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第277号   申命記18:9-22

ハロウィンとは?

神はご自分の民イスラエルに、「わたしの民は知識がないので滅ぼされる」と警告された。この世には、見かけは純真でも、実は有害な出来事がたくさんある。ふさわしい知識は、不必要、不用心に暗闇の世界に引き込まれ、災いに遭うことから、私たちを守ってくれる…

あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである。あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない。
確かに、あなたが追い払おうとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきた。しかし、あなたの神、主はあなたがそうすることを許さない。あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。これは、あなたがホレブでのあの集まりの日に、あなたの神、主に求めて、「私の神、主の御声は二度と聞きたくありません。私は死にたくありません」と言ったことによるものである。それで主は私に言われた。「彼らの言ったことはもっともだ。わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口にわたしのことばを授ける。彼はわたしが命じることすべてを彼らに告げる。わたしの名によって彼が告げる、わたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしはその人に責任を問う。ただし、預言者であっても、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする者がいるなら、その預言者は死ななければならない。」あなたが心の中で「私たちは主が語られたのではないことばを、どのようにして知ることができるだろうか」というような場合、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたのではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼におびえることはない。                       申命記18:9-22(新改訳2017)

今年も古代ケルト人の祭りハロウィンが近づき、この世はオレンジのカボチャのランタン、グッズ、魔女、お化けなどの仮装で、若者や子どもを呼び込む商戦たけなわです。
日本では年を追うごとに、ハロウィン行事が定着しつつありますが、人々はクリスマス同様、祭りに関わっている背後の霊や由来には全く無頓着なようです。ハロウィンはカトリック教会公認ということもあってか、一般的には悪霊を追い払う祭りとして肯定的にみなされているようですが、果たしてそのように無邪気な仮装祭でしょうか。

神は、御言葉に耳を傾けず、我が道を行く民イスラエルに
わたしの民は知識がないので滅ぼされる。(ホセア書4:6)
と警告されましたが、いつの時代も、真相を知れば、深入りする前に関わりを断ち切ることによって身を守ることができるのに、知らないために悪に従事し、滅びに向かっている人々は多いのです。

最初に、ハロウィンは、ちまたで間違った情報が流れているようですが、キリスト信仰とは関係なく、そのことは聖書に、異端の慣習に関わることへの警告こそあれ、このような祭りに全く言及されていないことから明らかです。キリスト信仰との顕著な違いは、死を克服して永久の生命に甦られたキリストを信じる信仰が「生命」に焦点を置くのに反し、ハロウィンは「死」に焦点を置く魔女の祭りであることに見られます。墓、悪魔、魔女、暗闇が祭りの主体であるハロウィンは、明らかなように、悪霊を追い払うどころか、悪霊の支配者、悪魔を崇拝する妖術の世界に門戸を開く魔女や悪霊どもの宗教祭なのです。

この事実を知るまでは、仮装パーティーに加わったり、キャンディーをもらうために近隣の家々を「いたずらか、お菓子か?」の合言葉で巡り歩き、この祭りに参与してきた人たちは、子どもから大人まで、実際には暗闇の力、悪魔のだましに知らないで加担してきたのです。しかし、ハロウィンについての正しい知識を知った信徒には、悪から離れる決断が迫られます。

パウロは、岐路に立たされた信徒に、ヘブル語(旧約)聖書の掟を引用して、
不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われる通りです。『わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。―主は言われる― 汚れたものに触れてはならない。(コリント人第二6:14-17)
と、キリスト信仰に生きる者の明確な原則に言及し、警告しています。

「不信者」とは、キリストを知らず、受け入れていない未信者のことではなく、不信仰に陥っている信徒、神から離れてしまった、すなわち、ベリアル(悪魔)に関わっている者の意です。申命記13:13では、人々を迷わせる「よこしまな者」と訳され、詩篇101:3では「卑しいこと」と訳されているヘブル語が「ベリアル」で、パウロはコリント人第二10:14-21で、信徒に偶像礼拝との完全な断ち切りを命じています。

キリストを受け入れ、信仰告白し、聖別されこの世から分かたれた信徒は、決してこの世の道に戻ってはいけないのです。

動物が同じ道、方向に歩むための「くびき」は、同じ価値と目標を持つことによる密接な関係の象徴です。キリストにくみし、キリストのものとなった信徒は、キリストの本質と聖さに調和しないものとは何であれ、関わってはいけないのです。人の霊的状態は生活様式に反映されますから、どのような行為に従事するかで、
その人の関わりが神なのか悪魔なのかが明白になります。

次に、この世の祭り、慣習、行事に携わるとき、キリスト者が考慮すべき指標は「そのことを通して神に栄光を帰すことになるかどうか」という点です。もし、福音、神の国の教えをこの世に広めることができるなら、この世の行事に参与することは、御言葉
あなたがたは世の光です…あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。(マタイ5:14-16)
にかなったことと思われます。

明らかなように、ハロウィンは神ではなく、悪魔に栄光を与える祭りですから、一切関わるべきではないと結論づけることができますが、昨今、西欧のキリスト者の間では、「お菓子をくれなければ、いたずらするぞ」というこの祭りの性質を、御言葉伝授の機会にしようとの試みがなされてきているようです。家々にやって来る子どもたちに、お菓子ではなく、御言葉の小冊子、この世の真の光イエス・キリスト、とこしえのマナ(生命の糧)を与えるというものです。

同じアイデアは、12月25日のクリスマスを、この世に救い主イエス・キリストを伝える好機として最大限に用いることにも反映されています。12月25日はイエス・キリストの降誕日ではありませんが、この特定の日に御子の誕生を祝い、プレゼントを分かち合う慣習がこの世に定着し、今や、クリスマスの意味を知らない人がいないほどまでに、むしろこの世の祭りとして人々は祝っています。このときこそ、人々を教会礼拝に招くチャンスとして、キリスト教会はクリスマスを教会暦の最大行事に位置づけているのです。

キリスト教会では、多くの既存の教派に加えて、昨今、魅力的な賛美と奇蹟、癒やし、預言をはじめ、超自然的なわざやしるしを通して人々を魅了している「新使徒改革派教会」が急成長していますが、既存のすべての教派をも含め、カルトか否かの指標は、各教会の教え、目標が書かれた神の言葉『聖書』の主張と一致しているかどうか、語られている説教が旧新約両聖書の正しい解釈に基づいているかどうかの吟味にあります。
書かれた神の言葉『聖書』は真理で、真理は不変なので、後世、新しい啓示が示され、従来の掟や教えが取り除かれたり、書き替えられたりして無効になることはあり得ないことと、イエス・キリストご自身と初代教会の使徒たちが語った福音が判断の指標になります。

今私たちが生きている時代は、すべての領域でだましが横行しているので、偽りを見抜くには、欺く者の策略に通じることではなく、真理を知っていることが不可欠です。創造者の御旨への入り口であり、敵から私たちの心(魂)を守る『聖書』は聖霊の働きによって初めて理解できる書なので、聖書の正しい解釈は、キリストの真の信徒に開かれている特権なのです。

冒頭に引用した聖書箇所は、魔法、妖術、占いにふけり、魔女や魔術師に伺いを立てるのがならわしであったカナン人の地にイスラエルの民が入植する直前に、神がモーセを通して魔法、妖術、オカルト的な手段に一切関わってはいけないことを訓戒、警告されたくだりです。
神の民が陥りやすかった大きな過ちは、神の助けを間違った手段で求めることでした。この世の目には魅力的で、一見、有効、有力な効果をもたらすように見えるオカルト的手法による奇蹟、しるしは神が忌み嫌われることで、必ず有害であることが後に判明するので、神は最初から一切関わってはいけないと、命じられたのでした。

興味深いことに、この文脈でモーセは来るべきメシヤ、―モーセの役割を担う預言者― 来臨の預言を告げています。この預言は、キリストご自身と使徒ペテロと殉教者ステパノが認めたように、全人類の救い主イエス・キリストにおいて成就したのでした。
人々が聞きたい予言を求めて、オカルト的手法に伺いを立てるようになり、偽預言者が横行する終末の時代、神は、モーセがイスラエルの民に啓示を取り次いだように、新約の時代到来を告げる真の預言者なるメシヤを送ると、約束されたのでした。真の預言者は神の召名に従い、自分の説教ではなく、代弁者として神の言葉をそのまま告げる者です。

また聖書によれば、預言者の真偽を見分ける主な指標は➀「真の預言者」は神に選ばれ、遣わされる、➁御前に「しもべ/奴隷」として仕える、➂神から聞いて語った言葉は実現しなければならない、➃書かれた神の掟に尊厳を払う、の四点です。

諸宗教や、ニュー・エイジ、サイエントロジー等の新興宗教はみなその信憑性を強調しますが、これらの教えは聖書やキリストの教えの要素を多分に取り入れている一方で、独自の教義を立証する歴史的な書物が何もない上、それらの預言的メッセージは上記の指標を満たしていないのです。

聖書に顕された神、キリストが達成されたこと、聖霊による聖書の解き明かしを通してのみ、人は生命に連なる知識に至るのです。