいてくださらなかった。助けてくださらなかった。失望から怒りを覚えます。どうか恐れ入りますが、私のための執り成しをしていただけませんか。もうこれ以上抱えきれません。どうかしばらくの間でいいですから、私たちに降りかかる災難を食い止めてくださいと、執り成していただけませんか、よろしくお願いいたします。

4月15日

少し落ち着いて

お忙しい中、丁寧にご指南くださり、ありがとうございました。
神経をすり減らしているところに、さらに塩酸をぶっかけられたような気持ちでおりましたので、取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。
私が一番悲しかったのは、「もう精神的に対処できないからしばらくの間、災難を遠ざけてほしい」と繰り返しお祈りしたにもかかわらず、主がサタンのさらなる攻撃を許されたことです。「弱っているときに心から祈っても守ってくださらない」という事例が形成された心理状態で、どのように主に祈り続ければよいのか葛藤しています。

内視鏡検査のために夫は下剤をかけ始めなくてはならず、トイレ(問題のお風呂と同室)の使用が頻繁になるので、やむを得ず検査はキャンセルにしました。また、配管工を派遣してもらえるようで、機材調達のために数日にわたるかもしれないので、実家には戻らず、待機することにしました。

昨日触れました求職案内会社の件についてですが、登録直後に法律秘書一件しか出願しておらず、留守電に「あなたが出願した仕事の面接を組みたいので電話ください」と入っていたので、私はてっきり法律秘書の件だと思い込んでいました。どうやら、各会社にはこなさなければならない割り当て(ノルマ)のようなものがあるらしく、そのノルマのために、私が出願していない仕事の面接に送り込もうとしていたようです。もう、このようなぬか喜びを何度も何度も味わわされるのはどうか勘弁してほしい、と再び主に祈ったところです。

私には何か霊障のようなものがあるのでしょうか。個人的には占い等はほとんど信じないほうですが、何か偶然や運・不運だけでは片づけられない力が働いているようで、不気味です。
「急き立てる霊よ、出て行け。送り主(サタン)のもとへ行け。キリストがお前を縛る!」

4月15日

残念ながら配管工と約束の時間になっても連絡がつきません。
この三ヶ月間、のらりくらりと約束をかわされ続けており、前回やっと来たとき配管工が触った部分が今回破裂した箇所です。
今回の会社の給与明細のミス(上述、4月14日のメールで説明)で、収入情報が混乱させられたため、住宅ローンの申請が却下され、現金でのアパート購入を余儀なくされました。契約完結は、5月1日です。
この三ヶ月間の不快で理不尽な出来事の連続は、主の霊がこのアパート購入に反対して引き起こしているのでしょうか。それとも悪霊に頭を混乱させられているのでしょうか。
私にはこの三ヶ月間の出来事が何を意味しているのか、警告なのかそれとも悪霊の攻撃なのか、残念ながら区別がつきません。

悪霊追い出しを学ぶ

リンク先http://yosheru.blogspot.jp/2017/03/27.html#moreを送っていただき、ありがとうございます。
リンクをクリックして聞こうとしたとたん、頭を鈍器で殴られるような痛みが走りました。何かが私を主から完全に引き裂こうと全力で襲いかかっているのではないかと、今感じています。お祈り、御指南に心より感謝です。

4月15日

追申:「急に具合が悪くなったので来られない」と配管工から連絡がありました。本当であれば可哀そうだと思うのですが、この三ヶ月の配管工の態度から、この話をあまり信じる気になれません。
一番早くても火曜日まで復旧不可能だそうです。

Y

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Yさんの証し その21

4月16日

開かれた突破口

主の復活祭の日曜日、おめでとうございます。
あの後、家主が電話をしてくださり、具合の悪くなった配管工が午後三時頃突然現れ、とりあえず臨時用の蛇口だけをつけてもらいました。

昨日の午後は、執り成しをしていただいている祈りを身の上に感じる瞬間がしばしばあり、背中が軽く感じられ、執り成しの祈りのありがたさを改めて実感、深い感謝の気持ちでおります。ありがとうございました。
『ヨシェルの会』の講義を聞きながら、ひとつずつ反芻(はんすう)するように、除霊を始めました。

母にも連日の不可解な出来事を話すと、「まるで『悪霊がのたうち回っているような断末魔のあがき』ではないか、近年何か『おどろおどろしいものが奈落で渦を巻いているような』感覚をしきりにおぼえる」と言っていました。父にも、この一連の理不尽な出来事はおそらく、サタン/悪霊が私を主から完全に引き離そうと本気で攻撃を強めてきた証拠であること、サタン/悪霊の目的は一人でも多くの人を引きずり込んで「サタン/悪霊の地獄への道連れにする」こと、その対象は全人類であること、そして何としてでも主の側に踏みとどまる決意をしてほしい旨、告げました。

苦難を振り返って

主が私の祈りを聞かれなかったと錯覚したのも、おそらく「サタン/悪霊の罠」だったのでしょう。
ヨブ記にも記されている通り、サタン/悪霊は主の許された範囲でしか行動できないのですから、私が取るべきだった態度は、冷静になって一件ずつ、常識の範囲で対応していくことだけだったのだと反省しています。
以前、督促のプロが、「人間を動かす三つの感情」について言及していました。
1.恐怖心
2.義務感
3.罪悪感
一番恐ろしかったのは、一連の出来事の渦中にいたとき、持病の鬱も手伝ってか、四面楚歌状態の中、敵と味方の区別までつかなくなり、異常なまでの疑心暗鬼にさいなまれたことです。世にいう「洗脳」というのはこの手の恐怖心を埋め込むことなのでしょうか。
祈り、メールでの応答とヨシェルの会のレジュメとAudio/ MP3で、洗脳が解けるようにして我に返りました。
この苦い経験を、今後の除霊に生かしていきたいと思います。

 4月16日

執り成しの祈りの力に畏怖

執り成しの祈りの力にあらためて畏怖を覚えました。まさしくハレルヤです。お祈り・御指南、本当にありがとうございました。
いつまでも信仰の定まらなかった自分がこれを機に主に立ち帰り、家族に福音を正しく宣べ伝える知恵を、主から授かるように祈ります。

さっそく、レジュメにあったキリストの名による「除霊の祈り」と「霊の戦いの祈り」を手帳に書き込み、不安に襲われるたびに開けて読みあげています。エリヤがぐずるときも、「イエスさまの血潮がエリヤを守っておられるよ、イエスさまの御名において主がエリヤをお守りくださいますように」と耳元で囁くように始めました。

この一年半ほど(現在の職場に勤務し始めた頃から)、いつも背中に何かが重くのしかかっているような感じがして困っていたのですが、イエスさまの流された血潮に心の中で感謝をすると、背筋にゾワゾワ感を覚え、少しずつ軽くなっていく感じがします。これが除霊なのでしょうか。
このイースターは忘れられないものになりました。本当にありがとうございました。
‘Thank you, Jesus Christ, Our LORD!’

5月9日

イエス・キリストの甦(よみがえ)りの力を体験

頌主。
お陰様で契約を無事交わすことができ、今朝、先月から続いていたトイレの問題を解決できました。お祈りくださったこと、主のお守りがあったことに心から感謝申し上げます。

最近体調に少しずつ変化が現れ始めました。

Jesusさまの血潮と御名によって日々除霊を始めたところ、気持ちの沈み込みが起きても、すぐに浮き上がるような希望にも似た感情がわいてくるようになりました。気力、体力の回復まではまだ時間がかかりそうですが、具合が悪くて横になっていても「Jesusさまがともにおられるから安心して身体を休めよう」と、安堵感を感じられるようになってきました。聖霊/御霊が私の内で働いてくださっているのを体感するようで、本当に有難いです。
父母にも電話でモーセのこと、Jesusさまのこと、除霊のことを少しずつですが、確信をもって話し始めました。どうか主が、両親、兄、義姉、親戚の者の心を開いてくださり、皆がJesusさまを受け入れてくれますように!

この金曜日には人事部の方と上司が自宅を訪問してくださる予定で、いよいよ会社側が解雇手続に踏み出そうとしています。この職場では、数々の不可解・理不尽なことがありましたが、これらに起因する鬱の再発を通して、主に立ち返る良い機会になったことに感謝して、主の御意思通りの最終決定を望む気持ちだけです。

5月4日にはP治安裁判所(Magistrate Court)の受付係(Usher)の職の面接を受けました。未成年や社会的弱者の方々に対応する機会が多い仕事のため、徹底した身元調査(Vetting Test)が入り、現在結果待ちです。
夫は私には少しきつい仕事(精神的に不安定な方、攻撃的な方たちにも対応するため)ではないかと心配し、不合格でも決して落ち込まないように、と励ましてくれました。
もしこの職をいただけたら、予想外の形で仕事を通して福音を伝える機会があるかもしれませんので、日々の聖書の言葉の学びとともに、誠実に任務を遂行していきたいです。
どちらの結果にせよ、主が私にとって一番良い結果を与えてくださると確信しています。

「ヨシェルの会」のメッセージを家事をしながら、聖書とノートを携えて台所で繰り返し聞かせていただいています。
いただいた「祈りの覚えのビーズ」と冊子も繰り返し読み返しながら、主の愛を心の中で反芻しています。
「家の教会・祈りの集い」に我が家を用いることができるように、主の導きに従って次の仕事を出願してまいります。ご指南、お祈りを本当にありがとうございました。

5月10日 

頌主。
引き続きのお祈りに心より感謝申し上げます。「祈りの場・家の教会」としての我が家を、形式にとらわれることなく、主のお導きに従って築いてまいりたいと思います。
今日はヨシェル7の『イエスキリストの受難週、過越祭・十字架刑』をじっくり聞かせていただきました。
聖書の該当箇所を読み返しながらJesusさまが成し遂げてくださった愛の偉業に畏怖と感謝の気持ちでいっぱいです。
家族が少しでも早く、主の愛に気づいてくれるよう、語りかけ、祈り続けてまいります。
また親愛なるユダヤ人の友人たちが、Torah(モーセ五書)を通してJesusさまの贖い・救いに目覚めてくれるよう、ともに祈り続けます。

小さなアパートですが、P駅を見下ろす位置に建っているため、大聖堂とモスクも見える位置にあります。
イスラム教徒が大半を占めるこの地域で、Jesusさまの御名とお力によって、Jesusさまの聖霊に満たされた一角を守り通せたらと思っています。

5月11日

Yさんの戦いの記録をサイトに載せる許可

お役に立てるのならば本当に光栄です。どうか、御霊/聖霊のお導きに従って、ご自由に掲載個所をお選びください。選択を一任いたします。
ヨシェル22の『信仰生活』を再度聞かせていただきました。「ハバクク書からの学び」の箇所は、ヨブ記、詩篇とともに、不可解・理不尽な出来事に心乱される度に思い返し、心の中の信仰の灯を掻き起こしてまいりたいと思います。
貴重なご指南、執り成しのお祈りを本当にありがとうございました。

5月14日

イスラエル国家誕生日

今日はイスラエル国家誕生から六十九年目、多くのイスラエルの民の目が開かれ、ともに主Jesusさまを救世主として賛美できますように!

解雇

先週金曜日、無事に解雇手続きのための面談が執り行われました。お祈り本当にありがとうございました。
現在、この会社には資金繰り(Cashflow)の問題があり雇用凍結中のため、私を他の部署にあてがうのは無理とのことでした。解雇(Dismissal)には変わりませんが、鬱(健康)を理由に退職という形です。今後、出願時に障害(Disability)の有無を問われた場合、十二ヶ月以上精神疾患を抱えている者として“YES”をつける必要があるため、解雇歴を聞かれたときにはこの点を簡潔に説明するのがよいとの参考意見がありました。近々解雇の旨を記した手紙が届くことになると思います。

変わらない現実、でも、受け止め方が変えられた!

受付係の職は残念ながら不合格でしたが、夫は仕事の内容に不安材料があったので、少しホッとしていました。(以前の私なら、また主に見捨てられたのではないかと泣き崩れて、精神的に一層ボロボロになっていたかもしれませんが)このイースターの経験が私の主への信頼を確固たるものにしてくれましたので、主は必ず不思議な形で私たちをお守りくださるのだから、神の御国のことを優先に考えて毎日を送ること、それにより必要なものは必ず主が与えてくださる、と信じることができるようになりました。
内在してくださる主の御霊と聖書の御言葉、いただいたご指南、皆さまのお祈りに心から感謝申し上げます。
ハレルヤ!


Y

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Yさんの証し その19

3月5日(日)

不合格、不合格…

先月はとても不可解・理不尽な面接を二回体験しました。
初旬にP合同裁判所のパートタイムの"Bailiff Officer" 執行官付き事務官の面接を受けました。
R団体の助言をいただいて準備万端で臨んだのですが、すでに臨時雇いとして働いていた人に内定していたようで、さっさと済ませたいといわんばかりの態度を露骨にとられてしまいました。
人生こんなこともあるさ、と思いながらも気持ちを奮い立たせるのに時間がかかってしまいました。

先月下旬には現在、出向として働いている文書管理課の採用試験を受けました。二人募集だったこと、すでにこの管轄下で働かせていただいていたのでその経験を踏まえて、希望を持って面接に臨みました。R団体から助言、模擬面接をしていただき、適正に基づいたインタビューも内部の仕事での経験をもとに、しっかり準備して臨んだのですが、これも不合格でした。同じチームの同僚から「驚きを隠せない」と言われました。
フィードバックは、「とても良い事例だったが、採点のためにもっと内容の詳細を話してもらいたかった」とのことでした。STAR技法に沿って備えた私には、このフィードバックは腑に落ちませんでした。

よみがえる悪夢

ここ数年、主の御心が全く理解できないことが重なり、祈るときはいつも腹立たしさと悲しみが同時にこみ上げてきます。
R団体によれば、障害者(十二ヶ月以上鬱を患っているため、障害者扱いになるのだそうです)の私に残された道は、前の部署に戻るか退職か、のどちらかになるそうです。
現在の職場もこれが潮時かなと考え、身体第一で再就職先を慎重に探しているところです。
この職場での一年半とかつて郵便局にいた頃のことが重なります。
B郵便局では、お客さまからの心無い言葉、匿名で送りつけられた嘘の苦情や言いがかりで警察に嘘の通報をされたこと、こういった理不尽な数々の出来事に対して自分でできることを尽くして主に祈り、助けを求めました。それでも結局精神的に崩壊し、家から外に一人で出られなくなり、退職することになったのでした。苦しかったとき、主が助けの手を伸べてくださらなかったことに対し、主への不信感と憤りをぬぐえないまま今日に至っています。どうしたらこの気持ちを払拭できるでしょうか。ご指南ください。

3月27日

明日、現在の職場の出向で、法的補佐/法的調査の面接を受けます。
これも不採用のときは、四月からまた休職願を提出、会社の解雇を待ちながら再就職活動を続けることになります(辞職すると求職の申請ができないため)。
ここ数年鬱で何ごとにも集中することが難しく、好きだった読書も手がつかず、読み始めて三分の二ぐらいすると、すべてが無意味に思え、図書館に返却するを繰り返しています。
夫曰く、「目の前にエリヤがいても全く無関心、車が来ようが見向きもせず道路を横切っていく」など、鬱症状が一層顕著になってきたので、かかりつけ医に相談しましたが、できるのは薬の処方だけとのこと。薬を飲むと余計頭が混乱して生活が成り立たないので、11月から薬は服用していません。

主の絶対権に無力な私

マルコ4:24-25、出エジプト記33:19の聖句が思い起こされます。「だれに憐れみをたれるか否か、与えるか奪うか」は、主に決定権がありますので、私にはどうすることもできません。
仕事、健康、家族、家、生命、すべては主の思うままに与えられ、奪われる、それだけです。
今後は、何事も一喜一憂せず、それを「あ、そう。」と静観し受け流したいと思います。
怒ったり悲しんだりすると相手の思うつぼ、まさにいじめと同じで、こちらが徹底的に無視・無反応を決めこめば、相手は攻撃する意味を失うからです。これが執拗に繰り返される就職難に対する私の答えです。

4月9日

霊の戦い、証しにならない私

「日本人の持つ先祖供養という概念がキリスト教へ帰依を妨げる要因の一つになっている」と聞いたことがあります。私の家族もまた同様に異霊への信心があるため、おっしゃるように霊的戦いがいかに壮絶であるか、すこしは想像ができる部分もあるかと思います。
我が家の霊的戦いは、残念ながら私には勝算がありません。戦いにすらなっていないかもしれません。
私自身の二十年来の精神疾患と就職のあらゆる試みに対する不成功の連続を見守ってきた家族は、私が勧めても、『福音』に耳を傾けることはないでしょう。私に降りかかったこれらの出来事がすべて、私が聖書を真剣に読み始めてからの二十年間と重なることを、彼らは熟知しているからです。このような形で家族を福音から引き離してしまったことまで、主にとがめられるかと思うと、正直辟易します。

救いの道は本当に一つ? キリストを通してのみ?

「主は憐れもうと思うものを憐れむ」とは、こちらが憐れみを乞うたとしても、憐れみの対象にならないものもいる、という意味なのでしょうか。相手は創造主ですから、公平・不公平を言えた義理ではありませんが。
時々、ユダヤ人たちをとてもうらやましく思います。確かに、イエス・キリストの贖いを信じることで、異邦人の私でも救いにあずかることができました。でも、この贖いの信仰を捨てるとき、私自身とイスラエルの神との間には何の由縁もないのだと感じ、とても空しくなるのです。

異邦人の信仰を神の養子縁組にたとえることがありますが、養子にもらわれた人は、養父(親)との関係に、このような空しさを覚えるものなのでしょうか。
もちろん、ユダヤ人の場合はその逆で、彼らは「アブラハム」の子孫であること、すでにアブラハムを通して永遠の祝福を受けていることを強調し、イエスの贖いの死を受け入れず、この唯一の救いを否定し続けているという点では残念以外のなにものでもありませんが、それでも、実子への神の愛は不動で、彼らはたとえ信仰を捨てたとしても、ユダヤ人であるという事実から逃げられない以上、イスラエルの神からは離れられない、と私には見受けられるのです。このことを私は、妬(ねた)ましいほどに羨ましく感じます。養子の実子に対する嫉妬も、このようなものなのでしょうか。

「何人であろうと救いの道は一つ、イエスキリストを通してのみ」というのは頭では十分わかっていますが、Jesusさまの贖いの死を受け入れ、イエスさまの再臨を待つユダヤ人たちには、本当は二重の祝福(アブラハムへの祝福とイエスを信じる者への祝福)が宿っているのではないか、とひそかに思っています。私の勘違いでしょうね。

Y

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Yさんの証し その18

2016年7月から12月末までのYさんの苦難の信仰生活

2017年5月に至るまでのYさんの証しを2016年夏にさかのぼって振り返ってみました

2016年7月11日

息子の幼児洗礼式

7月9日、C大学、Eカレッジの礼拝堂にて息子の洗礼式をとり行うことがかないました。本来なら生後六ヶ月ほどで行うのが慣習と聞いておりましたが、昨年の職場の海外移転、再就職活動、その後も新たな職場になかなか馴染めず、十八ヶ月と一日にしてやっとこの日を迎えることができました。主に感謝です。
学部長から聖書の朗読は二、三箇所からの引用がふさわしいとの助言を受けましたので、エゼキエル書 36:24-28,ローマ人6:3-11、ヨハネ 1:24-34 を選び、友人たちに読んでいただきました。

思い出された私自身の受洗式

私は十五年前の一月、同じ礼拝堂で、学部長から同じ聖水銀器によって洗礼を受けました。主キリストの贖いの死による魂の救いを信じる証をたてた日の事を改めて思い出し、身の引き締まる思いで、息子エリヤの洗礼を見守りました。

幼児洗礼に関して、疑問を呈する声もかなりあると聞いておりましたが、出エジプト記13:13-16に命じられているように、ユダヤ教のpidyon haben (Hebrew: פדיון הבן‎‎) /redemption of the first-born son(長子の贖い)の儀式をかんがみ、幼児洗礼式を行ってよかったと今思います。
私自身、銀貨による贖(あがな)いでも、動物によるいけにえでもなく、イエス・キリスト(非の打ち所のない完璧ないけにえ)のただ一度の贖罪/贖いの死による救いを信じ、その救いに授かった喜びを生涯忘れずに生きてまいりたいと思います。
そして、エリヤが常に主とともに歩む人であって欲しい、と心から願っております。

8月25日

昨日、遅番で勤務先のT旧舎での務めを終え、建物が閉鎖されました。
今日は新社ビルでの初日を迎えました。新社ビルは良い社内環境で、みな和気あいあい笑顔がこぼれていました。やはり、旧舎、―閉鎖された工場の建物(窓が無く光が入らない)だった― の建っていた治安の良くない地域がみなの精神状態にいろいろな弊害をもたらしていたのかもしれません。
主が新舎ビルでの働きをお守り下さるよう、朝、職場で祈りました。

9月5日

鬱再発

8月31日に職場で、あるミス(お客様に迷惑がかかるものではなかったのですが)をしてしまい、職場に行くのがとても怖くなり、今日もお休みをいただいています。上司には鬱(うつ)病の発作と報告しました。人様と話がまともにできるようになることが目下、復帰の目標です。

八月にいろいろなことが重なり鬱が再発したようです。いまカウンセリングにもかかり始めましたので、少しずつ様子を見ていくつもりです。周囲の人々や環境への責任転嫁や自己憐憫(れんびん)の気持ちはなく、強い自己嫌悪と諦念(ていねん)が強く症状に現れている状態です。全般性不安障害(GAD)の治療と自信(Self-confidence)の確立が焦点になります。

9月28日

休職

9月1日に足がすくんで職場に行けなくなり、三週間の休職をさせていただきました。薬も試しましたが、副作用のほうが大きく服用前よりもひどい状態になりましたので、先日さらに四週間のお休みをいただきました。
かつての職場、郵便局時代と同じような状態です。今後は就職難でも、お客さま対応に関わる仕事には決して就かないように、データ処理や、お客さまとは直接接触のない職種を選ぶつもりです。
自分が情けなくて涙が出ますが、もう二度と同じ間違い、―無職になることを恐れて、コールセンター(顧客への電話対応業務)や顧客サービスの仕事を受けてしまうこと― を繰り返さないように、これが今回の教訓です。

11月2日

今もまだ鬱で、休職中です。お客さまと直接接することのない、卸売店 やデータ・アナリストの仕事を探しています。主が正しい道にお導きくださいますように。
11月には、私の鬱の治療も兼ねて帰国します。

12月23日

いただいたクリスマスカードに引用されたイザヤ書60章1-3節は、以前いただいた日本語聖書に挟まっていた栞(しおり)の聖句でもあり、またこの聖句に私の名の漢字が含まれているので、この句を読む度に、主に叱咤激励されているような気がいたします。

出向で復職

すこしずつ職場復帰をしているところです。今は薬を飲まずに、とりあえずお客さまとの接触のない、文書管理課に三ヶ月の出向で勤務を始めました。
三ヶ月以内に他の職場を見つけなくてはなりませんが、今はできることを一つずつ着実にこなしていきたいと思っています。主のお導きがありますように。

適性検査結果

先日職業適性検査をR団体(鬱・精神病患者の就職支援団体)の勧めで受けました。
適職は研究所助手、歯科技工士、分析官、公務員事務官、秘書、楽器技工士、なぜかラジオディスクジョッキーなどでした。当たらずとも遠からずといった結果でした。家から近い職場を見つけ、初級レベルで適職種につける方法を模索しています。

アパート購入の話

日本から帰国してすぐ11月29日に、大家さんからメールでクリスマス前に私たちのアパートを売りに出したいが、まずは私たちにアパート購入を提案したい、との連絡が入りました。職場復帰を控えて、三種目の投薬をしようか迷っていた矢先の出来事で動揺を隠せませんでしたが、これも天意と思い夫と話し合い、検討を始めることにしました。

このアパートに導かれたあの瞬間

以前お話したと存じますが、2013年3月2日にこの地域での仕事の内定が出て、3月18日から働いてほしいといわれたとき、英国南部に住んでいた私たちはイチかバチかで家探しをしました。P市内から徒歩四十分ほど郊外の、学生時代の友人の家の近くに借家を見つけたので、その賃貸契約を結ぶつもりで、しかし、そのほんの三十分ほど前に冷やかし半分で覗いた他の不動産屋の物件がこのアパートでした。
あのとき、アパートに入った瞬間、私は主の「ここなら大丈夫」という霊的確信に導かれたのです。そこで、夫を説得し、すぐさまこのアパートの賃貸契約を結びました。
駅から徒歩五分、バスターミナルから七分、大聖堂から十五分、小さいながらも車を持たない私たちには本当に有りがたい住まいとなりました。ここで息子を授かったこと、ヘブライ語を教えてくださる、近所のユダヤ人のご婦人と出会ったこと、最初と二度目に勤務したどの会社にも、バスターミナルからバス一本で通勤できたこと、すべてを感謝しています。
そして今日、大家さんからの正式の申し出を受け、住宅ローンと不動産弁護士の手続きをさらに進めることになりました。

夫、息子と手を取りあって祈りました!

私は、すぐに夫と息子の手を取って、「主の御心にかなうなら、引き続き私たちがこのアパートに居を構え、キリストとユダヤの兄弟姉妹に気軽に訪れてもらえるような、慈愛あふれる、楽しい家になるように!」と祈りました。
契約書を交わすまでは何ごとも確定ではありませんが、何ごとも天の御心のままに、自分の思い込みや我意で天意を妨げることが決してないように、これだけを念頭において手続きを進めてゆくつもりです。
賃借地(Leasehold)ですので、自由保有不動産(Freehold)の一軒家のような所有感覚は持ち得ませんが、「この世の住まいは仮庵」ということを常に意識できるので、ユダヤの人々のように、形あるものに執着せずに謙虚に生きる助けになるのではと思います。

Y

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