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第231号 エペソ人5:22-33

「三つ拠りの糸」に象徴される三者の関係

すべての人間関係は、互いを強力に結びつける三人目の存在によって、不動、永続するものとなるのです。夫婦関係を永続する愛と揺るがない安全保障で堅く結びつける「第三のきずな」…

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自分がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、きよく傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。そのように、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛している者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。
エペソ人5:22-33

結婚、家族の意義

創造の秩序、文化、道徳基準をはじめ人の生活のすべての領域に適用されるようになった相対主義は、聖書に記されている創造者なる神の絶対基準を大きくゆがめ、人が生まれ持っている良心を急速に浸食し始めています。社会の最小単位といわれる家族、人間関係 ―夫婦、親子、兄弟、対人― 、結婚、子育ては、天地創造以来、神の大家族構想を破壊し、自らの王国を打ち立てようとの野心にとりつかれたサタンの攻撃を受け続けてきた領域です。
昨今、世俗の心理学、哲学、社会学、医科学によって、聖書が語る結婚、家族の意義は破壊され、あまりにも歪められてしまっています。絶対基準がほとんど語られなくなった結婚について、聖書の定義を今一度認識することは、二人三脚の新しい人生を正しい土台の上に築きあげたいと願っている人たちには、欠かせないことです。
結婚は、創造の初め神ご自身が設立された、人にとって重要な人生の里程標です。神に祝される結婚生活を送るためには、まず、創造の秩序、神の御計画を正しく把握する必要があるといえるでしょう。

冒頭に挙げたくだりで、使徒パウロは創世記2:24を引用して、聖句
「人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる」(下線付加)
の奥義の重要さに言及しています。ヘブル語聖書には、ユダヤ教徒にとって最も重要な神の言葉の一つに数えられている‘シェマ’「聞け、イスラエル」のメッセージの中に、
「主は私たちの神。主はただひとりである」(申命記6:4、下線付加)
という聖句があります。ここで「ただひとり」に用いられているヘブル語‘エハド’と同じ用語が、パウロが引用した聖句に用いられているのです。このように、神が設立された結婚、人間関係には、三位格の神の美しい相互関係が反映されているのです。

三つ拠りの糸

三千の「箴言」を書いたというダビデの子ソロモンは多くの興味深いメッセージを残していますが、箴言4:9-12は、夫婦関係として読むと意義深い洞察を得ることができます。
「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりではどうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ拠りの糸は簡単に切れない」(下線付加)
この世の出来事を注意深く観察したソロモンは、交友関係、夫婦関係の大切さ、仲間と一緒に物事に取り組むことの大きな価値を見いだしたようです。
このくだりを王の通商路、いわば公道を行き来する巡礼者たちの行動から得た結論と捉えるなら、二人でともに労働、共有することの利点、―より多くの仕事量、よりすぐれた効率、より大きい報酬、利益、より速やかな難題克服、励まし合い、労わり合い、より大きな安心感、慰め合い、喜びの分かち合い等々― が発見されたのでした。
同様に、夫婦関係と捉えることもでき、少なくとも五つの永続する関係に言及されています。互いを助け、支え、最後まで信頼関係を維持していくとき、このような数々の益を達成することができ、互いに恩恵にあずかることができるのです。
ここには、「ひとり…ふたり…三人」でクライマックスに達する構成の、ヘブル文学における典型的な強調法が用いられていることからも明らかなように、最後の「三つ拠りの糸」に象徴される三者の関係は一番の重点です。すべての人間関係は、互いを強力に結びつける三人目の存在によって、不動、永続するものとなるのです。夫婦関係を永続する愛と揺るがない安全保障で堅く結びつける「第三のきずな」は、「神の言葉」、主イエス・キリストご自身です。

神の掟

ソロモンは、御言葉、―神の言葉― について、
「わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ」(箴言6:20-23、下線付加)
と、教えました。ここで用いられている用語「命令」は、ヘブル語では‘トーラー’で、両親が子らに伝承する教え「神の掟」、律法です。
人生に確かな指針を与え、導く「神の掟」は、神を恐れるイスラエル人の家庭教育の基で、今日も‘トーラー’の暗唱は教育の一環なのです。
「教え」、「おしえ」、「訓戒」はすべて、神の掟を異なった言葉で表現したもので、人を生命へと導く神の道を照らす「ともしび」も「光」も、源はすべて「神の掟」、すなわち、「神の言葉」なのです。
ユダヤ教徒は「手の上のしるし…額の上の記章」(出エジプト記13:9)として、テフィリンを額から片腕に巻きつけ、祈りのショールを羽織って祈りをしますが、これは、内に保った神の掟を外に表したものでした。
内も外も御言葉、健全な教えに支配された信徒には、掟と教えの光に照らされ、軌道修正され、その諸活動は完全に神に導かれ、この世の誘惑からも守られる祝福の人生が約束されたのです。

エペソ人への手紙』から冒頭に引用した箇所は、
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」
で始まる『コロサイ人への手紙』3:16-25と共通したメッセージが語られている箇所です。
神の言葉、―掟と教え― と、賛美歌、―心の底から湧き出る感謝の歌― にあふれた人生とは、愛にあふれ、キリストの歌に満ちた力強い人生です。
聖書を通しての神の知識と、賛美歌を通して心の喜びを神に表現する賛美、礼拝は、人生に欠かせない生命の真髄ですが、神の知識なくして心から湧き上がる賛美をすることはできないので、ソロモンが先に引用した箴言で子に命じたように、「神の教え」、聖書の知識が人生にとって不可欠なものになるのです。

キリストをかしらとする家族

パウロが『コロサイ人への手紙』を60-62CE 頃、ローマで牢獄に入れられていたときに書いた理由には、当時、コロサイの町に生じた異端を正す必要に迫られたという事情がありました。そのような状況下でパウロがもう一度確かにしておきたかったことの一つは、神が地上に最初に樹立されたのは「家族」、―キリストをかしらとする家族― であったということでした。
ある統計によると、1980年代から家庭崩壊が始まり、社会の秩序も崩れ始め、今日はそれに拍車がかかっているとのことですが、聖書は、やがて人間が築き上げた文明やすべての国家組織が崩壊する時代が訪れることを預言しています。
神の御国の到来は信徒には最大の喜びですが、しかし、この世に生ある間は現今の神の秩序に従って生きることを、神はすべての人々に望んでおられるのです。

神は、国家に政治体制を敷かれたように、妻に「主に従うように、自分の夫に従いなさい」と命じられ、家庭の中にも支配体制を敷かれました。妻は夫に従うことによって、夫のかしらであるキリストに従うことになると、主は言われたのでした。
サタンが最初の人間を誘惑したとき、エバはアダムの地位を奪い、人類に罪を導入することになりました。人間史を見ると、神の秩序によって定められた領域を離れた女性によって、教会が破滅、カルト教団誕生に追いやられた例がたくさんあり、キリストご自身の啓示、黙示録の七つの教会への警告からもその実態を知ることができます。
しかし、正反対に、神の御旨に従い、役割を成し遂げた女性たちも聖書には多く登場し、キリストはそのような女性たちに囲まれ、地上でのミニストリーの財政支援を受けられたのでした。ヘブル語(旧約)聖書では、箴言31:10-31に、神の御旨を行う女性の模範が記されています。

キリストが言われた「夫は妻のかしらである」は、しかし、この世が解釈するような、夫が暴君として立ちはだかるという意味ではなく、夫の愛、導き、指針、養い、守りが妻を十分に喜ばせ、安心保障を与えるものであるということです。
キリストと夫(花婿キリストと花嫁教会)との関係が、夫と妻との関係に対照させられていることから明らかなように、両者は対等な相棒というのではありません。教会がキリストの権威に従わなければ、破滅するように、妻が夫の権威に従わなければ、家庭は崩壊するのです。このことから思い起こされるのは、
「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません…キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう…神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう」(コリント人第二6:14-18)
で明確に警告されている教えです。
この箇所は多くのキリスト教指導者たちが、クリスチャンはクリスチャンと結婚しなければならないと、断定的に決めつけている箇所ですが、聖書の他の箇所に記されているように、「不信者」の定義が「未信者」、―まだキリストを救い主として受け入れていない者― ではなく、不信仰に陥っている信者、神から離れてしまった、すなわち、ベリアル(サタン)に関わるものとなった者の意ですから、配偶者の信仰を理解し、聖書を学ぶ姿勢のある者は、「不信者」とはみなされないことになるでしょう。
むしろ、二人のクリスチャンが神の御旨でない結婚をする場合に、この聖句は適用されるべきでしょう。神が制定された結婚の神聖さが失われて久しくなりますが、さまざまな理由でクリスチャンが独身のままでいることも、神の御旨であることを知ることは重要です。

神が設立された結婚

聖書では「愛する」ことは、アブラハムがひとり子イサクを捧げよとの神の御命令に信仰によって従ったこと、また、神が、人類を罪から解放し、永久の生命に生きるように、ひとり子イエス・キリストを最初で最後の究極的、完璧ないけにえとして捧げてくださったことに象徴され、定義される犠牲的な献身の行為です。
キリストが教会を愛し、御言葉と真理で聖め、聖なるものとして完成させてくださるように、夫は自分自身を満たすかのように妻を犠牲的に愛し、養い、ともにキリストの教会として受け入れられるようにする役割を果たす責任があるのです。
このように結婚は、キリストと教会との一体という深遠な真理、奥義を反映した聖い関係なのです。

Yさんの証し その12

2014年12月27日

頌主
Happy Christmastide!

メールをありがとうございました。
22日の朝に無事産休前のシフトを終えることができました。皆さまのお祈りと主の御守りに心から感謝申しあげます。
一気に疲れが出て22日の夜勤明けはクリスマスの買い出しも忘れ、夜まで眠ってしまいました。
23日のお昼に助産婦検診に行くと、私のお腹の大きさの成長が予測に追いついていない、と言われ、24日に市民病院で超音波検診を受けるよう言われました。
24日、超音波検診では異常なしとの報告を受け、主に感謝(Thanks be to God!)。
スーパーがこの先二日間ほど閉まるためあわてて買い出し、食事をいただいて、Midnight Mass(夜半のミサ)、―23時30分~翌朝2時― まで横たわり参列いたしました。
25日の午後は六十代の独身の同僚の方が訪ねて下さり、クリスマスを祝いました。
26日、やっと腰を据えて聖書を開く時間が持てました。

ハヌカの祭り

御存知のように、今年は12月16日~24日がChanukah(ユダヤ教「ハヌカの祭り」)でした。

セレウコス朝シリアのアンティオカス王の支配下で始まった、凄(すさ)まじいユダヤ人迫害と、律法の教えを守るため何千人というユダヤ人が殉教した歴史を、聖書外典のMaccabees(マカバイ記)は伝えています。武勇で知られたMaccabeeと呼ばれたJudah(ユダ)、―司祭Mattityahu(マタティア)の息子― と一族は、数でも武力でも優勢を誇ったシリアを破り、Jerusalem (エルサレム)を開放、荒らされた聖所をきよめ、新たな祭壇を立て直します。
シリア軍に奪われた金のメノラーの代わりに代替金属でメノラーを作り、灯をともそうとしたものの、聖封されたオリーブ油は一日点灯するのがやっとの分量でした。
しかし、主の奇蹟的なご介入により、この一日分の油が、新たに聖別された油が準備されるまでの八日間燃え続けたということです。

主からいただいた律法を守るために死すらも厭(いと)わなかった何千というユダヤの民、そしてその情熱にお応えになった主の奇蹟の数々を思うと本当に胸が熱くなります。

Maccabeeという言葉は‘Mi Kamocha Ba’eilim Hashem(Who is like You, O God)’の頭文字から来ていると聞きました。そして数ヶ月前にHebrew語の授業で“Mi Kamocha”というPrayerを習ったのを思い出しました。
‘Who is like thee, O, LORD, among the mighty? Who is like thee, glorious in holiness?…’
モーセをはじめ、ダビデ、ソロモン、預言者たちは異口同音に、
「主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇(くす)しいわざを行うことができましょうか」(出エジプト記15:11)
と、イスラエル史への神の驚くべきご介入に感嘆の歌を口ずさんだのでした。

イエさまは、我々の罪を贖うために、人間の赤子として、へりくだられて静かにご降臨されました。聖母マリアは命がけで主を身ごもり、父ヨセフは御使いの言葉を信じ、マリアと幼子を守り通しました。“Mi Kamocha:Who is like thee, (O, LORD)?”
主の奇蹟の数々に心から感謝して、私も新年を迎えたいと思います。

皆さまの上に、主のお守りと恩寵が豊かに注がれますように!

Y

エルサレムの神殿研究所(The Temple Institute)の最新情報

今年、エルサレムの神殿研究所では、二千年にして初めて、神殿のメノラ(六枝の燭台)に灯をともすために使用する純粋なオリーブ油を精製するという画期的な出来事が行われました。

2014年の「ハヌカの祭り」(「宮きよめの祭り」ヨハネ10:22)は、12月16日の日没から24日まで祝われました。
モーセが導入した七つのイスラエルの「主の例祭」の中には挙げられていませんが、Yさんのメッセージにあるように、マカバイ家と心を一つにしたユダヤ人たちによる、エルサレム神殿奪還の快挙、神の奇蹟の記念祭として、キリストの時代には恒例の祭りとして祝われていました。
都エルサレムの隅々まで明かりがともった、「光」の祭りとして知られている「ハヌカの祭り」は、また、「油」の祭りで、「ハヌキヤ」と呼ばれる八枝のメノラに灯をともして祝われます。

エルサレムの神殿研究所では、近い建立を見込んで、エルサレム第三神殿のメノラを灯すために用いるオリーブ油を精製しました。実施に至るまでには、綿密な計画が建てられ、大変な年月がかかったようです。
厳密な掟に従って、まず、化学肥料を一切使わない有機農法で育ったオリーブが収穫され、その同日に、金属との接触がないようにと考案された圧縮法で精製されました。
オリーブの収穫期はちょうど十二月で、今年は、ゴラン高原のラモトの町をはじめとする農園で、上旬に15㎏の収穫を得、4.5ℓの油が精製されたのでした。
精製油を保存する陶器のフラスコは、オフラの居住地の職人によって、金属を使わず作製され、フラスコに移された油は、純度を保つためにシリコンの栓で密封されました。

今年は、この新鮮なオリーブ油も、「ハヌカの祭り」の七日目、12月22日の夜の呼び物、シオンの門からエルサレムの旧市街を通って神殿研究所に至る祭りの行進に加わったとのことです。

絶えない紛争にもかかわらず、エルサレムでは、‘トーラー’「モーセ五書」を信奉するユダヤ教徒らによって、第三神殿建立の準備は着々と進んでいるようです。

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Yさんの証し その11

2014年12月11日

頌主。

8日、月曜日にシフトが終了し、早速お返事を出そうと思っておりましたが、大変遅くなり、申し訳ございませんでした。今月のフルダレターを有難うございました。いつも楽しみに致しております。

先週、自社ビルの完成に伴い、新社ビルに移動、通勤のbusが少し変わっただけですが、想像以上に体力を消耗してしまい、月曜はほとんど眠ったまま目も覚まさず、火曜日を迎えてしまいました。来週一週間のシフト後、産休を22日から頂くこととなりました。2015年7月の職場への完全復帰まで、しばらくは育児に専念させていただくことになります。主のご配剤と天佑、お導きを信じて委ねてまいります。

聖書という揺るがない道標

今、世界中で起きている社会の不穏な動きや天災、若い世代の方々が想像以上に「精神的病い」(うつ、ひきこもりの急激な増加、注目を浴びるためや憂さ晴らし目的で面白半分弱者をいたぶったり襲ったり、放火をしたりを繰り返すなど)に侵(おか)されていることを見るにつけ、おぞましいものを感じます。もはや、常識的な個人の「良心」という言葉も通用しない、そんな時代が到来したのかもしれません。
聖書という揺るがない道標無しでは、自分をたとえしっかり持っているつもりでも、いつの間にか世間の潮流に飲み込まれてしまいかねない、そんな危機感を抱く毎日です。ただ、若い世代の方々や、この世の競争社会を生き抜き、栄達をつかむことに日夜必死な方々は、このように現状を捉えることを「弱者の戯言(ざれごと)」と一蹴(いっしゅう)されるかもしれません。彼らの「弱肉強食」、「成功第一」の哲学にしっくりいかないからでしょう。

聖書は、「良心」を意図的に歪める生き方を習慣的、挑戦的に続けるとき、その者は「死罪に当たる」と、厳しく警告しています。人は神に反逆する道を自ら選ぶことによって滅びるのです。しかし、同時に、憐れみの神は、悔い改め、キリストによる救いを受け入れる者をみな、救ってくださいます。
また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。
彼らはそのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。
ローマ人1:28-32
聖書から得られる大きな慰めの一つは、こういった「曲がった邪(よこし)まな時代」(ピリピ人2:15、新改訳では「曲がった邪悪な世代」)が今に始まったことではなく、聖書のあらゆる時代に何度となく遭遇されてきた危機であり、主に寄りすがり、主の救いを信じ、教えを守って患難を耐え忍んですでに眠りについた先人達が、今、復活の日を待ちわびながら、私たちに聖書と主の聖霊を通して、絶え間なく警告を発してくださっていることです。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
ヘブル人12:1-3
『ヘブル人への手紙』の著者は、11章に続いて12章でも、キリスト信徒を、賞を得ようと懸命になっている競技者とみなしています。この競技は、キリストを受け入れ救われた日から、肉体の死まで続くのです。ここで、キリストにある競技者は、11章で語られた旧約時代の多くの証人たちを見、ユダヤ教の因習や、背信の罪を捨て、キリストに目を据えて生きるようにと勧められています。
キリストがすでに通ってくださった、死に至る生涯のすべての苦しみの一つひとつを思いおこし、「神の言葉」、聖書に黙想するとき、信徒は、主が元気を失わないようにすでにすべてを備えてくださっていたことに気づかされるのです。主の備えは完全です。
私たちが、神が愛する者を懲らしめられること、また、懲らしめは父子の密接な関係のしるしであることを体験から知り、神の御旨がいつも「子の成長」であることを確信できるとしたら、それは私たちが紛れもなく「神の子」であるという証拠なのです。

生涯の課題は「慈愛の灯」を持ち続けること

先日、両親に便りをしたためるため、聖書を開きました。
マタイ24:10、24:12とピリピ人2:14ー16、黙示録2:4などが心に留まり、自分の愛の冷えに再び気づかされています。「この世の中にあっても心の中に残っている慈愛の灯が決してかき消されることがないように」、これが私の生涯を通しての課題、かつ、祈りです。

クリスチャンの信仰生活というのは、Hさんが仰るとおり、つまずきの連続で、主の慈愛にすがり、悔い改め、また主にある兄弟姉妹の助けを借りながら、そこから何度も這いあがっていく毎日の連続だと知り、有り難く思うようになりました。こんな私でも変わることなく愛してくださる主と、キリストの御名にある兄弟姉妹に、心から感謝いたします。

皆さまの上に、主の祝福が豊かにありますように。

第四回 ヨシェルの会のご案内

第四回「ヨシェルの会」のご案内です。

ヨシェルの会も12月で第四回目になります。イサクを捧げる話し、創世の最初に連なる名前が告げる不思議なメッセージ、偽預言者バラムが山頂から見たものは…まさに不思議な宝に満ちた聖書の旅でした。
さぁ、今回はどんな宝と出会えるのか?

開催日は、特別に12月16日(火)10時からとなります(通常は第四週目の火曜日ですが、今回は第三週となります。お間違えのないようにお願いします)。
皆様のご参加をお待ちしています。

・場 所 : 町田市民文学館"ことばらんど"
・会 費 : 300円
・連絡先 : yosheru.119.7@gmail.com

また、ヨシェルの会ではお一人でも多くの方に聖書の素晴らしさを知っていただくために、現在ホームページを作成中です。毎回の学びの資料とF先生の講義内容を音声で聞けるようにしたいと思っています。ご期待ください。



#230: WHAT DO YOU SEE IN TRUE GOD’S PEOPLE AND HIS COMMUNITY?

WHAT DO YOU SEE IN TRUE GOD’S PEOPLE AND HIS COMMUNITY? 

What is naturally reflected upon God’s redeemed people, or what those who look on His faith community at a distance actually see in it is more important than individual believer’s faith profession...
The testimony of the missionary nurse who survived the deadly Ebola virus reveals how the Lord brought back into her mind His Word and His peace in the darkness...
Now when Balaam saw that it pleased the LORD to bless Israel, he did not resort to divination as at other times, but turned his face towards the wilderness. When Balaam looked out and saw Israel encamped tribe by tribe, the Spirit of God came on him and he spoke his message: ‘The prophecy of Balaam son of Beor, the prophecy of one whose eye sees clearly, the prophecy of one who hears the words of God, who sees a vision from the Almighty, who falls prostrate, and whose eyes are opened: ‘How beautiful are your tents, Jacob, your dwelling-places, Israel! ‘Like valleys they spread out, like gardens beside a river, like aloes planted by the LORD, like cedars beside the waters. Water will flow from their buckets; their seed will have abundant water. ‘Their king will be greater than Agag; their kingdom will be exalted. ‘God brought them out of Egypt; they have the strength of a wild ox. They devour hostile nations and break their bones in pieces; with their arrows they pierce them. Like a lion they crouch and lie down, like a lioness – who dares to rouse them? ‘May those who bless you be blessed and those who curse you be cursed!’ Then Balak’s anger burned against Balaam. He struck his hands together and said to him, ‘I summoned you to curse my enemies, but you have blessed them these three times.  Now leave at once and go home! I said I would reward you handsomely, but the LORD has kept you from being rewarded.’ Balaam answered Balak, ‘Did I not tell the messengers you sent me,  “Even if Balak gave me all the silver and gold in his palace, I could not do anything of my own accord, good or bad, to go beyond the command of the LORD – and I must say only what the LORD says”?  Now I am going back to my people, but come, let me warn you of what this people will do to your people in days to come.’ …… ‘I see him, but not now; I behold him, but not near. A star will come out of Jacob; a sceptre will rise out of Israel. He will crush the foreheads of Moab, the skulls of all the people of Sheth. 
NUMBERS 24:1-17.

Balaam looked out from the top of Peor, near Pisgah and saw Israel encamped tribe by tribe in the plains of Moab. Then the Spirit of God came upon him and he uttered his oracle. He was stricken by its beauty, where he unmistakably saw God’s power over His people and their admirable order and harmony, despite their tents being weather-beaten, homely, and physically worn out. The very unity and harmony of God’s community is itself the most precious witness of Him to the world, to those who looked upon it at a distance.

The tribes of Israel encamped according to Moses’ instructions, as written in Nu.1-4: 
‘"The Israelites are to camp around the Tent of Meeting some distance from it, each man under his standard with the banners of his family." On the east, toward the sunrise, the divisions of the camp of Judah are to encamp under their standard…On the south will be the divisions of the camp of Reuben under their standard…Then the Tent of Meeting and the camp of the Levites will set out in the middle of the camps. They will set out in the same order as they encamp, each in his own place under his standard. On the west will be the divisions of the camp of Ephraim under their standard…On the north will be the divisions of the camp of Dan, under their standard…’ (Lines added).
This shows how precisely Israel’s camp was located. The twelve tribes of Israel were grouped into four camps, each of which consisted of three tribes, and they were rallied around the tribal banner of the lead tribe - the camp of Judah was east of Levites, the camp of Reuben was south of Levites, the camp of Ephraim west of Levites, and the camp of Dan north of Levites, all of whose centre was the camp of Levites.

With rabbinical precision, the shape of the camp was extended according to the numbers of the four tribal groups’ population with respect to cardinal direction only, i.e., east, south, west and north alone. This means that the camp of Levites was set up around the Tent of Meeting (the tabernacle) in the shape of square, and on each of the four sides, by the width of Levite’s camp, the other camps were encamped in four cardinal directions, with each camp’s length proportional to the total population in each camp. Rather amazingly, the resulting form of complying strictly with the instructions written in Nu.1-4 is that of a giant cross, which Balaam would have seen clearly from above as he looked out at the top of Mount Peor. Moreover, he would have seen the redeemed people’s abundance, blessings, tremendous power, security and eternal victory, which he expressed astoundingly in his oracles. 

Balaam remained the same, however, even after tasting God’s goodness and God’s people’s admirable unity and security. He took all the praise of his God-given oracle to himself and magnified himself by boasting of his own ability to receive God’s revelation and the fact that God chose him to reveal Himself. Thus, despite a direct encounter with the Lord Himself and having received His revelation, the pagan prophet Balaam did not open his heart to accept the Lord as His redeemer, who would sanctify him of his sins. He had neither true fear of God nor faith in Him because he did not love Him at all. Consequently, his pride, covetousness and questionable motivations came to open a door to the Devil’s scheme, and he was killed by the Israelites who fought the war of ‘the Lord’s vengeance’. Later chapters in Numbers reveal how Balaam counselled the Moabite king Balak to entice the Israelites to sexual immorality and idolatry; the worship of the ‘Baal of Peor’. As Balaam himself uttered in his oracle, the consequence of opposing God and His people was destruction: 
‘"Ah, who can live when God does this? Ships will come from the shores of Kittim; they will subdue Asshur and Eber, but they too will come to ruin."’ (24:23-24).
What is naturally reflected upon God’s redeemed people, or what those who look on His faith community at a distance actually see in it is more important than individual believer’s faith profession, as Balaam saw the reflection of the cross, God’s redemptive power and unity in the Israelites’ community. Shortly before her entrance to the Promised Land Canaan, up to that time Israel had at least kept His goodness and perfect order within her community until her sudden apostasy by Balaam’s seductive scheme in chapter 25. Paul’s warning might come to home to our heart: 
‘Do not be idolaters, as some of them were; as it is written: “The people sat down to eat and drink and got up to indulge in revelry.”… These things happened to them as examples and were written down as warnings for us, on whom the culmination of the ages has come. So, if you think you are standing firm, be careful that you don’t fall! ... So whether you eat or drink or whatever you do, do it all for the glory of God’ (1Co.10:7, :11-12, :31).
   The following article about Nancy Writebol’s and her husband’s testimonies well reveals how a Christ’s true witness is to be (Excerpted from ‘Ebola Is a Spiritual Battle: The missionary nurse who survived the deadly virus says medicine alone won't cure West Africa,’ interviewed by Morgan Lee on 15th Oct.’14, Christianity Today Magazine). 
Since the Ebola outbreak began this spring, nearly 10,000 instances of the virus have been recorded—and that number could grow to 1.4 million, says the Centers for Disease Control… The threat barely registered on Americans’ radar until SIM nurse Nancy Writebol and Samaritan’s Purse doctor Kent Brantly were both diagnosed in July. This week, the first person diagnosed with Ebola inside the United States died, and five U.S. airports announced they are instating screening procedures for travelers arriving from West Africa.
Writebol, who has previous experience working in Ecuador and Zambia, moved to Liberia with her husband, David, in 2013. Nearly a month into treating infected patients, Writebol learned she herself had contracted Ebola. After she and Brantly failed to improve in West Africa, they were flown back to the United States, where they both were treated with the experimental and controversial ZMapp antibodies. Both recovered fully.
Writebol and David, currently based in North Carolina, spoke with CT editorial resident Morgan Lee about treating Ebola, where God went during her illness, and her thoughts about those who protested her return to the States.
What is a Liberian hospital like during an epidemic?
In many of the hospitals, there was no protective gear, and nurses were working without gloves and masks. We [SIM] had the advantage of being partnered with Samaritan’s Purse, which had flown in everything we needed to protect our healthcare workers. But still there was fear of being in an isolation unit and working with people. It took time before nurses could see that, yes, they could be protected and go in and come back out and be disinfected.
How did culture affect how you provided health care?
It was hard on families, if they had a patient or family members who were dying of Ebola, to not be able to touch the bodies if they did pass away. In African culture, customarily, after death they do a body washing, so there’s a lot of touching. Once a person dies, that’s when the viral load is at its peak.
David: There’s also a good deal of stigma from the community. People would not take their family members to an isolation unit because they knew it would be regarded as a death sentence. Instead, they would try to keep them hidden at home.
Media have chronicled West Africans who believe so strongly in the healing power of faith that when treating or interacting with diseased friends and family, they have not followed Western medical practices. Did you find that to be true?   
David: We saw that. There were people advertising that if you drank this water or got a treatment from a local traditional healer, it would stop Ebola. It was difficult to convince members of the community, to help them understand that these other things are a detriment rather than a help. It’s really a question of confidence and trust.
How has the Liberian church reacted to Ebola?
Many churches are trying to help with Ebola education. For instance, in churches like the one we attended, Sunday morning is like any U.S. church, where you shake hands and greet people. But in the beginning stages of Ebola, right away pastors were saying, “We’re not going to shake hands.” They were greeting in different ways.
Why did local pastors follow the advice of the medical community?
They had trust and years of history with SIM’s Eternal Love Winning Africa (ELWA) Hospital being there. That’s not to say we didn’t have some who were not totally on board. But there was a relationship built between pastors working with our hospital and the church and our leadership.
When you’re trying to educate people, a lot of times it comes down to the relationship you have with leadership.
You mentioned a general distrust of Westerners. What does that stem from?
David: It probably has to do with the recent history of Liberia, in terms of the 15 years of civil war that ended in 2003. There was a general distrust of anybody and everybody. Money was coming in—and money is always a temptation—and Western support and finances would come into the country that never really reached the lower levels.
How did you wrestle spiritually with the fact that you contracted Ebola and lived while many of your colleagues did not?  
It is a wrestle. First of all, we don’t know the mind of God and why the Lord allowed me to survive and some of my African brothers and sisters not to survive. I just have to say that God is so great, and that we don’t know his mind and we don’t want to put him in a box: “This is how God should work or shouldn’t work.”
God has allowed us to survive, and there are many African brothers and sisters who are surviving Ebola. We give God glory for those who are surviving. But it’s like cancer or any disease: some survive and some don’t. I trust the Lord in what he’s doing and how he’s working. He’s brought awareness to the Ebola crisis, which has helped in getting a vaccine and a serum that can maybe help, and in raising awareness for the rest of the African countries that are suffering.
Did you ever ask God why you got sick?
I don’t know that I ever asked “Why, God?” or “Why?” I know that I received peace from the Lord. It doesn’t mean that there weren’t dark times. All of us in Liberia felt that the week that Dr. Brantly and I were really struggling, there was a spiritual battle going on—there were some very, very dark days. But also in the darkness, the Lord brought back into my mind his Word and his peace. The question I asked was, “How? How did I contract Ebola?” There’s no answer for that. We were taking all the precautions. That opens up a whole other set of medical questions: How long is Ebola living? Where did we pick it up?
To what extent had you already been thinking through these theological issues simply because you had been treating Ebola for several weeks?
I always felt safe going. I trusted the Lord that we were the hands and feet of Christ. I had experienced Christ’s peace way before I ever contracted Ebola. [After I got sick,] my relationship with the Lord deepened, knowing he was in control. He was in control of what was happening, and it was not a surprise to God. He has our days numbered.
There’s been a robust discussion in the States about the ethics of administering ZMapp to Western medical professionals, even though the virus had already begun to spread several months ago. What did you make of the debate?   
We were told about the ZMapp. We knew it had been an experimental drug and that it had never been tested on humans. We knew there was a question about whether it would be effective in us and our African brothers and sisters. There was also a question of what the ramifications would be if it was given to our African brothers and sisters. What if neither Kent nor myself survived? Those types of questions are not easily answered.
We did know there was a possibility that it could have an adverse effect on us when we took it—we knew that—yet we also knew we weren’t getting any better. Yes, afterward we knew there were many ethical questions: “Why did we receive it and not our African brothers and sisters?” That’s a hard question for anyone to answer.
Do Samaritan’s Purse and SIM provide the majority of healthcare infrastructure in Liberia?
Samaritan’s Purse and SIM were the only ones providing services to Ebola patients in Foya and Monrovia from early June until early August. They have handed over the Ebola treatment centers to the Liberian Ministry of Health and Doctors Without Borders. Other entities and hospitals depend upon the availability of staff willing to work.
Is it harder to fight Ebola when many of the medical professionals are not Liberian?
Our hospital had five Western doctors, but seven or eight Liberian doctors were serving alongside them. There is a real trust of ELWA, but just look at what happened in Guinea recently with the attack on healthcare workers. In different areas in Monrovia and different parts of the country, there’s a lack of trust in some expatriate healthcare workers.
How did you react when you heard about Americans protesting bringing you and Brantly back to the States?
Even here there is lack of knowledge about the virus. If you have somebody in isolation, and they’re in a plane that has an isolation pod and brought in by people who are in ppes [Personal Protective Equipment], there’s very little chance of someone contracting Ebola. Every precaution was taken. I liked what [Emory Hospital] doctor Bruce Ridner said: “They’re one of our own.”
Did you feel angry or frustrated toward those who protested?
No, I just thought, it’s people who don’t understand the situation. It’s an education issue even on our side of things. I’ve had Americans put their hands up and say, “Don’t come any closer,” even after the Centers for Disease Control announced we were Ebola-free. I have a very respectful fear of the Ebola virus. We need to take serious precautions.
Do you see yourself going back?
It won’t be in 2014. Possibly 2015. I would like to see the people we worked alongside and be able to encourage them. [But] we don’t know how this epidemic is going to go.
What did you learn in Liberia that might change how people react to the crisis?
Liberia is where God called us. We truly care about our West African brothers and sisters and what they are experiencing. We went to a Liberian church and had fellowship with them. Being part of the body of Christ was a blessing for us. We were at the elwa compound, where the hospital was as well as the radio station and school. There was a church there—not the church that we attended, we attended one of the Liberian churches in the community and so were able to get to know people within the community better too.
It’s a spiritual issue. We’re living in a spiritual battle for people’s lives and for people to come to know Christ as their Savior.

We hope all the blessings and peace of this special Season
Will light up your life with Faith, Hope and Love.
Wherever and Whoever we are,        
JESUS CHRIST is God’s Gift for us!

第230号 エゼキエル書23:2-31

多くの人々を魅了し、イスラエルをはじめ全世界制覇を狙う「アッシリヤ人」とは

昨今、シリヤとイラク、シナイ半島にイスラム教カリフ統治を宣言したイスラム過激派組織「イスラム国」が、インターネットを用いてアラブの若者だけでなく、世界中の若者にアラーの神の「聖戦」に加わるようにと、巧みに宣伝し、日本にもその志願者がいたことが明るみに出されましたが、中東、北アフリカを中心に、多くの若者たちの心をとりこにしているといいます。
現在「イスラム国」が支配している地域は、フランス語で太陽の意の「レバント」と呼ばれた一帯ですが、その歴史をさかのぼると非常に興味深いことが明らかになります...

「人の子よ。同じ母の娘である、ふたりの女がいた…その名は、姉はオホラ、妹はオホリバで、ふたりはわたしのものとなり、息子や娘たちを産んだ。その名のオホラはサマリヤのこと、オホリバはエルサレムのことである。オホラは、わたしのものであったのに、姦通し、その恋人、隣のアッシリヤ人を恋い慕った。彼らは、青色の衣を着た総督や長官で、すべて麗しい若い男たちであり、馬に乗る騎兵であった。彼女は彼らと姦通した…彼女はエジプト以来の淫行をやめようとはしなかった…それでわたしは、彼女が恋い慕う恋人たちの手、アッシリヤ人の手に彼女を渡した…こうして、彼女にさばきが下され、彼女は女たちの語りぐさとなった。
妹のオホリバはこれを見たが、姉よりいっそう恋情を腐らせ、その淫行は姉の淫行よりひどかった。彼女は隣のアッシリヤ人の総督や長官を恋い慕った…彼女は淫行を増し加え、壁に彫られた人々、朱で描かれているカルデヤ人の肖像を見た。それらは腰に帯を締め、頭には垂れるほどのターバンをつけ、みな侍従のように見え、彼らの出生地カルデヤのバビロン人の姿をしていた。彼女はそれを一目見ると、彼らを恋い慕い、使者たちをカルデヤの彼らのもとに遣わした。バビロン人は、彼女のもとに来て、恋の床につき、彼女を情欲で汚した…
それゆえ、オホリバよ。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、あなたの心がすでに離れ去ったあなたの恋人たちを駆り立ててあなたを攻めさせ、四方からあなたを攻めによこす…わたしが彼らにさばきを委ねるので、彼らは自分たちのさばきに従ってあなたをさばく…彼らは怒って、あなたを罰し、あなたの鼻と耳とを切り取り、残りの者を剣で切り倒す。彼らはあなたの息子や娘たちを連れ去り、残りの者は火で焼きつくされる。
…これらのことがなされるのは、あなたが異邦の民を慕って姦淫をし、彼らの偶像であなたの身を汚したからである。あなたが姉の道を歩んだので、わたしは彼女の杯をあなたの手にも渡す。エゼキエル書23:2-31

 神の視点から背信のイスラエル史を描き、裁きを宣告しているエゼキエル書20-24章から今月は23章を考察することにしましょう。預言者エゼキエルは、私情を二の次にして、背信の民、同胞に神命の重大さを象徴的行為で訴えましたが、神の憤りは、背信の民に対して恐ろしい懲らしめをもはや避けることができないところにまで達していました。エゼキエルは、神命を侮る民と無駄な口論をしないで、神のメッセージだけを告げる役割に徹することができるように、口がきけない状態に置かれていました。神は
「あなたの舌を上あごにつかせるので、あなたは話せなくなり、彼らを責めることができなくなる。彼らが反逆の家だからだ。しかし、わたしは、あなたと語るときあなたの口を開く…聞く者には聞かせ、聞かない者には聞かせるな」(エゼキエル書3:26-27)
と言われ、エゼキエルは、エルサレム陥落、神殿崩壊が現実となるまでの間、神が直接語られた言葉だけを民に告げ、黙々と象徴的行為で神の言葉を自ら実践することによって、反逆の民イスラエルにメッセージを伝えたのでした。その間に、聖霊に導かれて、包囲中のエルサレムを訪れ、超自然的にエルサレム神殿の中で密かに行われていた民の指導者の背信行為を覗き見る特異な体験も、エゼキエルには許されたのでした。超自然的な現象を鮮明に描写することができたエゼキエルの文筆の才は、冒頭に引用した23章にも発揮されています。

ここでは、首都エルサレムに代表される南ユダ王国の背信と、一世紀以上も前にアッシリヤによって滅びた、サマリヤを首都とした北イスラエル王国の背信とが、オホリバとオホラの霊的姦淫として見事に描写されています。オホラ、オホリバの名はともにカナンの地に満ちていた異教神崇拝の場、「高き所」の女性形で、これらの名自体にこの寓話の趣旨が反映されています。神ヤーウェを忘れ、カナン人の神々、偶像崇拝に陥ったオホラは、アッシリヤやエジプトにこびへつらい、同盟を結び、他方で、オホリバは、それだけでは飽き足らず、バビロンにも触手を伸ばし、同盟を結んだのでした。諸外国との同盟にうつつを抜かすということは、真の神ヤーウェに平安を求めるのではなく、この世の富国、強国に依存する迎合的国家体制を安全の拠り所としたということで、偶像崇拝に加え、紛れもないヤーウェへの裏切り行為でした。
オホリバの背信のおぞましさは、壁画、肖像画、目に見た異国情緒のあるもの何にでも惹かれ、理不尽に恋情を募らせていく過程の描写で、実に迫真に迫っています。ユダの王マナセはアシュラ像を神殿に安置し、アッシリヤ式偶像崇拝を取り入れましたが、一時的に、善王ヨシヤの宗教改革により取り除かれたものの、この異端はエルサレム神殿が陥落するまで、ユダに根づいたのでした。「青」はアッシリヤ人、「朱」はカルデヤ人特有の色で、迎合、おもねりでうまく世渡りしたユダの王エホヤキンは家の高殿を朱で塗ったのでした。ゆったりと流れるような多彩な衣を着、スカーフ、帯、ターバンを好んで身に着け、階級、位によって異なった装飾品で優雅に装っていたバビロン人の騎馬兵や戦車を操る武勇な姿は、ユダの民にとっては理想的な援護者に見えたのでした。

しかし、ユダが次から次へと相手を変え、淫行を重ねた恋人たちを、神は、ユダを打ち、懲らしめる道具として用い、ユダは慕いあこがれた国々によって滅ぼされると、宣言されたのでした。ユダの王たちは、バビロンに依存するか、エジプトに依存するかで揺れ動いていましたが、ユダ王国陥落に至る十四年間はエジプト志向に傾き、バビロンへの服従を四十年余に亘って告げたエレミヤの預言を無視し、バビロンに盾つく政策を採ったのでした。エホヤキム王は601BCE 、バビロンがエジプト攻撃に失敗した直後、バビロンに謀反を起こし、エジプトの上辺だけの助けの約束にしがみつきましたが、ユダ最後の王ゼデキヤが588BCEにバビロンに謀反を起こしたのも、エジプトの援助を当てにしてのことでした。しかし、このことがバビロン王ネブカデネザルを激怒させ、第三次エルサレム包囲を招き、586BCE、エルサレムは陥落したのです。エルサレムにも、サマリヤと同じ「杯」を飲む、すなわち、国家を失うという裁きが下ったのでした。「鼻と耳」に飾り物をつけ美しく装うことは、古代の近東の婦人たちのならわしでしたが、飾り物で一番美しく飾られるべき部分が切りとられるという過酷な懲罰は、近東諸国では、姦淫の罪に適用されたものでした。エゼキエルは、ユダに霊的姦淫に対する懲罰が下ることを、このように寓意的に予告、警告したのでした。

エゼキエルがオホラやオホリバを通して鮮明に描写した、人が未知の世界、異国風、新奇なものに惹かれ、理不尽に恋情を募らせていく過程の背後には、明らかに神への反逆を後ろ盾する悪魔的なそそのかし、誘惑の霊が潜んでいます。真の神から離れるとき、あるいは、霊的目くらまし状態にあるとき、どの領域であれ、現状に不満、失望を抱いている人は、何か達成感の得られるもの探求へと駆り立てられていきます。とくに宗教面において、陶酔感を味わえるような儀式、宗教活動に没頭することによって、実際は自身の背信から生じている不安、恐れ、罪悪感を紛らそうとする試みは、反逆のイスラエル史で繰り返されてきたことでした。聖書は、世の終わりに、全人類がこのような欺瞞におとしめられることを警告しています。黙示録の書は、旧約の預言者たちの警告と異口同音に、「反キリスト」なる世界的独裁者の到来を明確に告げていますが、真の神を拒む人々は、理不尽にその体制に駆り立てられていくことになるのです。

昨今、シリヤとイラク、シナイ半島にイスラム教カリフ統治を宣言したイスラム過激派組織「イスラム国」が、インターネットを用いてアラブの若者だけでなく、世界中の若者にアラーの神の「聖戦」に加わるようにと、巧みに宣伝し、日本にもその志願者がいたことが明るみに出されましたが、中東、北アフリカを中心に、多くの若者たちの心をとりこにしているといいます。今日、世界的に若者たちの間で、武器を取り、直接軍事行動に携わることを美化、英雄化する恐ろしい傾向が広がっており、エゼキエルのこの寓話は、戦争の恐ろしさを知らない世代の安易な戦争傾倒への警告としても読み取れるように思います。寓話では、幻想に迷い込んだイスラエルもユダも警告を聞き入れなかったことにより、恐ろしい裁きの「杯」、―国家滅亡、捕囚― を受けなければならないことが宣告されたのでしたが、実際、そのことは721BCEにアッシリヤ勢によるサマリヤ陥落、586BCEにバビロン勢によるエルサレム陥落で現実のこととなったのでした。

現在「イスラム国」が支配している地域は、フランス語で太陽の意の「レバント」と呼ばれた一帯ですが、その歴史をさかのぼると非常に興味深いことが明らかになります。レバントは第一次世界大戦中に結ばれたサイクス・ピコ協定後、1918年に英国とフランスの委任統治下に置かれました。それ以前はオスマントルコによるほぼ千年間の支配、それ以前の三百年間はアラブによるイスラム教カリフ統治、それ以前の二百七十年間はビザンチンとササン朝ペルシャ、それ以前は、ローマ、ギリシャ、ペルシャ、バビロン、アッシリヤの順にさかのぼって支配されてきたのでした。ノアの洪水以降、主都ニネベが612BCEに陥落するまでその地を支配したのはアッシリヤで、今日に至るまで諸国民間の戦闘、興亡がひき続いているのです。
バベル(バビロン)、アッシリヤの首都ニネベを含む世界最初の都市国家を設立した専制君主ニムロデは、反キリストのひな型としてよく言及されますが、イザヤは、エジプトでイスラエルを抑圧したパロがアッシリヤ人であったと語り、北イスラエル王国を苦しめたベン・ハダデやハザエルはアラム(シリヤ)の王でしたが、732BCEに古代シリヤの首都ダマスコ陥落で、アッシリヤに吸収されたのでした。最初にアッシリヤが支配したこのレバント一帯を統治した指導者たちが歴代イスラエルを抑圧した歴史を聖書は証ししていますが、168BCEにエルサレム神殿に偶像神ゼウスをまつり、豚のささげ物で祭壇を汚したシリヤのセレウコス朝の暴君アンティオカス・エピファネス四世も、反キリストのひな型とみなされている人物です。イザヤはまた、世の終わりの裁きに言及して
「主は…アッシリヤ王の高慢の実、その誇らしげな高ぶりを罰する」(イザヤ書10:12)
と預言しています。果たして今日レバントを基地に拡大している「イスラム国」のイスラエル撲滅と世界制覇への動きがこの預言に関わるものかどうかは現時点では分かりませんが、イスラム教徒たちは、長髪で額にKFRの三文字をつけた片目が盲目の若者、疑似メシヤが最初に現れるのがシリヤとイラクの間で、多くの奇蹟を行うがイエス・キリストに殺されると、信じているようです。

暗闇から光を切望する時節がまた巡ってきました。
世の光、イエス・キリストは、人類の救いのため手を差し伸べておられます。 
主、イエスを受け入れ、信仰、希望、愛が、 皆様の心に灯される時節となりますよう

お祈りいたします。

Yさんの証し その10

2014年11月15日

頌主。

「祈りと断食への呼びかけ」のPDFファイルと11月月報をありがとうございました。お返事がすっかり遅くなってしまい、申し訳ございません。
East Angliaは比較的穏やかな晩秋・初冬を迎えております。

PDFを読ませて頂き、私も微力ながら皆さんのお祈りに自身の祈りを重ねております。
朝(もしくは夜勤前)起きたとき、バスを待っているとき、またバスに揺られながら、そして不思議な力に強く祈りを促されたとき、夜(もしくは夜勤後)床につくとき、本当に短い祈りではありますが、主の御名のために迫害を受けておられる兄弟・姉妹を主がかくまってくださるように(主の大きな翼のもとに彼らを隠し守ってくださるように)と、祈りを込めております。

新しい職場の同僚の方から、最近の中高生(在英日本人、日英の血を引くお子さんたち、また英現地校)の現状を伺いました。
どの時代にも若者たちにはそれぞれの楽しみや悩みの処し方があるようですが、昨今では、彼らの親の代にはなかった電子機器を駆使して情報を収集し、同世代の仲間たちと緊密に連絡をとり合うことで、自分たちの願望を満たしているようです。
二人のティーン・エイジャーを子育て中の同僚から、「やはりスマートフォンが普及して、これだけの情報が氾濫していると、子どもたちをSoft Drug(比較的軽い乱用薬物)やスリルを求めておこなう万引きなどから守ることすら、信じられないぐらい難しい時代になっている」と聞きましたが、私にとっては深刻な現状を垣間見させられた発言でした。

Peer Pressure(仲間内の抵抗できない集団的圧力)という言葉は昔からありますが、個人差があって、善悪の判断と境界線のけじめをしっかり付けられる子であれば、心配はあまりないと、私は内心呑気に構えていました。

店で集団万引きを行うような人たちの大半は、経済的に貧しい家の生徒かと思いきや、両親ともに高学歴・高収入で何の不自由もない、成績優秀な優等生タイプが多く、俗世に言う名門校に通っている子たちが多いと聞き知り、衝撃を受けました。
ただスリルを味わうため、もしくは、興味本位に手を出したソフトドラッグを購入するため、悪びれずこういった万引きや通販詐欺、中にはコンピューターを駆使して、偽の銀行・金融機関のウェブサイトを構築し、ハッキングを行うといった犯罪プロ顔負けの「肝試し」が罪の意識もなく行われているのだそうです。生徒たちの間では、
「XXはこのあいだハッキングサイトで三千ポンド稼いだ、頭良いよな……」
と賞賛し、自分も真似しようとする生徒が後を絶たないそうです。

「人さまの物を盗まない、嘘をつかない」

こういった当たり前のことはユダヤ教やキリスト教の教えに限らず、どの親も子どもに繰り返し聞かせて育てていくものだと、私は今でも信じています。彼らのやっていることは悪知恵であって、真の賢明さとは無縁のものであり、彼らの悪知恵を賞賛している生徒たちですら、彼らが信用ならない人物であることは百も承知のはずです。
単なる「若気の至り」と一言で片づけられない、救いようのない堕落をはらんでいるような気がして、恐ろしく思います。

いつも、このような救いようのない話や事態を耳にするとき、詩篇37篇と73篇を繰り返して読みます。
悪事を行っている者が罰せられず、栄えているように見えても決して心を乱してはならない、彼らはすでに滅びの道を歩んでおり、悔い改めなければ自滅を免れないという、主の御言葉です。
「悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ…主の前に静まり、耐え忍んで主を待て…」
(詩篇37:1-7…)
「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。彼らの死には、苦痛がなく…人々が苦労するとき、彼らはそうではなく…しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう」
(詩篇73:1-28)

私の胎児にも何度も聞かせています。勉強ができようができまいが、世渡りが上手かろうが下手であろうが、そんなことは重要ではない。ただ主に対して誠実であり、真っすぐであってくれること、周囲に流されることなく、主の教えを愛し、守り、慈愛を尊ぶ人になってほしい、それだけが母の願いです。

主の御手が皆さまと子どもたちを守ってくださいますように。

Y

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メアリー・ジェインの手紙 : 2014年11月18日、26日

親愛なるフルダミニストリーの皆さま

 2014年11月18日

今、宣教を終え、郵便局に直接行ってきました。ニュースレター(フルダ・ミニストリー月報)を受け取りました。ありがとうございます。

私は、フランシスの全世界的呼びかけのメッセージを再度読みました。どうか、郵送以外で送れる彼のメッセージ(PDFなどデータ)を送ってください。それらをフィリピンにいる私の友人、牧師に送ろうと思います。
私はこの12月、アブラ、ラ ユニオン、パンガシナン、ザンバレス、ブラカンに出かけ、伝道集会と交わりのときを予定していますので、フランシス兄弟の祈りの呼びかけを皆と一緒に分かち合いたいと考えています。どうか、祈りと断食をする時間を教えてください。

養豚プロジェクトについては、引き続き主の導きを祈っています。
去る11月7~8日、アエタ部族の住んでいるカワグに行って、プロジェクトの話をしました。そうしたところ、クララの息子ジュンジュンが養豚の仕事に加わりたいと申し出ました。彼は、十六歳で学校には行っていません。クララは九年前に夫を亡くしましたが、七年前にアエタ部族の男性と再婚し、五人の子どもがいます。
また先週、ブラカンの若い男性が養豚の仕事をしたいと言ってきました。彼の名はトントンと言い、二十代の後半です。二人ともこのプロジェクトの目的をよく理解しています。
アエタ部族の多くの若者たちからは養豚の仕事をしたいという声がありませんでしたが。

さて現在、養豚事業のコスト削減のため、中古の建築資材をどのように調達するかを考えています。これがかなえば、資材コストを半減できます。
いずれにせよ、この計画に関しては急いでしなければならないということではないので、主のタイミングを待ちたいと思っています。主の御心ならば実現するでしょうし、そうでなければ、私たちは部族の人たちの生計維持のための他の方法を祈っていくつもりです。
彼らが自力で生計を立てることができれば、教会、政府機関などに彼らが施し物を依頼することはなくなるでしょうし、そのことで、彼らが利用されたり、搾取されたりすることもなくなるでしょう……
そう、私は考えており、このことは福音宣教と同時に、私のミニストリーの最終目標です。

当座のところ、私たちは経験を積むために、三頭の黒豚の子豚(一頭5千ペソで、二頭が雌、一頭が雄)を購入し、育てています。それらは小太りでかわいいですよ。そしてニワトリも飼っています。三匹のめんどりと一匹のおんどりから始めたのですが今では二十六匹のひながいます。
また私は同労者ダニーに、彼の子どもの奨学金について話しをし、彼は了解したようです。彼は私のミニストリーおよび養鶏、養豚を助けるほかに、近隣農家の米の収穫作業のパートタイムをするとのことです。ダニーは貴ミニストリーの彼への資金援助を感謝しています。それがどんなに彼の家族のために役だっていることでしょう。引き続き彼のためにお祈り下さい。
皆さまのお祈りとご支援に対し、あらためて感謝を申しあげます。
神さまがいつもあなたのそばにおられますようにお祈りいたします。

多くの愛をこめて        
メアリー ジェイン

11月26日

今晩は。

二日前、クララの息子とトントンはもう伝道所に来ており、昨日、二人はダニーを助けて、豚の世話をしました。
19日に私たちは、妊娠している有機豚を9,000ペソ(¥23.700)で買い、売り手はもうすぐにでも子が生まれると言っていましたが、24日、三匹の小豚が生まれました。
また、鶏の方は、別のめんどりが今卵を温めています。
明日、ダニーと少年たちは、地を耕し、ナス、トマト、白菜、さやえんどうなど野菜を植えるつもりです。

少年たちには月々、合計で3,000ペソの賃金を支払うつもりです。二人とも、貯蓄できる自分自身のお金を得ることができ、満足しています。
またすぐ、メールをお送りします。

皆さまに愛を送ります。
また、主にあって生かされていることを感謝

メアリー ジェイン

メアリー・ジェインの手紙 : 2014年10月20日、21日

フルダミニストリーの皆さまへ

2014年10月20日

有機の豚飼育プロジェクトの詳細についてご報告するのが少々遅れてしまいました。

養豚プロジェクトを立ち上げるにあたって、私は、情報を集め、実際に幾つかのブラカン(Bulacan)にある豚飼育場を訪問しました。
そこを訪問して、分かったのは、最低限500平方メートル(約150坪)の囲いが必要ということです。それだけあれば、豚が穴を掘ったり、泥の中で転げまわったり、草を食べたりできますし、もちろん風雨、暑さをしのぐ豚小屋を造ることができます。

別に書類を添付しましたが、私は、豚飼育小屋や囲いのフェンス設置などにどれだけの費用がかかるかなどを計算しました。
それから、幾人かのアエタ部族およびここブラカン(Bulacan)のクリスチャンの若者に豚の飼育を仕事としてやらないかと尋ねましたが、彼らの回答は「一週間のうち二、三日ぐらいならできるが、仕事としてはやれない」でした。昨今の十八~二十二歳の若者はつらい仕事をきらい、ファーストフードのチェーン店などで働くのを好むようです。
カワグ(Cawag)地区のアエタ部族の二十一~三十歳の若者の多くは、韓国のHANJINという造船会社で働いています。他方、アエタ部族の若い女性、主婦など、婦人たちは家に残り、F.A.I.T.H. gardenで畑仕事に従事しています。

このような状態ですので、同労者のダニーは、F.A.I.T.H. gardenでの仕事のほかに、(新しく始める予定の)豚飼育の仕事もがんばってみると私に話してはいますが…
彼は自分の子どもの教育費をまかなう必要に迫られているのです。貴ミニストリーで学生奨学金という制度はあるのでしょうか?

さて、デュマガット(Karahume、Ipo & Angat Dam、Montalban地区)部族についてですが、明日10月21日、Puray、Montalbanで、デュマガットの礼拝、賛美があるのですが、私はケソンシティの国民統計局に行く用事があるので出席できません。
私はすでに彼らには養豚プロジェクトについて話をしました。将来は彼らにも利益をもたらすことを説明し、彼らはこの計画に大変興味を示しています。
また、Ipo & Angat Damにも行きたいと思っていますが、術後で健康のことを考えると、今までのように何回も行くわけにいきません。

最後に、私の娘ですが、“Accelerated Christian Education”の教材で自宅学習をしています。「普通の学校に行けば、友だちもできるのに」と、言う人もいますが、彼女はアエタ部族、デュマガット部族に友だちがいることと、学校ではいじめの問題があるので、このまま自宅学習を続けさせたいと思っています。母子家庭への風当りは強いのです。
どうか、このことについても助言、そして、お祈りいただければ幸いです。
                     
愛をこめて
メアリー ジェイン

10月21日

養豚プロジェクトについては、本日、郵送した手紙(上記記載)とプロジェクトの具体案の書類に詳細を書きました。
10月号のフルダレターと「平和への訴え」の手紙を受け取りました。私たちはご依頼の祈りの課題(日本国憲法第9条を堅持する)について当地でも熱心に祈りました。今後も憲法関連の最新情報をお教えください。

中国と、ASEAN諸国、中でもフィリピンとの間で、領土に関する多くの問題が起きていることを地元のニュースは伝えています。彼らはスービック(サンバレス)〔Subic、Zambales〕に近い幾つかの島を手に入れたいのです。
米国は、日本とドイツを対中国政策において、重要なパートナーとみています。フィリピンには軍隊がありますが、その多くがアメリカ軍からの中古戦闘機や軍艦使用状態で、とても中国を押し戻す軍事力はありません。

また、日本と同じく環太平洋火山帯の上にあるフィリピンでは、二、三週間前にマヨン火山が噴火し、それから一ヶ月も経っているのに、未だに住民が避難を余儀なくされています。フィリピンにも沢山の活火山があるので、先般の貴レターに書かれてあったことは、まさに容易に私たちの現状と関連づけることができました。私たちは日本について真剣に祈ります。

この世が終末に近づいていることを私たちは知っていますが、それでも私たちは、自国民に救いの福音を述べ伝え、貧困を減らしていく働きを続ける必要があります。また引き続き私たちの家族、信仰の友についても祈っていきます。

皆さまのお祈りとご支援をありがとうございます。私の身体の状態は快復しました。しかし、手術前のように重いもの(水など)を運んだり、手を使っての畑仕事などは控えて、ゆっくりとした生活を送っています。

主の力の中で、愛をこめて 
メアリー ジェイン


あとがき

キリストの生い立ち

イエス・キリストご自身、「母子家庭」で育ち、大変困難な幼少き、青年期を送られたことをご存知でしょうか。
十二歳のときまでは、義理の父ヨセフが健在だったことを聖書から知ることができますが、
義父の死後は、一家の長子として、母マリヤと弟妹たちを経済的に支えていかなければならず、キリストは少なくとも三十歳になるまで、大工としての働きに従事されたのでした。

詩篇69篇で詠(よ)み手ダビデは、少年イエスのナザレ時代と、十字架上における暗黒の数時間を垣間(かいま)見せています。町の指導者から自堕落な酔いどれ、兄弟さえもが、イエスを「あれは嫡出子(ちゃくしゅつし)ではない。私生子だ!」として中傷し、汚れたうわさを立てていたことを、この詩篇から読み取ることができるのです。
「私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私は母の子らにはよそ者となりました。それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽し、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです…私は彼らの物笑いの種となりました。門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。私は酔いどれの歌になりました」(69:8-12)。

「終わりの日」


イエス・キリストは、オリーブ山での最後の講話で弟子たちに、
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民に証しされ、それから、終わりの日が来ます」(マタイ24:14)、
と言われ、福音宣教が全世界に行きわたった後、世の終わりが来ることを予告されました。

「父の定めのとき」が来て、この世を去る日が近づいたことを感知した使徒パウロは、弟子テモテに、キリストの教えに従い、勧告のメッセージを残しました。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい…真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」(テモテ第二4:2-5)
と。
今、私たちが生きている時代は、まさに終末の末期、「終わりの日」への秒読み段階に近づいています。主を信仰告白したキリスト者が第一優先で行うべきことは、キリストの教え、「みことば」(旧新約両聖書の証しされた神の言葉)、福音を各自の身辺から宣べ伝え始め、全世界に行きわたるように努めることです。
蒔かれた種を刈り取られるのは、神ご自身。御言葉の種のまき散らし、御言葉伝授が主のしもべの役割です。
全世界の人々が等しく御言葉を聞いたとき、「メシヤ(救い主イエス・キリスト)の時代」がこの世に到来します。
そのときまで、主のしもべには、忍耐強く、平和裏に福音宣教に従事することが勧告されているのです。

第229号 エゼキエル書21:2-7、24:14-24

エボラ出血熱勃発、感染拡大の今後の見通しは? 

人畜共通感染症を何年もかけて調べている、米国のあるサイエンスライターは、最悪を迎える前のまだ始まりだという…
今起こっているこの疫病の蔓延は、聖書の疫病を思い起こさせるが…


「人の子よ。顔をエルサレムに向け、聖所に向かって語りかけよ。イスラエルの地に向かって預言せよ…わたしは…あなたのうちから、正しい者も悪者も断ち滅ぼす。わたしがあなたのうちから、正しい者も悪者も断ち滅ぼすために、わたしの剣はさやを離れて、ネゲブから北まですべての者に立ち向かう。このとき、すべての者は、主であるわたしが剣をさやから抜いたことを知ろう。剣はもう、さやに納められない。』人の子よ。嘆け。彼らが見ているところで腰が砕けるほど激しく嘆け。彼らがあなたに『なぜあなたは嘆くのか』と言うなら、そのとき、あなたは言え。『この知らせのためだ。それが来ると、すべての者は心がしなえ、すべての者は気力を失い、みな意気消沈し、だれのひざも震える。今、それが来る。それは実現する。―神である主の御告げ―』」
「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。すると、民は私に尋ねた。「あなたがしていることは、私たちにとってどんな意味があるのか、説明してくれませんか。」…『…見よ。わたしは、あなたがたの力の誇りであり、あなたがたが愛し、心に慕っているわたしの聖所を、汚す。あなたがたが見捨てた息子や娘たちは剣で倒される…エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。               
エゼキエル書21:2-7、24:14-24

  エゼキエル書20-24章は、エルサレムに下る裁きの最後通告が、背信のイスラエル史を神の視点から振り返ることによって告知されている箇所です。感情と行為を通して象徴的に預言を告げることを神から命じられた預言者エゼキエルが、私情を二の次にして、預言者としての役割に徹し、背信の民、同胞に神命の重大さを訴えています。憐れみと愛の神が警告を重ねても背信の民が耳を傾けないとき何が起こるのかが、この段落で取り扱われており、この文脈では、神の裁きの手段としてバビロンがユダの民を襲い、神は、民が残忍な敵勢に踏みにじられ、虐待、虐殺されるのを許されます。神はそのような厳しい裁きを
おまえは自分の流した血で罪に定められ、自分の造った偶像で身を汚し、自分の刑罰の日を近づかせ、自分の刑罰の年を来させた。だから、わたしはおまえを諸国の民のそしりとし、すべての国の笑いぐさとする(22:4)
すなわち、民への裁きが、蒔いた種の刈り取りの形で下ることを説明されたのでした。人々は神が、最愛のもの、拠り所を容赦なく奪い、安泰と思っているところに破壊をもたらし、もはや当たり前の生活さえ営むことを許されなくなったとき初めて、エゼキエルが象徴的行為で語った預言の意味を悟り、真の神が前もって「しるし」を送られたことに気づくのです。

  インターネットの普及によって、世界中の情報を一瞬のうちに得ることのできる今日は、一国家的レベルを超えた世界的な出来事が私たちの回りで起こっているかのように感じられる時代です。十月に入り、西アフリカのエボラ出血熱感染拡大と中東シリヤ、イラクでのIS国の恐怖統治下でのキリスト者や少数派イスラム教徒迫害が世界中のキリスト者の祈りの課題になっています。
エボラ出血熱を阻止する予防接種がないため、十月下旬現在、感染者、感染の疑いのある者の数は一万人を超え、死者数は五千人近くに及んでいます。現在の感染の勢いでは、十二月には感染者が十倍近くの毎週五千~一万人ずつ増える可能性も予測されており、国境を越えて多くの人たちが移動する今日、医療現場での二次感染だけでなく、国外での感染も危惧され、実際すでに、スペイン、米国などアフリカ以外の六ヶ国にも及んでいます。また、感染が拡大しているギニア、リベリア、シエラレオネの三国に加え、隣国のマリでも死者が出、拡大が危ぶまれています。

  このような状況下で、十月半ば、「ウイルスより速く拡大するパニック」(BBC)と題して、ソーシャルメディアを通しての誤報、うわさの伝播力の速さ、大きさが伝えられました。チリの最も忙しい病院の一つで、拡声器を通して「エボラ出血熱に感染したと思われる患者が発生しました。どうぞ、他の病院をお訪ねください」と警報が出されたため、患者たちは口をおおい、逃げ去る出来事が起こったのでした。携帯電話カメラでその警報を記録した女性が「チリにエボラ出血熱事例の可能性」と題してユーチューブに送り、それがウイルス感染をもしのぐ勢いで広まり、公表されたビデオは二十四時間以内に十二万回、閲覧されたそうです。
さらに、ユーチューブからツイッターにうわさは広まり、ツイッターのキーワード、“ハッシュタグ”は「チリにエボラ出血熱」として、翌日にかけて二十万回、用いられたのでした。そのうわさを耳にした主流メディア系列も、エボラ出血熱発生として報道を始める始末で、「感染の疑いがある」で始まった告知が、事実確認がなされないまま、尾ひれを付けて一瞬のうちに広がる事例となったのでした。
数時間後にチリの保健省が明らかにしたことは、当該患者が、エボラ出血熱の症例が確認されていない、アフリカ中西部にある「赤道ギニア共和国」に旅行したのを、多くのチリ人は感染が拡大した西アフリカの「ギニア共和国」と混同してしまったということで、ソーシャルメディアで一人歩きしたうわさ収拾に、チリ政府は迅速に対応できなかったのでした。幸いにも、当該患者はエボラ出血熱ではなくマラリアと診断され、この件は落着しました。

  同様な誤報は、他の国々でも起こり、エボラ出血熱にまつわる不穏なうわさは、西アフリカ以外で最初の感染者が確認されたスペインでも広がりました。多くの者たちが、首都マドリッドの一部に、政府制御下の秘密の隔離地帯があるという陰謀説を聞き、この偽りのニュース見出しがWhatsApp(ワッツアップ)を経て、フェイスブックに送られ、混乱が起こったのでした。
また、ブラジルでも、保健省が告知した「エボラ出血熱の疑い」が誤認警報となり、オンライン上で大混乱が起こったのです。同様に、ポルトガルのツイッターでは、用語「エボラ」が一日足らずのうちに、十二万回用いられたといいます。ブラジルではひき続いて、エボラ出血熱のウイルスを人種差別的にアフリカ人に関連づける偏見が流布し、米国でも、同じような偏見が瞬く間に広がったようです。

今起こっている現象は、何を物語っているのでしょうか

人畜共通感染症を何年もかけて調べている、米国のあるサイエンスライターは、この現象は短期に解決できる事例ではない、すなわち、現在のエボラ出血熱感染が制御されたとしても、根本的解決になるというわけではない、と警告しています。来年、あるいは再来年、また別のウイルス感染が発生、流行し、生命を脅かすであろうとの見通しを語り、私たちが関心を払うべきウイルスはエボラではなく、くしゃみや咳を通して呼吸器感染する動物由来の、より突然変異率の高い新ウイルスこそ恐るべき脅威であると唱えています。
このような特性に合うウイルス群はほんの小数とのことですが、このウイルス系がSARS (重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)をもたらし、最大の危険はインフルエンザで、他のどのウイルスよりも多くの何百万にも上る人命を奪う恐れは十分あるとのことです。空気感染しないエボラウイルスはまだ最悪を迎える前の予備段階に過ぎないのに、今回の現象ですでに、根拠のない恐れが国境封鎖、感染者の孤立化、感染の疑いのある者や国のボイコットなど「社会崩壊」を誘発しかねない状態をひき起こしたことから、遅かれ早かれ訪れるに違いない恐慌状態が憂慮されています。

このエボラ出血熱勃発は、聖書の疫病を思い起こさせます

隷属下に置かれていたイスラエルの民がエジプトから解放される直前の一年足らずの短期間にエジプトでは、次々と疫病が勃発、流行し、エジプト国内では多くの犠牲者が出ました。これらは、
その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトの神々にさばきを下そう。わたしは主である
(出エジプト記12:12)
と主ご自身がモーセに明確に語られたように、エジプトの神々に対する真の神ヤーウェの裁きでした。
エジプト中に災いをもたらし、疫病の媒介となったカエル、ブヨ、アブ、家畜、イナゴほか、天体、自然現象はどれもみな崇拝の対象とされたエジプトの神々でした(『一人で学べる出エジプト記』p.59-90、補注15)。古代エジプトには、風の神、科学の神、医術の神、太陽の女神等々、軽く三十五を上回る神々が崇拝されていましたが、神ヤーウェはエジプトにさまざまな疫病を下すことによって、さまざまな領域の神々を滅ぼし、偶像神や物神の無力さをさらけ出されたのでした。エジプトの民は、信じていた偶像神、物神や神格化された天体や自然現象によって救われるどころか、苦しめられ、死へと導かれたのです。

  現代文明の時代に生きている私たちは、疫病からの解放を願って、自然崇拝、偶像崇拝に没頭した古代エジプト人を愚かしく思うかもしれませんが、私たちもエジプトの神々に代わる、現代版偽りの神々に依存している点で、大差ありません。現代医学技術、療法、医薬品、健康産業への依存はまさに人の手になるものが信仰の対象になり、崇められているも同然です。実際、二十世紀には、天然痘やポリオをはじめ、多くの病気の根絶が宣言され、今世紀も、遺伝性疾患や人のDNAを操作する領域にまで、また、三十八年前に発見されたエボラウイルスをはじめ、恐ろしい疫病根絶のための研究が続けられていますが、昨今の風潮は、科学が死そのものをも克服するという信念です。
すべての問題は科学で解決できると信じる科学万能主義は、天地、被造物、すべてを支配される神の存在を信じ、その御旨に従う者に、
もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聴き従い、主が正しいとみられることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である(出エジプト記15:26)
と宣言された真の神を、現代版の神々、―医学療法、医薬品ほか― に置き換えたのです。

  神は人が、高度な医療技術や薬品を開発し、治癒、健康維持、管理に有効に用いることを許してこられたので、多くの人たちは、不死という願望が自分たちの力によって達成される日が確実に来ると信じているようですが、他方で神は、撲滅されたとみなされたウイルスや病気の再現、今回のエボラ出血熱拡大のような世界的な脅威を通して人に警告を発し続けておられます。
医学的知識、技術がどんなに進化しようと、人の究極的な幸福、健康を約束する源では決してないこと、それらすべての手段を通して癒しをもたらされるのは神ご自身であることを語っておられるのです。冒頭のエゼキエル書からの引用箇所は、創造者なる神を無視し、我が道を行く反逆の諸国民にも適用できます。
背信の神の民に下ったと同じ神の裁きをこの世に宣告する最後通告は、全世界の「正しい者も悪者も断ち滅ぼす」ことによる全地の一掃で、この荒療治によってしか、聖めはもたらされないのです。

#229: GOD’S KINGDOM FINALLY REPLACES ALL HUMAN KINGDOMS

GOD’S KINGDOM FINALLY REPLACES ALL HUMAN KINGDOMS

How can we biblically interpret for what is globally going on today?...Another recent event which may be a process of God’s judgment for the cleansing of our godless society is the global outbreak of the deadly disease Ebola.

‘Your Majesty looked, and there before you stood a large statue – an enormous, dazzling statue, awesome in appearance. The head of the statue was made of pure gold, its chest and arms of silver, its belly and thighs of bronze, its legs of iron, its feet partly of iron and partly of baked clay. While you were watching, a rock was cut out, but not by human hands. It struck the statue on its feet of iron and clay and smashed them. Then… the rock that struck the statue became a huge mountain and filled the whole earth.
 ‘This was the dream, and now we will interpret it to the king. Your Majesty, you are the king of kings. The God of heaven has given you dominion and power and might and glory; in your hands he has placed all mankind and the beasts of the field and the birds in the sky. Wherever they live, he has made you ruler over them all. You are that head of gold. ‘After you, another kingdom will arise, inferior to yours. Next, a third kingdom, one of bronze, will rule over the whole earth. Finally, there will be a fourth kingdom, strong as iron – for iron breaks and smashes everything – and as iron breaks things to pieces, so it will crush and break all the others. Just as you saw that the feet and toes were partly of baked clay and partly of iron, so this will be a divided kingdom; yet it will have some of the strength of iron in it, even as you saw iron mixed with clay. As the toes were partly iron and partly clay, so this kingdom will be partly strong and partly brittle. And just as you saw the iron mixed with baked clay, so the people will be a mixture and will not remain united, any more than iron mixes with clay. ‘In the time of those kings, the God of heaven will set up a kingdom that will never be destroyed, nor will it be left to another people. It will crush all those kingdoms and bring them to an end, but it will itself endure for ever. This is the meaning of the vision of the rock cut out of a mountain, but not by human hands – a rock that broke the iron, the bronze, the clay, the silver and the gold to pieces. ‘The great God has shown the king what will take place in the future. The dream is true and its interpretation is trustworthy.’                                       
DANIEL2:31-45.

The prophet Daniel interpreted Nebuchadnezzar king of Babylon’s dream as a God given true dream about the rise and fall of four successive gentile empires under which God’s people would live: Babylon, Medo-Persia, Greece, and Rome and also, about the advent of the ultimate Kingdom of God. God also gave the same future vision from a different angle, or more precisely, God’s view point to Daniel himself in chapter 7, which was divinely interpreted in detail.

Babylon who rebelled against the Assyrian Empire in 626 BCE, finally overthrew its capital Nineveh in 612 BCE and defeated Egypt at the battle of Carchemish in 605 BCE. Ruling over the ancient Near East, Nebuchadnezzar promptly subdued Jerusalem from the hand of Egypt in the same year, and he took prominent citizens of Jerusalem, especially the youth, to Babylon. One of the hostages was Daniel. For the full duration of the Babylonian captivity Daniel served Babylonian kings as a prophet and government official, and after Babylon was defeated by the Medes and Persians in 539 BCE he continually served Medo-Persian kings probably as a ‘magician’ (Da.4:9), the so-called ‘Magus (Magi is its plural)’, who would interpret dreams not by means of astrology. Thus Daniel lived and ministered under the gentile courts at least until the third year of Cyrus.

In Daniel’s vision Babylon is likened to a lion, Medo-Persia a bear, Greece a leopard, and Rome is likened to an incomparable strong and dreadful beast with ten horns and a little horn. The last little horn no doubt symbolises the anti-Christ in the end times, who would be the world dictator like Antiochus Epiphanes (175-164 BCE). What God showed Daniel through both his and Nebuchadnezzar’s visions was a way of imperialism, colonialism and world globalism in human history, which would govern the world one after another until the time when
‘the God of heaven will set up a kingdom that will never be destroyed, nor will it be left to another people. It will crush all those kingdoms and bring them to an end, but it will itself endure for ever.’  
As long as human kingdoms continue to rule over the world, there will be no true peace and security on earth at all and worst of all, we are very close to the predicted end times when the worst ever world dictator is to appear. War, violence, turmoil, plague, misery, corruption and all sorts of disasters are rampant around us as a legacy of godless human history. What is globally going on today clearly indicates the fact that we are truly in the last times, when all evil fruits must be completely destroyed by God and only what cannot be shaken may remain and thereafter His Kingdom will be brought on the entire earth.

The following excerpt from ‘The McAlvany Intelligence Advisor, September 2014’ reveals what has been little informed by media but it poignantly warns us of the encroaching dark and critical age. The exposure of the global financial situation and of the insurmountable US debt betrays that what has been reported by media is surprisingly and/or deliberately incorrect.
Israeli/Hamas War In Gaza: The present war began when Hamas began firing thousands of rockets from Gaza into Israel.  Israel did what any country would do to protect itself—it launched a counterattack into Gaza to stop the Hamas missiles. In its offensive against Hamas, the IDF (Israeli Defense Force) found dozens of infiltration tunnels into Israel from Gaza—some of them dug to Israeli elementary schools—where Hamas planned to kidnap hundreds of Israeli children and hold them as hostages.
ISIS’ Violent Onslaught In Iraq: ISIS has captured numerous Iraqi military bases and massive quantities of sophisticated U.S. weapons with which we equipped the Iraqi military over the past ten years. These include hundreds of ground-to-air missiles that can ultimately be used to shoot down civilian airliners all over the world. ISIS briefly captured the largest dam in Iraq, which temporarily put it in a position to cut off all water supplies to Baghdad. ISIS is now threatening to overthrow the very weak and ineffective Iraqi government installed by America after the ill-advised 2003 invasion of Iraq. If successful, Syria and Jordon are likely to fall next, and even Saudi Arabia (where help for ISIS has come from) may be in danger. The British SAS is being flown in to help rescue 30,000 fleeing Iraqi Christians and other minorities who are trapped in Northern Iraq.
The Russian/Ukrainian Crisis: This crisis was precipitated when the U.S. government under Obama helped to overthrow the pro-Russian government in the Ukraine and install a pro-U.S., anti-Russian regime in Kiev. America is the driving force behind moving NATO forces and missiles near the Russian border, and behind the sanctions against Russia—with Europe reluctantly going along with the U.S. until the shooting down of the MH17 airliner. Who was really behind the shooting down of that airliner? Certainly the Ukrainian government and the U.S. had the most to gain, and Putin and the rebels had the most to lose. Maybe Russia’s abandoning the U.S. dollar may be impacting America’s current belligerent policies toward Russia (like Saddam Hussein and Muammar Khadafy were trying to do be- fore we overthrew them and had them killed). Russia has a much larger arsenal of nuclear weapons than America. If America picks a fight with Russia, it could end very badly for the U.S. (Ezekiel 39:6?) What about an EMP attack? (It’s easily deniable since it could be executed by “rogue groups” with the resources.)
The Global Financial System: Is there an epic financial meltdown on the near horizon? We have a very shaky $1.5 quadrillion derivatives pyramid, and countries all over Europe, Africa and Latin America are on the verge of bankruptcy.  Socialist financial controls (including exchange and capital controls) are being implemented all over the world. There is a growing exodus from the U.S. dollar and the concurrent printing of trillions of dollars by the Fed to offset that dollar dumping. The confiscation of financial assets (i.e., bank accounts, pension funds, even cash) is being implemented by desperate governments looking for funds anywhere they can find, tax, or steal them…
The following article is also in agreement, which has come out in the Issachar Ministries UK this October. The article points out an urgent call to prayer. Casting out a question: ‘Is bombing the right answer to the Islamic State?’ on the verge of a national crisis in response to a threat by the IS, it presents appropriate biblical interpretations for what is globally going on today.
God may be using these Islamists as the "Rod of his Anger" to bring judgement on our godless society. It is this possibility that greatly disturbs me and causes me to cry out to the Lord for help and guidance. God has sent many warning signs which have all been ignored by both church and state.
For more than a year now I have been hearing warnings of severe judgement. We got very close to the total breakup of the United Kingdom through the Scottish Referendum where a 'Yes' vote would have resulted in the crumbling of the social foundations of the nation. God responded to the vast amount of prayer from faithful believers calling for mercy in the midst of judgement. But instead of coming before God with prayers of thanksgiving our political leaders recalled Parliament and simply engaged in human arguments of how to face the enemy which may bring violence to our shores and destabilise the whole of the Middle East and lead to a Third World War which would bring untold disaster to the whole world. They do not understand the spiritual nature of the war we are facing…
Are all of our national leaders in both church and state so utterly blind that they cannot see that we are on the very brink of disaster? The Chancellor of the Exchequer has warned that the economy of the nation is still increasing the national debt every day that takes us closer to bankruptcy. The day of reckoning will surely come - he knows that! And so do most of our politicians! But they dare not say so! They go on with measures simply designed to postpone the day of reckoning which will surely come unless there is a total change of policy. So what should we do? …
Why do we not hear the word of the Lord from the church in this time of national crisis? Our church leaders are like those in Isaiah's day who were blind to the things that were happening around them and they were said to be like "mute dogs who could not bark!" (Isaiah 56.10). So they were unable to give warning of danger. That is the pathetic state to which the church in Britain has fallen. They are still saying "Peace, Peace"when God is saying "There is no peace!" The enemy is at the door! Mobilise the believers to intercede for the nation! ...
(‘Prayer and News Update October 2014’, Issachar Ministries UK ).
Another recent event which may be a process of God’s judgment for the cleansing of our godless society is the global outbreak of the deadly disease Ebola. At the point of the middle of October a toll of the disease has risen above 4,500 according to WHO. The current outbreak started in March in West Africa: Guinea, Liberia and Sierra Leone. The following article’s argument is interesting, in which the ancients gods in the biblical plagues are likened to the god of modern medicine:
The Biblical Plagues: The Ebola virus harkens back to Biblical plagues that tormented and tested people. The plague of boils was an attack on all the gods and goddesses that the Egyptians trusted for healing. When the Bible says that“the Lord...brought judgment on their gods”(Num 33:4), it is speaking comprehensively. Through the plagues God showed He could defeat the entire pantheon of Egyptian gods— Amun-Ra (god of the wind), Thoth (god of science), Imhotep (god of physicians), Sekhmet (goddess protectress of the pharaohs), and all the rest. Perhaps this explains why God sent such a variety of plagues on the Egyptians: He wanted to expose the impotence of their idolatry by causing each and every idol to fail in its special area of expertise. When the Egyptians were covered with painful, oozing sores, they discovered that their gods could not heal.
The God of Modern Medicine: While we tend to ridicule the Egyptians for their folly, it is important to recognize that we are tempted to worship false deities as well. During the twentieth century many diseases were virtually eradicated, diseases such as polio and smallpox. Today, scientists are making headway in curing other killers, including the Ebola virus. Genetic research will develop new forms of treatment for hereditary diseases, including medicines that manipulate human DNA. Because of our advances in modern medicine and genetic research, it is tempting to make medicine an article of faith. Most patients go to the hospital believing they will be cured. Many believe that science will overcome death itself. Despite all our skill at healing, we are not sovereign over the human body. This means that medical expertise must never become our source of ultimate confidence for physical well-being. Medicine makes a wonderful tool, but it can never replace God. Whatever news we hear from this terrible outbreak, or even when we get a prescription filled or go in for surgery or start chemotherapy, we should remember that all healing comes from God and that Christ alone is Lord of our body
 (‘EBOLA:A MODEERN-DAY PLAGUE’ by Dr. Steve Elwart, Update/October 2014).
We need to pray for the Lord’s mercy for those who are afflicted by plagues, wars, persecution, financial problems, and natural & human disasters. At the time we must admit that it is our sins that brought all these sufferings on earth, and return to the Lord with repentance before the worst comes and it becomes too late.

NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS-NEWS 

This month, a money gift of£**** has been sent to Mary Jane in the Philippines. She and her team started receiving teachings and trainings on the raising, breeding, caring and managing of the organic pigs through seminars and workshops in August. They will continue to examine it and finally make a decision of a purchase of black pigs. Mary Jane went through an emergency operation for a sudden pain of the lower abdomen and hemorrhage at the end of September. With grace of the Lord, she has since got well. Pray for the Lord’s guidance for her new project and His protection upon her and her ministry.

Mさんから招きのメッセージ

ヨシェルの会への招き

9月23日、待望のヨシェルの会がスタートしました。
「ヨシェルの会」とは何か?
それは聖書をもっとよく知りたいという女性たちのかねてからの要望に応えて、F先生が講師を引き受けてくださり、共に聖書を学ぶ会です。会場は「町田市民文学館ことばらんど」で、月一回、原則第四火曜日に開催されます。

"ヨシェル"とはヘブル語で、"直ぐな心"という意味だそうです。
詩篇119:7「あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します」
という聖句から、F先生が名づけてくださいました。

出会い

私とF先生との出会いは、約ニ年前にホライズン聖書学校で「ヨハネの黙示録」を聴講したときです。教会の友人から「F先生の授業は本当に面白く、聖書の見方、読み方が変わるよ。毎回新しい発見があり、驚きだよ!」と聞いていましたし、黙示録の学びということにも非常に興味があったので、受講することにしました。

授業を終えての感想は?
やはり黙示録は難しい!正直言って、何が何だかサッパリわからない。でも…ものすごく興味深い。2011年3月11日の東日本大震災を機に、聖書が語っているイエスさまの「再臨の時」が、遠い未来のことではなく、とても身近なものとして心に迫って来ました。まさに終末時代、残りわずかなこの世の時代に生かされているのだという感が強く、様々な問いが投げかけられて来ていました。

疑問、疑問、疑問

自分はどこに立っているのか?
何をしていかなければいけないのか?
まだ信仰を持っていない家族・友人・知人のためにはどうすればよいのか?
99%以上もの未信者がいる日本はどうなってしまうのか?
これからこの世界はどうなっていくのか?…

このような疑問は私だけではなく、一緒に受講していた友人たちも、さらには多くの日本人クリスチャンも同様に抱えていると思います。

聖書

「聖書はまるで"金太郎飴"!どこを切っても同じ。神さまの御ことばが真理であることの証し。」
聖書の一貫性を強調し、学ぶことの楽しさを語るF先生から沢山の感動と刺激をもらいました。

自分たちだけではもったいない、もっともっと多くの人たちと先生の持っている知識や、聖書の中に隠されている宝を分かち合いたい。それもクリスチャンだけではなく、否、むしろノンクリスチャンの方々にも聖書の素晴らしさを伝えたいという願いから、学び会を開催することを計画し、祈りました。場所も特定の教会ではなく、公共の場所を借りて実施することが提案されました。

F先生の賛同を得、志を同じくする友人たちと共に一歩踏み出すことができました。学び会をするということ自体は本当に小さなことです。でもこの歩みを神さまが喜び祝福してくださり、参加者一人ひとりが変えられ、またこの輪が大きく広がっていくならば、私たちの周りの人々が変えられ、そしてこの国が変わります!偉大なる主に期待しています。

また、遠い地にあってこの小さな学び会を覚えて、お祈りで支えてくださっている方々がいてくださいます。心から感謝いたします。ありがとうございます。

聖書の中に隠されている宝探し、どんな宝を発見できるのか?楽しみです。
皆さんも是非ご一緒に宝探しの旅に出かけましょう…

M

後記: 「ヨシェルの会」への招き

聖書は、創造者なる神の「知恵、知識、真理の宝庫」。
「直ぐな心で(ヨシェル)」、聖書に向かう者は多くの宝を見つけ、何よりも真(まこと)の神に出会う。
神は、人生の終わりに、この道を歩んだ一人ひとりをご自身の「宝」として、神の御国に迎えてくださる。
あなたも、真理の宝探しに加わりませんか。
ご連絡ください!  yosheru.119.7(a)gmail.com

Fさんの預言的メッセージ 

主にある友よ、主からのメッセージを聞いてください

2014年10月10日
パース(オーストラリア)から

この数週間、主の言葉(そう、私は信じているのですが)が私の心と霊に臨んでいます。今朝の五時、私は(主によって、と信じます)起こされました。そして、主が私の心に語りかけておられることを(以下に)書きとめるようにと、私は霊によって促されたのです。

すべての教会、わたしの民と新しい契約の民へ

シェマ-、イスラエル シェマ-、エルサレム(聞け、イスラエル、聞け、エルサレム)。
わたし、主は偉大な神。アブラハム、イサク、ヤコブの神である。わたしはイスラエルの神、ほふられた小羊の血によって書かれた「新しい契約」の神である。

わたし、主は、わたしの小羊、メシヤの神、イスラエルの聖なる方である王の神である。
わたしは(新しい)イスラエル、新約の民の神である。

聞け、わたしの民、わたしの新約の民。
あなたがたはわたしの民で、わたしはわたしの民の贖い主、メシヤ、わたしの子イエス、
“ハシェム イェシュア、ハ・メシアハ”の名において、あなたがたに語る。

わたしは迫害下に置かれている#わたしの民の叫びを聞いた。敵の邪悪さを見、わたしの心は、憐れみと同情でかきたてられた。わたしの心はわたしの民の苦しみでいたむ。わたしは彼らを見捨てない。実にわたしは彼らを見捨ててはいない。たとえ彼らが荒野で「私たちの神はどこだ。神は私たちを助け救ってくれないではないか」と泣き叫んでも。

わたしはちょうど古代エジプトの時代にモーセが召命を受けて、パロの前に立ったように、わたしの民であるあなたがたに語る。それゆえ、わたしはあなたがたを召して、あの古代の蛇・悪魔、敵の前に立ち向かわせる。あなたがたは、わたしの力、権威で、敵に立ち向かい、敵に、もう日数があまり残されていないことを告げよう。
……確かに、敵の日数は終わったのだ。

あなたがたは、敵に勝利するであろう。何となれば敵は小羊の血と、「あなたがたの証(あか)し」の言葉によって、ことごとく打ち負かされたからである。

敵に対してあなたがたが宣言する証しは、「イエスがわたしの民をあがなった小羊であり、イエスは古代の蛇・悪魔を打ちのめし、勝利した」というものである。小羊であるイエスは勝利者、苦悩するわたしの民であるあなたがたの誇る勝利者なのだ。イエスの名において、あなたがたは、勝利者なのだ。
敵は立つことさえできない。あなたがたの証しの言葉に抵抗することができない。

わたしの民がこの証しを述べるたびに、敵は恐怖におののき立ちすくむ。敵は自分の「とき」が短く、徹底的に敗北したことを知っているからである。それにもかかわらず、敵は(古代の地に住む)わたしの民を、恐怖とおののきにより、捕らえたといって欺(あざむ)いている。

わたしの民よ、次のことを知るがよい。
聖なるわたしの足は敵の首に置かれ、敵はわたしの踏み台になる。わたしは、完全に敵に勝利したので、敵は苦しみ、おののき逃れることができない(踏み台になっているため)。敵は依然として虚偽と偽りを続け、勝利者のようにふるまっているが。

しかし、だまされてはいけない。敵はわたしの民に打ち勝ち、支配しているといってだまそうとするが、敵にはもうその力がない。

聞け、イスラエル。
わたし・主・神は畏敬と光輝の中に住む者である。そしてあなたがたは、わたしの民であり、わたしはあなたがたを新しいイスラエル、新しい契約の民と呼ぶ。

わたしは、もう今、今日、わたしの名によって集まり、断食をし、祈り、わたしの名を呼び求めるために、あなたがたを召喚する。
あなたがたはモーセがわたしに語ったようにわたしに語るな。すなわち、『私(モーセ)は無割礼の唇を持った人間です』、『私たちは無割礼の唇を持った民で、力もなく、罪、世俗の弱さを持ち、失敗者であるために弱いのです』と言うな。
わたしは、モーセが自分のことを彼自身が見たようには見なかったし、あなたがたについても、あなたがたが自分自身を見るようには、わたしは見ないからだ。

見よ。わたしの油注ぎと力があなたがたの上にとどまっているのを。それはあなたがたに十分注がれている……あなたがたはそれに気づかないであろうが。しかし、あなたがたが集まって祈るとき、わたしは敵の本拠地、要塞を崩す力をあなたがたに備えよう。あなたがたが断食し、熱心に祈るとき、わたしはあなたがたに油を注ぎ、わたしがあなたがたに命じる仕事を始めるべく、そして敵と戦いを始めるべく、あなたがたを備えさせる。

昔から、歌われてきた歌詞を思い起こすがよい。
見よ、これからは新たな意味を持つことになろう。
『わたしは力強い民を建てあげ、わたしの霊がこの国をかけめぐり、わたしの尊い名に栄光を帰す賛美の民をつくりあげる……』
そうだ、新しい契約のわたしの民よ、これがわたしがあなたがたに望むことであり、わたしの命令だ。あなたがたは、暗闇の力、堕天使たち、高いところにいる邪悪な支配者たちに立ち向かう、わたしが建てあげた(世界中の)軍勢だ。

これがその日だ。この日以降、わたしはわたしの民を克服者となるべく、建てあげる。
わたしの子が弟子たちに
どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。
(マタイ10:19)
と語ったように、あなたがたも暗闇の支配者に対して「何を話そうか」と案じてはならない。なぜなら、わたしはわたしの霊によって、力と権威の言葉をあなたがたに授けるからである。わたしはあなたの能力を問うてはいない。わたしが求めているのはあなたがたの可用性だ。
あなたがたはわたしが呼べば、わたしについてくるだろうか。あなたがたは、ほふられた小羊、救世主(すくいぬし)であるわたしの子の名によって、集まることができるだろうか。わたしの民よ、わたしの許に来ることができるか。
あなたがたは少年サムエルが「(私は、ここにいます)お話ください(主よ)。あなたのしもべは聞いております」と答えたようにわたしに答えることができるか。

わたしの民よ、このことを知るがよい。あなたがたが話す「力と権威の言葉」は、あなたがたの唇から出ていく(わたしの耳に入ることになる)が、わたしの名前において、敵に対して、あなたがたが命じたことはすべて、達成されずして、わたしに戻ってくることはない。あなたがたの断食、祈りを通してあなたがたに語られた言葉は、(強大な天の軍勢に伴われて)出ていって、暗闇の支配者を破壊し、敵の要塞を粉砕するであろう。
わたしの民よ、注意深く見、観察せよ。あなたがたは、わたし・主が偉大なる神であることに驚くであろう。わたしは邪悪な支配者たちに立ち向かい、彼らを徹底的に打ち負かし、わたしの民を解放する。

〔ここで主は私(これを書き留めている筆者)に次のようなことを示された。私たちが悪魔の要塞を破壊する、と命じるなら、権威を帯びた私たちの言葉によって、神の命令に従う幾千もの武装した御使いが放たれ、御使いたちは暗闇の力に激しい戦闘を挑み、その結果彼らを縛り、服従させ、これ以上聖者を迫害することができないように無力にする。また、天の軍勢は、敵(テロリスト)を混乱に陥らせ、不信、怒り、非難で彼らの間で同士討ちをさせる〕

わたしは、かの古代の蛇・悪魔が、わたしがこのように語っている今、現在も働いていることを見ている。わたしは彼らがわたしの民の首をはねたり、残虐行為をしていることを見ている。わたしは、わたしの名によって歩み、わたしに信頼するわたしの民の虐殺者を見ている。わたしの民は、わたしの名によって歩んでいるがゆえに彼らに捕らえられた。わたしの民は悪魔がもたらした恐怖の中で、捕らえられた。

二つの大きな川の間にある、古代の偉大なカルデヤの地に住むわたしの民は、いま敵の軍隊と悪魔の主権の下に置かれている。わたしの意志と目的は、LBと名乗る軍隊を徹底的に破壊することだ。わたしの意志と目的は、大悪魔の軍隊に属するメンバーに警告し、次のことを告知することだ。
それは、もしそのメンバーがわたしの民に耳を傾け、邪悪な道から転向し、悔い改めて、邪悪な行為をやめるなら、その邪悪な行為がどんなものであれ、わたしは、そのメンバーたちの罪と邪悪行為を赦し、憐れみをかけるということである。

わたしは、わたしに罪を犯した者たちとわたしの目の前で大変邪悪なことをした者たちのすべての罪悪を赦す。わたしは憐れみと慈愛の神だから、そうする。わたしは邪悪な者たちを赦し、彼らの罪をもう思い起こさない。

しかしそれにもかかわらず、彼らが聞く耳を持たず、よこしまな道から回心しなければ、わたしは彼らを徹底的に滅ぼそう。わたしは彼らをみずからの仕業によって滅ぼす。そして彼らが迫害し、脅したわたしの民を解放する。わたしの民はわたしの手が彼らを救ったことを見て、わたしを賛美し、わたしに栄光を帰し、わたしの名を賛美し、ほふられた小羊であるわたしの子にも、栄光を帰すであろう。彼の名において、LBに対して、そして古代の蛇・悪魔に対して、勝利が成し遂げられるのである。

わたしの民よ、次のことを知れ。
この数ヶ月間LBによってなされている邪悪な仕業(そのように、あなたがたがみなしていること)は、紛れもなく、大敵の為せるわざである。LBの戦略は単にキリスト者を殺害し、恐怖に陥れるだけでなく、神の民の古代の地を、またイスラエルの地をのっとり、さらに恐怖と恐れを通して全世界を支配しようとするもの、来るべき邪悪な悪魔のために備えようとするものである。

そこでわたしの民よ、わたしはLBに立ち向かう軍勢を作り上げる。それは武器、爆弾、軍隊の力を持つ軍勢ではない。結局のところ、この世の武器は、LBを支配する暗闇の力を倒すことはできない。

そうではなく、わたしの民よ、わたしはあなたがたに、わたしとあなたがたの敵である悪魔のとりでを滅ぼす、この世の武器ではない聖霊の武器を与える(コリント人第二10:4)。
わたしは祈りの中で強い武器をあなたがたに授ける。それによって、わたしは悪魔とその共犯者を徹底的に倒し勝利する。わたしの武器はわたしの声に注意を傾けず、悔い改めをしなかったLBのメンバーを滅ぼす。

世界はわたしの勝利を見るであろう。しかしこの世は敵が敗北したのを見ても理解しない。
わたしの民はその勝利と敵の破滅を見て理解し、わたしの名を賛美し、わたしに栄光を帰すであろう。わたしの民は、その名によって彼らに勝利をもたらした、わたしの愛する子に栄光を帰すであろう。わたしの民は賛美し、わたしを礼拝するであろう。
パロの軍隊が敗れ、紅海で溺れ死んだように、LBの軍隊も溺れて、敗北するであろう。彼らは同士討ちをして互いに殺しあうだろう。わたしが彼らに不信と混乱をもたらし、悔い改めない彼らをわたしが消し去るからだ。彼らは無力なものとされるであろう。すでに天界で、勝敗は決しているからだ。そして邪悪な支配者たちと暗闇の堕天使たちは、祈りと断食を通して執り成しに立ち上がるであろうわたしの民がすでに、彼らに発した言葉によって征服される(無力に服する)であろう。

そのあと、わたしの民は、敵が奪った地、地域を取り戻し、捕らえられていたわたしの民は自由になるであろう。古代の地をはじめ、迫害下に置かれている*他の地域に住むわたしの民は解放されるであろう。

また、わたしの民よ、わたしは、邪悪な方法とあなたがたの社会にテロをもたらすことによって、ヨーロッパやアメリカの地同様、この地やあなたがたの地の人々を損なおうともくろんでいる者たち(LBに同調・支持する者たち)の策略や陰謀を、くじくであろう。(わたしの民、あなたがたによって宣言された)わたしの言葉は、これらの地で敵の策略を打ち負かさずして、空しくわたしに戻ることはないであろう。

それゆえ、わたしの民よ、わたしのもとに来たれ。わたしがあなたがたのために備えている油注ぎと権威を取りあげ、祈りの中でわたしの前に立て。すでに準備万端整っている。
わたしは、わたしの軍勢をわたしの武具で武装させ、敵に向かって戦いを始めるのを待っている。わたしはLBの手からの解放と憐れみを求めて、叫び苦しんでいるわたしの民の声を聞いた。
わたしの民よ、集まり来て、天界で大いなる戦いを始めよ。わたしがもう今(遠くの地で)建てあげている人々と一緒になって戦え。勝利は確かで、アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしのものである。また、悪魔の仕業をうちこわすために来た(顕れた)わたしの子のものである(ヨハネ第一3:8)

(アーメン、天の父よ、私たちがあなたの召しに応えることができますように)
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編集上、原文の一部を置き換えました
「LB」はすべて暗号(アルバム法)による置き換え
#、* も置き換えた箇所
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後記:

10月20日
敬愛するフランシス兄弟から、上記のようなメッセージが届きました。 
このメッセージに賛同し、「執り成し、祈りの戦士」として主の軍勢に連なることを望むと思われる、主にある兄弟姉妹に送ってくださいとの真摯な呼びかけです。
このメッセージが確かに主からのものであると見分けられた方々には、次のステップ、―このメッセージを実践に移すため、具体的な方法を模索、全世界の主の祈りの軍勢を築き上げる― に移ろうではないか、と、F兄弟は提案しています。

LBと呼ばれるグループの活動の鍵となる指導者たちに的を絞って、祈りで、彼らを悔い改めに導き、現在行っているキリスト者をはじめ、少数派、弱小の異教徒たちへの迫害、虐待をやめさせ、主のご介入で民と地の復興を図ろうとの働きかけです。この場合には、主が、彼らを赦し、受け入れてくださることになるでしょう。

しかし、彼らが現在エスカレートしている邪悪な行動を改めなければ、私たちの執り成しは、主の権威によって彼らに立ち向かうことに方向転換することになります。
すなわち、彼らが悔い改めるようにとの祈りではなく、神の裁きが彼らの上に下り、彼らの体制が終焉するように、彼らの上に自滅による滅びが下るようにとの祈りに変わります。
F兄弟の取り次いだ神のメッセージの中で言及されているように、神の裁きは、彼らを混乱、不信に陥らせ、憎しみ、疑い、怒りで互いを滅ぼしあう、同士討ちの形で下ります。
自らの邪悪さが互いに相手に向けられ、結局は自らを滅ぼすということは無慈悲に思えますが、これが、神が自分に示されたことで、もし主が語られたことを自分が正しく聞いたのであれば、赦しと憐れみだけでなく正義の神は、彼らの邪悪さにうんざりしておられると、F兄弟は語っています。

全世界の私たちキリスト者はみな互いに、ずいぶん離れたところに住んでいますが、私たちは、毎週定まった日、定まったときに、このために祈り、断食するなら、霊の戦いに一丸となって臨むことができると、F兄弟は呼びかけています。
もしすでにこの戦いを始めている群れがあれば、この輪はいっそう大きくなるわけで、祈りの大きな効果が期待できることになります。
迫害下で苦しんでいる神の家族の一人ひとりの救いのため、具体的にどのような形で、全世界を挙げてのキリスト者の祈りを統合させることができるか、良い案があれば、取りあげたいとのことですので、ご意見をお聞かせください。

F兄弟のメッセージは、ヘブル語(旧約)聖書で、神が語られたことに一致し、憐れみ、赦し、公義の神の本質が反映されています。F兄弟がメッセージの途中で示された神の御使いたちの援護力は、私たち祈る者にとって、大きな励ましです。
〔ここで主は私(これを書き留めている筆者)に次のようなことを示された。私たちが悪魔の要塞を破壊する、と命じるなら、権威を帯びた私たちの言葉によって、神の命令に従う幾千もの武装した御使いが放たれ、御使いたちは暗闇の力に激しい戦闘を挑み、その結果彼らを縛り、服従させ、これ以上聖者を迫害することができないように無力にする。また、天の軍勢は、敵(テロリスト)を混乱に陥らせ、不信、怒り、非難で彼らの間で同士討ちをさせる〕―F 兄弟のメッセージから引用―

このメッセージを受けとられた皆さま、今すぐにも執り成しを始めてください。


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Fさんから「霊の戦略」のメッセージ

主の呼びかけに応答して、私たちが執り成しと霊の戦いの祈りをする方法、―霊の戦略―

2014年10月23日
聖地の人々に邪悪な圧制を強いているLBを操っている「暗やみの力」に立ち向かう主の軍勢に加われ、との主の呼びかけに対して、私たちは次のように応えたいと思います。


毎週金曜日(あるいは、主の召しに従って、一週間ごとに曜日を決めて)、二時間、断食と祈りをささげる(あるいは、二時間以上、霊の促すままに、自宅において一人であろうと、小グループであろうと)。
断食中(また、それ以外のいつでも、祈りの態勢にあるとき)、私たちは次のように祈る。

1.悔い改めと聖めの祈り

私たちの手と心は聖なる神の御前に、聖(きよ)くある必要がある。
どんなふうにであれ、あなたを傷つけ、あなたの魂を害(そこな)ったいかなる人をも無条件で赦す。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
(ヨハネ第一1:9)

2.目に見えない世界に存在する暗やみの力に向かって「霊の戦い」に挑(いど)む前に、神のすべての(霊の)武具で装備

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
(エペソ人6:10-13)

3.神が私たちに祈るようにと呼びかけられた、権威ある「命令の祈り」

私たちは確信と頑強な決意をもって祈り、敵が後退、服従、縛られ、捕虜となるまで微動だにしない。それは、あたかも軍艦が敵地めがけて強力な一斉射撃をするようなものである。私たちは、神の権威と油注ぎを受けているので、はっきりものを言う。
神の代弁者である私たちは祈るとき、『コリント人への手紙第二4章7節』の聖句に心をとめる。私たちは、素晴らしい宝物をおさめている土の器にすぎない。したがって、私たち自身が行うのではなく、御霊によって私たちの中に住まわれる主が働かれるのである。
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
(コリント人第二4:7)

「命令の祈り」:

私たちの祈りという「弾薬」は、先に筆者に与えられた預言の中で語られた「私たちの証しの言葉」である。
私たちの証しは、イエスが私たちの主、王、贖い主、救い主であることを語ることである。私たちはこのことを、暗やみの力に対し、強調して言明できる。私たちは、カルバリ(「どくろの地」、ゴルゴタ)でのイエスの勝利、悪魔の敗北で、悪魔が「嘘つきで、詐欺師」であることが完全に暴露されたことを、悪魔自身に思い起こさせる。悪魔は神の足台で、全能の神の足は悪魔の首に置かれている。
私たちは、終わりの日に悪魔がその共犯者とともに火の海に投げ込まれることを、悪魔に思い起こさせるのである(黙示録20:10)。また、救いは神、そして、その御座にいます小羊のものであることを悪魔に思い起こさせる。私たちは悪魔が完全に打ち負かされたことを、悪魔に思い起こさせるのである。

実際、私たちは今、イエスの名によって戦う御使いの軍勢に、「いにしえの地に行き、天界で無力にされた悪魔とその配下の悪霊どもの軍団と戦い、それらを隷属させよ」と命じる。
私たちは、悪魔と悪霊がLBに及ぼした影響を破壊する。私たちは、LBのメンバーに及ぼした、憎悪、殺人、恐怖、苦悩、邪悪、怒り、欲望、欺瞞の霊どもの力を打ち砕く。私たちはその一つひとつの名を挙げる。私たちは、LBの軍隊の心、感情、霊をとりこにしているすべての闇の力とその活動を縛る。

私たちは、LBの一人ひとりを暗やみの悪魔の力から解放する。私たちは命じる、「暗やみの力よ、今、LBのメンバーたちを無条件に解放せよ。私たちはイエスの名においてこれを命じる。そして、天の軍勢よ、今、この命令によって行動を起こし、行って彼らの心、感情、霊に巣くっている悪魔の支配から彼らを解放せよ」と。

私たちはイエスの名において彼らを自由にし、同時に、イエスの名において、神と被害者に対する彼らの悪行を、彼らが悔い改めるようにと促す。そして、
父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)
と祈る。
私たちは天界の御使いの大軍勢に、この地域で活動しているすべての悪魔の力と暗やみの力を引き続き解くことなく、縛り続けることを命じる。いつまで縛り続けておくかに期限はない。イエスの再臨のときまでかもしれない
私たちは霊の領域において、LBの猛攻撃によって敵が略奪したこの(地理上の)地域を取り戻す。私たちは、この戦闘を通して悪魔の軍勢のすべての戦略と戦術の失敗を命じ、このような状況の中で、彼らの中に混乱と失敗をもたらすように、御使いの軍勢を送りこむ。

4.解放の祈り

さて今、私たちは祈りの中で、LBの脅威の下で捕らえられた人々を解放する。私たちは御使いの軍勢に、イエスの名によって出ていって、天界において彼らを解放するようにと、命じる。それは地の世界においても、彼らが自由となるためでる。

私たちは彼らを捕えた者をイエスの名において無力にする。私たちは、人々を殺害、強姦、拷問、首をはねるなどの脅しで捕えた者たちを無力にする。私たちは、彼らが、彼らの捕虜たちを通しても悔い改めへと導かれるように、全能の神が御言葉に従って、その者たちを取り扱ってくださるようにと、祈る。神の恵みが捕獲者の心を悔い改めへと導くようにと、祈る。
私たちは再び
父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。
と祈る。私たちは天の神が、可能なかぎりの手段を使って、それらの者を、神と犠牲者に対して行った邪悪から悔い改めへと変えてくださるようにと、祈る。それにもかかわらず、彼らが変わらず引き続き被害者に危害を加えるようであれば、私たちは天の父が、彼らがこれ以上の邪悪行為を被害者に対して行うことがないように、必要なことを実行してくださるようにと、祈る。

5.LBを海外の組織が支援することに反対する祈り

マレーシア、インドネシア、ブルネイ、サウジアラビア、アフリカ諸国、アラブ首長国連邦、その他のアラブ諸国、イラン、パキスタン、シンガポールなど、聖地以外のイスラム教国の中のLBに同情的なすべての組織団体に反対して祈る。これらの国にある、いかなる組織、団体による金融支援に対しても反対の祈りをする。LBに加われ、と若者を勧誘するいかなる宣伝工作にも反対して祈る。
私たちは祈りの中でこのような活動に対して立ち向かい、「私たちの証しの言葉」を宣言し、このような組織にかかわる闇の力を縛り、その力を無力化し、御使いの軍勢にイエスの名によって私たちの命令を実行させる。私たちは、イエスの名により悪魔の力に勝利したことを宣言する。

私たちはLBに同情的な人々(彼らはだまされている)に対して神の恵みと憐れみがあるように、そして、彼らが神の声を聞いて悪魔から離れ、悔い改めて神に立ち返るようにと、祈る。もし彼らが、悔い改めよ、との神の声を聞かず、邪悪なメッセージを広め、LBを支援する人々をだまし続けるなら、私たちは、主なる神がいかなる手段を用いてでも、その行為を止めさせるご介入をされるようにと、神に祈る。あわせて、もし彼らが悔い改めを求めるなら、神の恵みが彼らにあるようにとも、祈る。

6.豊かな西側諸国のグループおよび連合組織からのLBへの支援に反対する祈り

私たちは、豊かな(非イスラム教の)西側諸国のグループ、および、連合組織からのLBへの支援に反対して祈る。また地下組織、地下連合組織、麻薬の資金を使用する組織的犯罪集団からの支援及び金融支援についても、反対の祈りをする。
私たちは、LBに資金供給のために麻薬取引を行うイスラム教への同情者がいることを知っている。彼らはオーストラリアのみならず、他の西側諸国の若者から(麻薬を売って)お金をまきあげ、その不法な資金でLBを支援している。

私たちは、これら麻薬を扱うグループや連合組織に対して、イエスの名によって立ち向かう。オーストラリアで活動する暗やみの力に対しイエスの権威により、これらの麻薬組織の指導者たちに及ぼしている暗やみの権威を破壊する。イエスの名によって、これら麻薬のボスたちを動かしている悪魔の支配を縛る。彼らを動かし、圧力をかけている貪欲、権力、欲望、強奪、欺瞞、偶像、殺人、憎悪、怒り、邪悪の霊に私たちは立ち向かう。私たちはその一つひとつを名指し、イエスの大いなる名によって、今この時点でそれらを無力化し、従わせる。私たちは御使いの軍勢をイエスの名において送り出し、以上述べたいかなる状況下においても、そこで活動する暗やみの勢力、サタンの力を打ちのめし、それらを無期限に縛る。イエスの再臨のときまでさえも。

私たちは彼ら(LBのメンバー)が捕虜を解放するように、また、イエスの名において、彼ら自身が解き放たれ、自由になって、彼らの邪悪な方法を悔い改めるようにと祈る。また私たちは、彼らが国の権威のもとで法的に裁かれるように命じる。そして、彼らの策略がこれ以上もはや成功することなく、彼らへの金融支援も今すぐ中止されるように命じる。また、彼らの活動が混乱し収拾がつかなくなり、彼らへの送金が彼らの手許に、今ただちにも、到着しなくなるようにと、命じる。

7.守りの祈り

結びに、守りの祈りをする。
それは、敵の要塞を攻撃したことにより、敵が私たちに報復する可能性があるからである。しかし私たちには神の民としての確信がある。
それは
あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。―主の御告げ―。
(イザヤ書54:17)
と記されていることによって。
私たちは、もう一度、イエスの尊い血潮を、私たちの生命、家族、親戚の者、家、資産、人間関係、心の働き、仕事の上に注いで、覆ってくださいと、神に願う。そうすれば悪魔は、どんな方法によろうと、私たちを妨害することができなくなるからである。私たちは、聖なる御使いたちに、イエスに由来しないいかなるものからも私たち一人ひとりを守り、保護し、私たちの周りを取り囲むようにと、命じる。
私たちは祈りの中で勝利したことを、神に感謝し、神をほめたたえる。天界で私たちがすでに勝利を得たことを見ることはできないが、私たちは、勝利者、王であるイエスの内にあって(見えないが信仰によって)、勝利を得たことに対して神をほめたたえる。
しかし、神に感謝すべきです。神は私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(コリント人第一15:57-58)

兄弟、姉妹たち、私たちの労苦は決して無駄になりません。神と御座にいます小羊に栄光がありますように、アーメン!

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編集上、原文の一部を置き換えました
 「LB」はすべて暗号(アルバム法)による置き換え
 「私たちの証しの言葉」:敵に対して宣言する証しは、「イエスがわたしの民をあがなった小羊であり、イエスは古代の蛇・悪魔を打ちのめし、勝利した」というもの (「Fさんの預言的メッセージ」から)
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後記:

10月27日
先日、オーストラリア、パース在住のフランシス兄弟が主から与えられた預言を、皆さまにお伝えし、賛同される方は祈りの軍勢に加わっていただくよう、お願いしました。
その後、どのような形でこの祈りの群れに加わり、主に嘆願するかの具体的な指示を仰ぎましたところ、上記のような「霊の戦略」が送られてきました。

F兄弟は、預言を与えられたとき、神が非常に憤っておられる印象を受けたとのことです。
中東二ヶ国を占拠し、キリスト者や少数派のイスラム教徒の迫害に関わっているこれらの人々の邪悪さは度を越しており、神にとって耐えがたいことですが、それでも、神は、赦すことを望んでおられることを、私たち執り成し手に思い起こさせられたとのことです。
しかしながら、義なる神は、邪悪な加害者たちが、神の悔い改めるようにとの招きと神が差しだされた憐れみとを拒むなら、彼らの上に裁きが下ることを許さざるを得ないのです。

預言の中で、F兄弟は、神が彼らの中に、混乱と対立をもたらすことによって、彼らを滅ぼすおつもりであること、滅ぼすことができるのを「見た」のでした。彼らはついには、怒りと疑惑でお互いを滅ぼしあうことになるのです。

私たちは、神の裁きを彼らの上に呼び求めることはできませんが、私たちには、神に、彼らの悪行を止めさせるに必要なことは何でもしてくださいと、「願う」ことはできるのです。また、私たちは、キリストが十字架上でささげられた祈り:「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」をいつも祈らなければならないのですと、F兄弟は言います。
私たちがこのように祈るとき、神は、何らかの形で、悪行に終止符を打ってくださり、邪悪な加害者たちを赦し、これらの邪悪な行為をひき起こした暗やみの働きを完全に破壊してくださるのです。

上記の祈りの戦略は、F兄弟がパースでの祈りのグループのために書きあげたものです。私たちも、この指針に沿って、祈っていくことができます。
具体的に記されている一項目一項目をそのまま祈り進むだけでも三十分から四十五分はかかります。このように祈ることもできますし、あるいは、毎週一日定刻に、二時間の祈りと断食のときを持ち、一度に一段落ずつ祈っていくこともできると、F兄弟は、少しでも多くの主にある兄弟姉妹が、祈りに加わることを望んでいます。
主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。
(詩篇116:2)

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Yさんの証し その9

10月17日

頌主(しょうしゅ)   

14日の夜分遅く、無事英国に帰国いたしました。
道中安全のお祈りを有難うございました。心より感謝申し上げます。Hallelujah!

胎児も、イタリアの燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽とイタリアの日差しを浴びた果物や野菜が気に入ったのか、日差しを浴びたり、食べる度にクルクルと嬉しそうに動いていました。気温は27-28度と少し高めでしたが、日陰に入るとひんやりと心地よく、そよ風が常に吹いており、最高に有り難いことでした。

前回(2009年)の旅では、空港が雪に閉ざされ、機内で五時間待機したり(現地のホテルに着いたのが翌朝の四時)、夫が尿道結石になり、朝四時に救急車でローマ大学附属病院に運ばれたり、次々に予期せぬ出来事に襲われながらも、主に守られ、切り抜けることのできた道中でした。
今回は、日本行きの代わりの休暇ということで、ゆっくりと過ごしました。過去に訪れた所、人混みは避け、Ostia Antica やTrajan MarktVilla Farnesina  などローマの遺跡を訪れました。

また、日曜にはGesu教会(イエズス会の母体教会)を訪れ、聖餐式はカトリックの規則に従って拝受は控えましたが、各地から訪れた修道士・修道尼の皆さん、道中の信者さんや旅行者の方々と平和の挨拶を交わし、主の御名における兄弟姉妹が世界中におられることを心強く、嬉しく思いました。

Santa Maria Trastevere は前回葬儀の最中だったため、今回再訪しました。主イエスが私たちの罪の贖いのために成し遂げてくださったこと、
“Immanuel/Emanuel(The LORD is besides us)”
という言葉に思いを巡らせながら、教会内のビザンチンモザイクを見て回りました。

ローマ訪問も3度目となりましたが、フォロ・ロマーノ(古代ローマの都心)や様々な古代ローマの遺跡・慣習の名残を目の当たりにして、人間の一生の短さ・儚(はかな)さ、同時に一日一日を懸命に楽しみながら生きていくことの大切さ
Carpe Diem:ラテン語「今を楽しめ」
を、何度も何度も諭され、帰国の途に着きました。
また対照的に、聖書の御言葉は永遠に変わることがないこと、主の贖いを信じる者に主がお約束くださった「永遠の生命」が儚い人生に慰めと真(まこと)の喜びを与えてくださることに、あらためて感謝する旅となりました。

Jewish Ghetto(ナチスが設けた強制収容所も含めたユダヤ人強制居住区域)も訪れましたが、残念ながらSukkah(仮庵の祭りのために一時的に設置される簡易小屋)は見られませんでした。
1555年に法王の命令で、常に氾濫(はんらん)に脅かされるティベル川岸のこの地域に押しやられたユダヤ人たちは、さまざまな迫害を乗り越え、生き抜いてきました。皮肉にもこのGhetto地域は現在最も旅行者に珍重され、市内中心部で最も家賃の高い地域に発展したそうです。

日本もだいぶ秋めいてきた頃でしょうか。秋の味覚を堪能(たんのう)され、お元気にご活躍くださいませ。
皆さまの上に、主の御守りと、豊かな祝福がありますように。

Love in Christ,
Y

聖書の言葉、豆知識「インマヌエル」

イザヤ書8:7-8
「その広げた翼はあなたの国(ユダ)の幅いっぱいに広がる。しかし、インマヌエル」

(8節後半部、NIV)

鷹のような勢いで迫り来るアッシリヤ勢に南ユダ王国は、洪水にたとえれば「首」まで脅かされるが、しかし、「インマヌエル(Immanuel/Emanuel)」。神がともにおられるので、崩壊寸前に守られるというイザヤの預言。
続く9、10節で、「神がともにおられる」という名の御子が与えられるというしるしの与えられたダビデの血筋のユダ王国が完全な破壊、絶滅からは守られることが、さらに預言されている。
実際、アッシリヤ王セナケリブは、701BCEにユダを侵略したとき、洪水が猛スピードで全土に広がるように、またたく間にユダの全都市を陥落させたが、エルサレムは落とすことができなかった。

(詳細は『一人で学べるイザヤ書』p.47-48)

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メアリー・ジェインの手紙 : 2014年10月3日、8日

愛するフルダミニストリーの皆さま     

2014年10月3日

お返事が遅くなったことをお許しください。実はこの9月26~28日、入院していました。

この三ヶ月間、私は背中下部および下腹部の痛みに悩まされていました。病院に行って精密検査をしたところ、内臓の不具合が見つかり、放っておくと体内の老廃物など、蓄積物の毒素が身体に害を与えるので手術が必要との診断でした。
10月2日に手術をする予約をし、この手術の費用を金融会社から融資してもらう段取りをしました。ところが、9月25日に激しい痛みと下血で、医師に連絡したところ、生命にかかわるので即、手術が必要とのことで、緊急手術を受けました。

そのため、融資予定日までに間に合わず、ミニストリーの資金の一部を手術費用、入院費用に使用させていただきました。お許しください。
私は病気で入院したのは生まれて初めてで、麻酔が切れたあと、痙攣、悪寒、四十度の発熱があり、恐怖の経験でした。しかし、その間、私は神さまに力と慰めを与えてくださるようにお祈りをし、支えられました。

さて有機養豚の件ですが、八月に、どのように豚を育て、飼育、管理をするかのセミナーとワークショップ(実習)に出席しました。そこで私たちは、豚の飼料の作り方、豚の飼育舎の作り方などを学びました。また、有機黒豚を農場で飼育するという実地体験もしました。
次のe-mailで、今私たちが考えている有機豚飼育プロジェクトの詳細をお知らせするつもりです。

最後に、いつも月報『フルダレター』をお送りくださり、お礼を申しあげます。
またL姉妹の奇蹟的ながんのいやしの証(あか)しを神さまに感謝するとともに、彼女が望んでいるように、親戚、友人の救いのために、主によって用いられるようにお祈りいたします。

多くの愛をこめて
メアリー ジェイン

2014年10月8日

その後、e-mailでのご連絡と金銭的ご支援をいただきありがとうございます。

この10月4日、術後検診で病院に行きました。
担当医師から健康な白血球を維持するために、ある種のビタミンの摂取をするように指示があり、また私の血圧は90/60でとても低いと言われました。四十歳を過ぎたら、自分で健康管理をしっかりするようにと言われ、つくづく、もう年なのだと思ったことです。
十二月にまた検診を受ける予定です。
健康保険加入のアドバイスをくださり、ありがとうございます。来週、その手続きをするつもりです。

さて有機養豚の件ですが、飼育担当予定のダニーを手助けする人が少なくとも二人は必要で、そのための費用も見積もりに入れるつもりです。次の機会に、このプロジェクトの詳細が分かるように、本件実現のための事前調査のご報告をいたします。

L姉妹にも今、e-mailを送ろうと思っています。
私も手術後、時折まったく食欲がなかったり、一週間ほど気がふさぎ泣いたりしましたので、彼女の気持ちはよく分かります。本当にどうしようもなく滅入ってしまう「とき」って、あるのです。引き続き彼女のために祈っていくつもりです。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある…泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある…」
(伝道者の書3:1-8)
祈りの課題である日本の平和憲法維持についても祈ります。日本があの第二次世界大戦時のような軍事国家に舞い戻れば、―フィリピンも侵略されたのでした― 大変なことになると私たちも考えています。日本がその方向に心を向けるなら大変な力を発揮することになるに違いないからです。その動きについて随時、最新の情報を下さるようにお願いします。

皆さまの熱心な祈りとご支援がなければ、私とフィリピンの群れは生き延びていくことができないでしょう。
再度、厚くお礼を申し上げます。

多くの愛をこめて
メアリー ジェイン

あとがき

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです」
 (マタイ5:43-45)

天の父の子どもたちは国境を越えて、みな、真の神の家族の一員です。メアリー・ジェーンと主にあるフィリピンの群れは、過去日本軍がフィリピンに対して犯した侵略の罪を赦してくださったので、私たちは唯一真の神の家族の一員として、兄弟姉妹の愛の関係で結ばれているのです。
このことを達成してくださったキリストに感謝!


主は、馬車馬のように身体を酷使して、過酷な環境下で宣教に従事しているメアリー・ジェーンに、警鐘を鳴らし、休息のときを与えてくださいました。フィリピンでは、彼女も両親も健康保険に入っておらず、彼女は今回の緊急手術と入院で医療費を捻出(ねんしゅつ)しなければなりませんでした。
フィリピンで福音宣教に従事している伝道師や単立教会の牧者たちは健康保険に入っていないばかりか、政府からの社会保障給付も皆無というのが現状のようです。みな貧しいのです。それでも、信仰で宣教に励んでいます。
主が従順なしもべたちを霊肉ともに支えてくださることは確かです。
しかし、メアリー・ジェーンは今、何百人という群れの霊肉を養い、単立の牧者たちを定期的な献金で支えたりしています。彼女が倒れることによって、いかに路頭にさまよう人たちが多いかを考えますと、彼女にとって、最低限の健康管理と緊急なときの医療費の保証は、この世に生きている間は「キリストの彼女を通しての御働き」のために必然です。
今回、自分自身のためにお金を使うこと、時間を費やすこと、労することを躊躇(ちゅうちょ)するメアリー・ジェーン、主の真のしもべに、保険に加入し、健康管理に気を配る方向へと軌道修正できたことは、まさに神の「とき」でした。

「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である」
(伝道者の書5:19)