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第259号  黙示録12:1-17 

2017年9月23日に神が天空に顕される天体配列は何の予兆か?

イスラエルの主の例祭「ラッパの祭り」の直後に起こる、しし座からおとめ座にかけて惑星が一直線に並ぶ天体現象、七日間の「仮庵の祭り」の期間中に起こる竜座のドラクロス流星雨は、黙示録12章の描写、―天界からサタンと堕天使の大軍勢が追放された後、地上でのユダヤ人とキリスト者迫害が激化― に完全に一致する…

また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠を被っていた。その尾は天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。
さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。…自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。…しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
黙示録12:1-17

イエス・キリストは「ニサンの月の十七日」、イスラエルの主の例祭「初穂の奉献」(初穂の祭り)の日に、全人類の中で最初に甦られた後、この大麦の初穂の奉献後四十日目に昇天され、天上の父の右の座に着かれました。それ以降キリストは今日に至るまで二千年近く、まだ天上におられます。
キリストのお約束によれば、再び地上に戻ってこられるのは、ダビデの血筋の王としてこの地上を千年間支配されるときです。そのときまでは地上に真の平和は訪れないのです。人類の祖アダムとエバを最初にだまして堕落させ、この世に罪、病、死を導入した神と人類の敵サタンが地下牢に閉じ込められることによって、地上の人々はもはやサタンや悪霊どもに誘惑されることがなくなるので、キリストの来臨は罪に彩られた人類史上かつてない至福の時代をもたらすのです。

このキリストの来臨で始まるメシヤ支配の時代が到来する直前のこの世は、ほぼ六千年前人類が誕生し、堕落して以降、世代から世代へと人類をむしばみ始めた罪が最悪になり、人が人を、また、世界を滅ぼす時代です。まさに私たちの時代がこの最悪の時代であることは、昨今、世界中で起こっている狂気じみた数々の出来事から明らかです。
この最悪の時代の最後の七年間は艱難期、中でも後半の三年半は大艱難期と呼ばれていますが、サタンとサタンの手下の堕天使どもが天界から追い出され、地上で猛威をふるい、空しく全力を使い果たした後、ついに罪の人類史は終焉するのです。

冒頭に挙げた黙示録の12章は、サタンが攻撃のほこ先を天上から地上に移すタイミングと理由、地上では、サタンは神の守りによって攻撃できなくなったユダヤ人から、ほこ先をキリスト者に向け、迫害を強めることを明確に描写しています。続く13章には、その目的を達成するため、地上で繰り広げるサタン、反キリスト、偽預言者の「汚れた三位一体」体制の恐ろしい方策が詳細に描かれています。

神は
「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ」(創世記1:14)、「日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み…」(ルカ21:25)、「あなたはすばる座の鎖を結びつけることができるか。オリオン座の綱を解くことができるか。あなたは十二宮をその時々にしたがって引き出すことができるか。牡牛座をその子の星とともに導くことができるか。あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか」(ヨブ記38:31-33、すべての下線付加)
と言われ、生きものや地球だけでなく、太陽系の惑星と銀河系の星々を含めた全宇宙を支配しておられるのがご自分であること、また、人類救済のご計画を「しるし、前兆」として天体の位置関係に描写されたことを明らかにされました。
見かけは連なっているように見えても、実際は遠く離れて存在している諸星座の中で、互いに引力関係によって結びつけられている唯一の流星群であることを今日の天文学が初めて明らかにした「すばる座」と「オリオン座」が、紀元前二、三世紀に完成されたヘブル語(旧約)聖書で、相互に結ばれているとして特記されていることは驚くべきことです。これは、『聖書』が天地万物を創られた神ご自身の手になる書、この世で唯一の「創造者なる神の書」であることを裏づけているほんの一例です。

コンピューター工学技術のおかげで、シミュレーションで未来の天体の動きを予測することが可能となった現代、黙示録12章の冒頭に描かれている天体配列がいつ起こるかに関心が寄せられ、描写に完全に一致する七千年に一度の現象が2017年9月23日に起こることが予測されてきました。
この天体描写は文字通りの現象であると同時に、象徴的、預言的にこれから起こることを告知しているので、非常に重大です。それはちょうど、イエス・キリストがベツレヘムでお生まれになったとき、ヤーウェの約束のメシヤを待ち望んでいた東方の博士たちが「その方の星」(マタイ2:2)として明確に目撃できたほど、天空に現われたのが超自然的に大きく輝く星であったのと同じで、これから起こる現象も神からの重要なメッセージに違いないのです。
以下は、拙著からの抜粋です。

天に現れた巨大なしるし ―ヨハネの黙示録12章の描写と星座の位置関係―
黙示録12章1節に記されている天に現れた「巨大なしるし」、すなわち、「ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた」という描写の星座と惑星の位置関係が、2017年に起こることが天文学から明らかになっている。

「おとめ座」のおとめの左肩に太陽、左足下に月、その太陽と月との間に木星が並び、おとめの頭上の「しし座」の前と後ろ脚の下に金星、火星、水星が見事に一直線に配列される日が来ようとしている。
しし座は、胴体部を形づくる六つの大きな星と頭部の三つの星で構成されており、それらと三つの惑星をすべてたすとまさに十二の星の冠が形成され、預言者ヨハネが描写したように、おとめはそれら十二の星の冠をかぶり、左肩に太陽を着、足下に月を踏みつけている絵が天界に繰り広げられるのである。
時間が経つにつれ、月が急速におとめの下方へと移動していくので、ずばりこの描写の位置関係が天空で起こるのは2017年9月23日である。…

創造の始め、神が天に描かれたデザイン、星座の配置と神の人類救済のご計画とには密接な関連がある。そのうち、12章のビジョンに直接関係がある、十二宮のうちの「おとめ座」と「しし座」に着目することにしよう。
天文学の「黄道(こうどう)帯(獣帯)」は、ヘブル語では“マザロト”、日本では「十二宮」と呼ばれているが、天地創造後、天の万象を一つひとつ「名」で呼ばれた創造者なる神が天に描かれた「福音の絵巻」であった。
残念ながら、星座は、古代バビロンに由来する占星術、未来占いの手段として曲解され、それだけが広まってしまったため、今日大きく乱用、悪用され、神が本来意図されたこととは全く無縁なことだけがちまたで横行している。しかし、古代、天空のしるしは神の御旨を告げる手段と捉えられてきた。
星座と福音との関係に新たな関心がもたれるようになったのは、ほんの西暦1800年代以降のことで、星座をはじめ森羅(しんら)万象の解釈があまりにも世俗化してしまったため、今日、神が創造の最初にどのようなメッセージを星座、星群に託して配置されたかを真剣に受けとめようとするキリスト者はほとんどいない。しかし、星は「神の栄光を語り告げ」ており、時節を知るいろいろな手段が発明、開発された今日も季節を知る暦として有益であることに変わりはない。

もっとも、天空の万象から未来に関する新たなメッセージを引き出そうとしたり、依存することへの危険を聖書が警告していることも前もって、告げておかなければならない。イエス・キリストが救い主としてこの世に来られ、キリストを証しする旧・新約両聖書が神の最終的な啓示の書として示された今日、神の真理を知るために、「神の言葉」なる聖書以外にどんなしるしをも求めてはならないのである。
聖書が唯一の啓示の書、神の真理の拠り所であることを強調した上で、星座に託された驚くべきメッセージに目を向けることにしよう。…


このように、9月23日には、天空の「おとめ座」の上部に位置する「しし座」の一等星レグルスから、おとめ座の足下に位置する「月」にかけて、金星、火星、水星、太陽、木星が一直線に並び、しし座を構成する九つの星と金星、火星、水星の三つが加わった十二の星が、おとめの頭上で、「十二の星の冠」を形づくることになります。
興味深いことに、惑星の「王」とも呼ばれている惑星の中でも一番大きい木星は、2016年11月におとめの腰に入った後、2017年8月にかけて腰部で少しずつ移動し、円を描いた後、十ヶ月後の9月23日、足から抜けるようにして産み出されるのです。
ギリシャ文化圏では、この木星は「公義と正義の表れ」の意の「シディク」と呼ばれているそうで、おとめが産み出す人類の救い主、王の王たるイエス・キリストを象徴するにふさわしい惑星といえるのです。

サタンは終末末期、ヤーウェを信じるユダヤ人と、キリストを「救い主」として信じたキリスト者を攻撃しますが、天から追い出されたサタンの地上での行く末はただ滅びです。サタンの滅びは、黙示録をはじめ全聖書に明確に預言されていますが、まず天界からのサタンの放出は、毎年10月の初めに起こる天体現象「ドラクロス流星雨」になぞらえることができるのです。
2017年のドラクロス流星群は10月8日にピークに達し、夕暮れ直前に見ると、まさにサタンが天界の三分の一の堕天使とともに地に放り出されるのを象徴するかのような竜座流星群が夜空に広がるのを見ることができるようです。北極近くで体を捻じ曲げひどい苦しみにもがいている竜は円周の三分の一を占める長い星群でできており、まさに敗北のサタンを象徴しているのです。

12章1-2節の天体現象は、2017年は9月21日のイスラエルの例祭の秋の「ラッパの祭り」の後起こり、ドラクロス流星雨は10月5日から七日間の「仮庵の祭り」の間に起こることになり、キリストの再臨を待ち望む声が高まっていますが、イスラエルに関して、神はどのようなメッセージを語っておられるのでしょうか。

#259: RUSSIA ISSUED A RULING TO BAN JEHOVAH’S WITNESSES

RUSSIA ISSUED A RULING TO BAN JEHOVAH’S WITNESSES

Can we regard this organisation’s persistent resistance to the authority as a case that Paul argued, or, is this ruling an ominous signal of the overture of the persecution of an organised church before the Second Coming of Christ? ...

Let everyone be subject to the governing authorities, for there is no authority except that which God has established. The authorities that exist have been established by God. Consequently, whoever rebels against the authority is rebelling against what God has instituted, and those who do so will bring judgment on themselves. For rulers hold no terror for those who do right, but for those who do wrong. Do you want to be free from fear of the one in authority? Then do what is right and you will be commended. For the one in authority is God’s servant for your good. But if you do wrong, be afraid, for rulers do not bear the sword for no reason. They are God’s servants, agents of wrath to bring punishment on the wrongdoer. Therefore, it is necessary to submit to the authorities, not only because of possible punishment but also as a matter of conscience. This is also why you pay taxes, for the authorities are God’s servants, who give their full time to governing. Give to everyone what you owe them: If you owe taxes, pay taxes; if revenue, then revenue; if respect, then respect; if honor, then honor.
Let no debt remain outstanding, except the continuing debt to love one another, for whoever loves others has fulfilled the law. The commandments, “You shall not commit adultery,” “You shall not murder,” “You shall not steal,” “You shall not covet,” and whatever other command there may be, are summed up in this one command: “Love your neighbor as yourself.” Love does no harm to a neighbor. Therefore love is the fulfillment of the law.
Romans 13:1-10.

The principal messages contained in this chapter are the duties of subjection to magistrates, through love of one another. Duties relating to the civil magistrates require obedience to them, as verse 1 tells.
The civil magistracy, or government, is in place by divine appointment, and so, to obey them in all things of a civil nature, is to obey God. By contrast, to resist them is to resist God and so, the apostle Paul says: ‘those who do so will bring judgment on themselves’.
Paul also says that they are the executioners of God's wrath, and so, ‘it is necessary to submit to the authorities, not only because of possible punishment but also as a matter of conscience.’
Paul concluded Romans 13 with an exhortation to faith in Christ, and reminds us of our goal to be a likeness of Christ, and not to oppose the civil magistracy or government of this world.

In reality, however, the subject of the relationship between Christians and their government explored above is not so straightforward, and is often wrought with misunderstandings.
Questions have been raised, such as “Must Christians obey their government that is corrupt?”, “How do Christians relate to a secular government?” or “Do Christians have a dual citizenship, this world and heaven?”
In Genesis Chapters1-11, it is written that God ordained fundamental institutions; ➀man’s free will, ➁marriage, ➂family and ➃human government.
Due to the first institution, man is not a robot. Due to the second, divine order in human race is heterosexual reproduction. Due to the third, the responsibility for authority over the children lies in the parents, not the state, which means parents must teach their children to respect law, order and most importantly relationship with God and others. Due to the last, what God has commanded to be done should be observed, which Romans 13:1-7 explores.

When Christ answered the penitent criminal who was crucified beside Him, He demonstrated the fundamental truth that all men are under authority of the government in this world and salvation for confessed believers of Christ in the next, i.e., the other side of the present world:
‘One of the criminals who hung there hurled insults at him: “Aren’t you the Messiah? Save yourself and us!” But the other criminal rebuked him. “Don’t you fear God,” he said, “since you are under the same sentence? We are punished justly, for we are getting what our deeds deserve. But this man has done nothing wrong.” Then he said, “Jesus, remember me when you come into your kingdom.” Jesus answered him, “Truly I tell you, today you will be with me in paradise”’ (Lk. 23:39-43). 
There seem to be quite many believers who confuse those two, i.e., the human authority in this world and future under God’s authority.

The following article is an excerpt regarding the latest unexpected news to hit the world. The powerful Russian Orthodox Church has spoken out against Jehovah’s Witnesses as being a “destructive sect”. Members of the Jehovah’s Witnesses are globally known for preaching using door to door visits, where they offer their religious literature and attempt to convert people.
The article tells us that in Russia the group has had several run-ins with law enforcement in recent years. Can we regard this organisation’s persistent resistance to the authority as a case that Paul argued, or, is it an ominous signal of the overture of the persecution of an organised church before the Second Coming of Christ?

‘Russia bans Jehovah’s Witnesses as “extremist”’ (AFP) published onThursday 20 April 2017. 
MOSCOW: Russia’s Supreme Court issued a ruling Thursday banning Jehovah’s Witnesses and seizing their property after the justice ministry called on it to dissolve the Christian group as an “extremist organization.” Supreme Court judge Yury Ivanenko said Russia had decided to close down “the administrative center of Jehovah’s Witnesses and the local organizations in its fold and turn their property over to Russia.” The decision comes after the ministry said it had found signs of “extremist activity” within the religious movement and requested that it be banned. “They represent a threat to the rights of the people, to public order and public safety,” Russian news agencies quoted justice ministry representative Svetlana Borisova as saying. The religious movement, which has 395 centers across Russia, has vowed to appeal the decision. “I’m shocked,” Yaroslav Sivulsky, who represents the group’s administrative center, told reporters. “I didn’t expect that this could be possible in modern Russia, where the constitution guarantees freedom of religious practice.” … In 2004 Russia dissolved the Moscow branch of the Jehovah’s Witnesses. The European Court of Human Rights ruled in 2010 that the move had violated the right to freedom of religion and association. The Moscow branch at the time had been accused of breaking up families, inciting its members to suicide and endangering their lives and health by not allowing its members to have blood transfusions.
(http://www.arabnews.com/node/1088171/world)

クリス・ドーン師の「レントのメッセージ」

宇宙の究極的な神意

クリス・ドーン師の「レントのメッセージ」
4月16日、イースターに向けて

2017年4月14日(金)英国BBC4ラジオで放送、15分間のスピーチ
〔3月1日(水)、日本、六本木で収録〕

四十日間のレントとイエスの断食

イエスの四十日間の断食を覚えるレントの時期がやって来た。
イエスは、この世の煩わしから離れ、荒野に行かれた。食物、友人、家族から離れて。
私はこのことを畏敬の念で見る。私は目覚めている間中、ほとんどオンライン接続をしている。食べることが好きだし、一刻一刻変わる刺激ある二十一世紀の速いペースの人生が好きである。
私は今、東京に住んでいる。このことをあらゆる形で、強調したい。
明るく輝く電灯、ひらめくネオン、音の壁が身体への打撃のような地区がここにはある。
二歩進むともうそこに、別の拡声器、メガスクリーン、あるいは、群衆がいる。私はこれが大好き。食べ物、友達、家族、楽しい…
これらから離れて何とか一日を過ごすことができたが、一ヶ月以上、これらを捨てる意志の強さを持つということなど、私には想像もつかない

イエス、神の子、メシヤ

聖書には、当時の驚くべき話の断片が記されている。
それは、ちょうどイエスが公に神の子、メシヤ、―イスラエルのすべてが待ち望んでいた方― として確認された後のことである。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と宣言された神の声で。
大きな期待がイエスの上にあった。
この人は、自分の民をどのように解放するつもりなのだろうか?この人は、ローマの圧政を追い払い、平和を回復する、勝利の王だろうか?この人はどのようなメシヤになるつもりなのだろうか?この人は、どのようにこの宿命を成し遂げるだろうか?

東京にいる理由

それゆえ、イエスにとって、この荒野でのできごとは、実際「神の子」としてのアイデンティティで始まったのであった。このアイデンティティの疑問「わたしはだれか」は、おそらく、もっとも基本的であるが、しかし、答えるのにもっとも難しい質問である。
私たちは自分自身を多くの異なったことによって定義する、―仕事、家族、信仰―。私はといえば、私は天文学者、宇宙の衛星を用いてブラックホールの研究に取り組んでいる。これが、私が東京にいる理由である。
私は、昨年打ち上げられた日本の新衛星からのデータをどのように用いるかを計画していたチームの一員であった。
そう、私は、ロケット学者。このことは、パーティーで自己紹介をするとき、いつもよく受ける。私は既婚で、夫は数学者。といって、二人が同じ反応を示すわけではないが!しかし、仕事も関係も永久には続かない。

予期しないことに直面

私はむしろ劇的な方法で、予期しないことに直面することになった。
私は、新しい衛星からのデータに取り組むため、英国から一年間の「サバティカル(研究休暇)」を取ることになっていた。私がEメールを受けたのは、東京行きの飛行機に乗る直前であった。メールは、その衛星との無線連絡が絶たれ、何か極めて抜本的なことが衛星に起こった、というものであった。私の新しい仕事場での初日は、これまでの最悪の事態として記憶に残ることになるものであった。
私の友人と同僚が、日本がこれまでに打ち上げた最大の衛星を失ったという事実を甘受しようとしていたとき、ときは桜の開花の時期で、不似合いに楽しいピンクの花々の雲が咲き誇っていた。
それは、職業人生を築き上げるために彼らが年月を費やしてきたことであった。私たちは、新データによる発見と興奮、経歴を変える進展の七年間を期待していたのだ。私たちは三週間取り組んだ。人生のすべてのことは一時的、みな遅かれ早かれとり去られ得るもの、実際、とり去られるだろう。

私はキリスト者

それなら、私たちのアイデンティティを何かもっと確固としたものの上に築くほうがよい。
私はキリスト者、―科学と信仰が両立しないと考えている人々には、驚きのようだが― である。現代科学は確かに、文字通り六千年前の「六日間の創造」に反証を挙げてきたが、私は、この「六日間の創造」を創世記の最初の数章の唯一の解釈とは捉えていない。
教父であり、偉大なる神学者の一人に数えられるヒッポのアウグスティヌスは、西暦408年に、「創世記の文字通りの意味」と題する本を書いた。これは、「文字通り六日間の創造」に疑問を投げかけるのに科学を必要とするようになるはるか以前の書である。しかし、彼は「これがどんな類の日であるかは非常に難しい。おそらく理解することはできない」と書いた。そして彼は、私たちが、新しい証拠の光の下で、創世記をどのように解釈するかに関して、私たちの心を進んで変えるようにと勧めたのであった。
おそらく、アウグスティヌスはそのとき、「科学と信仰の対立」という考えには困惑したことであろう。私も同じである。

創造者なる神への畏敬の念

私には、広大な広がりと複雑で美しい宇宙、―そこに私たちは住んでいる― を知れば知るほど、この宇宙を創られた神に対し、ますます大きな畏敬の念が呼び起こされる。それゆえ、これは私のアイデンティティのどちらかといえば基礎的な一部である。
神への畏敬は私自身を、人生のはかなさを仮定するよりもむしろ、永遠で不変の関係の見地から定義する。聖書の言葉では、神は、何か時を超えた存在である。このことは、実際、天文学者としての時の見方によく共鳴する。
「ビッグバン」で始まった私たちの宇宙の起源は、単に物やエネルギーの爆発的な始まりというのではない。それは、空間と時の起源でもある。アインシュタインの重力、空間、時は、そこに宇宙が展開していく固定された背景というのではなく、むしろ、その進化のために不可欠な、ダイナミックな部分である。創造者がご自身の創造から分かたれた存在であるかぎり、同様に神は、現今の宇宙やそのほかの宇宙の時空の外側におられるのである。

イエスのアイデンティティ

イエスにとって、神の子としての永遠のアイデンティティの宣言は、神に愛され、神に喜ばれているとの確認によっても、与えられた。確認、是認、愛、これらはみな、私たちが必要とするものである。これらは私たちに、根底の安全保障を与える。
イエスは、続く年々で、この安全保障をご自分の基盤として持つことが絶対必要な状態になっておられた。群衆のむやみな称賛や名声がいやでも脳裏に浮かび、ほかの人々から押し寄せられる期待の圧力が強度を加えた数年間に。
イエスには、ご自分が神に愛されており、認められていることを知ることが絶対、必要になっていた。

あらゆる選択枝を開く根底の安全保障

しかし、これがあれば、あらゆる種類の選択枝も開かれる。イエスは、御子、―永遠で全能なる神、すべてのものを創られた方、すべての力を持っておられる方…のアイデンティティを分かつことになる世継ぎ― である。それゆえ、すべてのことに力を持っておられる神、―イエスを愛し、公にイエスを御子として確認され、イエスを喜ばれた神―は、間違いなくイエスのすべての祈りを聞いてくださるであろう。
そして、そのように、荒野でのイエスの話、―そこでイエスは、「自分の目的を達成するために神の力を用いるがよい」と、悪魔に三度試みられたのであった― は終わる。
これら三度の誘惑はすべて同じく、悪魔の挑戦、「あなたが神の子なら…」と、イエスのアイデンティティで始まっている。
果たして、イエスは、神の子としてのアイデンティティから生じる力をどのように使うだろうか? 
イエスの行く末は何か? 
どのようにしてイエスは覚えられたいと思っているのか? 

永続する影響

私たちはみな、何かのことで覚えられたいと願っていると、私は思う。私たちは、自分の人生が、家族や友人たち、あるいは、もっと広範なコミュニティー全体に何らかの影響を与えたいと願っているものである。人として、私たちは、町を造り、芸術作品を創作し、本を書き、衛星を打ち上げる…これらのことはみな、私たちの人生の痕跡を未来に残す。しかし、そこにどんな永続する影響があるのだろうか?
私の衛星は、三週間もっただけであった!おそらく、子どもたちのいる人々には、遺伝子を通して自分たちのある部分が永遠に伝えられていく、という考えがあるかもしれない。自分たちの子らの、また子らの子らが、私たちが決して見ることのないはるか未来を形づくり、経験することになる。しかし、これはどこまで行くことができるのだろうか?

長期的展望

天文学者として私は、長期的展望をすることができる。私たちは、太陽が、今からおよそ五十億年で、その核燃料に尽き、最終的な死に際して、拡大し、地球を蒸発させることを知っている。おそらく、そのときまでに私たちは宇宙旅行を開発しているだろう。おそらく、多少遠い未来には、ほかの星々の周りに植民地が存在し、そこで、私たちからの遺伝質がまだ役割を担っているかもしれない…
しかし、これらの星自体もついには、燃料が尽き、暗くなってしまうだろう。しかし、新星と惑星の形態が、銀河の中の気体とちりから生まれ、おそらく私たちはそこに移ることができるかもしれない。私たちの宇宙には、宇宙は再び崩壊するというのではなく、永久に膨張するであろうから、永遠の未来がある。
しかしその未来は、その過去のものとも現在のものとも同じではない。無限に膨張している宇宙では、すべての物質はついには、ますます拡散していく。銀河は新しい星を形成する気体が尽き、古いものは消滅する。ブラックホール、―私自身の心に近い主題― でさえも、ついには蒸発する。すなわち、生命を支えるためのエネルギー源の最後の可能性も失われる。おそらく、複数のほかの宇宙の存在が考えられる… 
しかし、この時点までに、皆さんのうちに何らかの形が見えてきたのではないだろうか。

生命の永遠の意義

私たちの生命は暗闇の宇宙では、時の永遠性に何の影響も感化も与えない。しかし、物理的宇宙の結末が私たちの究極的な行く末を決定するのだろうか?
私は、もし神がおられるなら、そのとき、私たちの生命はむしろ永遠の意義を持つことになると、信じている。もっと大きな心象について思案すること、永遠の光の中で私たちの生命の意義を思案することは、人の文化の中で一般的なことである。
ビードは、彼の初期の中世のテキスト、『英国人の伝道者的な歴史』の中で、異教徒のアングロサクソンのコミュニティーにやって来たキリスト教宣教師のことについて語っている。彼らは、人生のはかなさを、つばめがミード・ホールの窓を通って飛んでくるようだと、述べている。鳥は、火明かりに飛び込み、向こう側の窓から飛び立っていくだけである。テキストは次のように語っている。
…内側にいる間、つばめは冬の大嵐から安全である。
しかし、短い晴天の期間ののち、つばめはたちまち視野から消える。
そして、冬から再び冬へと過ぎる。
そのように、人は地上にほんのわずかな間現れる。
しかし、後に続くことになっていること、あるいは、先立ったことを
私たちは全く知らない。

神にあるアイデンティティ

あるいは、聖書の『伝道者の書』の言葉によると、神は、彼らの時代に、すべてのものを美しくされた。神は、また、人の心の中に、永遠を据えられた。しかし、神が始めから終わりまでなさったことを推し量ることのできる者はだれもいない。もし物理的な現実がいつもそこにあるわけではないとしたら、私たちは、私たちの人生に意味があることをどのようにして推し量ろうか?
イエスは、ご自分の生命が究極的には、物理的宇宙によって定義されるものではないこと、しかし、ご自分のアイデンティティが神との関係にあることを知って、荒野に行かれた。そして荒野で、四十日間の断食の間に、ご自分の「神にあるアイデンティティ」が、全能で永久の神の力を確かに分かち持ったということであると知る時点にまで至られたと、私は思う。
少なくとも、イエスの最初の二つの試み、「この石がパンになるように、命じなさい」と「神殿の頂から下に身を投げ、御使いたちに支えさせなさい」を、私はそのように読んだ。
しかし、これらのことは、私を誘惑するような類の事がらではない。そのようなことが私の力の及ばないことであることを、私は知っている。
しかし、イエスは、これらのことで試みにあわれた。それは、イエスが完全に人でありながら、その基本的な本質が神である方として、それらの試みが、ご自分の力の中、手中にあることを知る時点にまで至られる必要があったからである。

物理的宇宙を超える永久の御国

しかし、その次の三つめの試みは、もっと直接的であった。悪魔は、イエスにこの世とすべてを与えることができると言った。一時的な、しかし美しいものすべてを。しかしイエスは、ご自分がこの世と永久の御国の両方の世継ぎであることを知っておられたので、立ち去られた。
イエスはご自分がだれであるかを、また、ご自分の行く末を知っておられた。このことは、内なる誘惑、―私たちすべても直面することになる見通し― を拒否する強さをイエスに与えた。イエスは、ご自分の生命を永遠のバランスの中で量られ、ご自分の選択、行く末を決められ、時にせよ、空間にせよ、無限がいかなるものであろうと、この物理的な宇宙よりはるかに大きなキャンバス上を重要とされた

神と共なる私たちの選び、私たちの行く末がある

私たちの一年の滞在が終わりに近づくにつれ、再び、日本では花々の開花時期である。桜はまだまだであるが、荒涼とした冬の後、早期の梅が春の約束をもたらしている。移り行く花の流れがその美しさを増すという考えは、何か、日本文化に極めて根深く埋め込まれたもののようである。ここでほんの三週間の間に出始めようとしているものがあり、木々におおわれているものがあり、落ちるものもある。
率直に言って、もし、衛星からの新しいデータを三週間以上得ていたなら、私は、新衛星の美しさにもっと感謝したことであろう! しかし、すべてのものは過ぎていく。
重要なことは、時にせよ、空間にせよ、無限がいかなるものであろうと、私たちが永遠のバランスの中で、私たちの人生を量り、この物理的な宇宙よりはるかに大きなキャンバス上に、「神と共なる私たちの選び、私たちの行く末がある」ということを知ることである。