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フレデリックの手紙と宣教報告:2017年11月17日

中部アフリカ、ブルンジのフレデリックから宣教報告

2017年4月24〜28日、ブルンジのニャンザラクでの教会指導者研修報告

ニャンザラクでレーマミニストリー(フレデリック主催)による教会指導者研修が4月24〜28日に行われ、私、フレデリック・ハレリマナと他二名が研修の講師を務めました。
「聖書的な執事とは?」のコース(講座)は過去に終了していましたので、今回は基本的なコースとして『テモテへの手紙第一』を学びました。

終えたコースを振り返っての 評価

『テモテへの手紙第一』を学ぶ前に、私たちは一日かけて、以前「聖書的な執事とは?」のコースで学んだことを研修参加者が実際にどのように実践しているのかについて評価をしました。彼らは、そのコースを受講したことによって、いかに自分自身や自身の考え方が変えられたかを語り、私たち講師は大いに喜び、励まされました。教会執事の講座は一人ひとりの全人間を霊的、物理的に扱うコースなのです。

研修参加者は、先回の研修の後どれだけ多くの木々、アブラヤシを植え、実を実らせたか、またトイレのための穴を掘ったかを語り、さらに今回のコースを受けた後は、それぞれの教会で聖書の学びの会を始め、信徒に今回の研修の内容を教えると誓いました。
こうした評価活動は大変重要です。
というのは私たちが彼らに提供する講座が、どのようにして彼らの宣教活動に役立っているかを知ることができるばかりか、彼らから私たちも学び、研修方法を改善し、私たち自身の教育経験の積み上げができるからです。

今回のコースのテーマ『テモテへの手紙第一

研修参加者は、この手紙が教会の指導者に宛てられただけでなく、多くの信徒をも対象としていることを再認識しました。
というのは、この手紙は公衆の前で音読され、信徒の行動、態度について扱っているからです。むしろ牧者に宛てられたというより、全キリスト者を対象とした書簡で、研修参加者が思いもしなかった事柄について言及しています。

まず言葉についてですが、参加者は書簡の中で使われている言葉は大変意味が深いということに気づきました。すなわち、パウロはすべての手紙の書き出しで定型の文章を用いていますが、この手紙については別の重要な言葉を加えて、他の手紙とは幾分違った形にしています。その言葉とは「憐れみ」です。
この手紙を読み進めていくと、パウロは自分が憐れみを受けるにふさわしくない者であるのに、神/キリストからいかに多くの憐れみを受けたか、また、かつて神への冒涜者でありながら、神から憐れみをいただき使徒とさえ呼ばれるに至ったかを語っています。
もしそのような恵みが神からパウロに与えられたのであれば、神はいかなる状況にいるどこのだれでも救うことのできる方ということです。贖われない人はいないのです。

 挑戦

研修参加者が多くの時間を割いて取り組んだのは「破門(信仰の破船)」という問題でした。彼らは、パウロが、二つの事例で「信仰の破門」を語ったことを認識しました。
一つはアレキサンデルとヒメナオの事例です。パウロは彼らをサタンに引き渡しました。もう一つは異邦人でさえもできない、あるいは、しない罪の事例です。

最初のケースでは、これら二人が信仰を捨て、異端、間違った教えを唱えたために、パウロが彼らに警告したにもかかわらず、彼らが異端信仰をやめなかったので、信仰者を守るために取らなければならなかった行為でした。間違った教え、教義は野火、毒のようなものです。研修参加者は、過去、そのような問題に対してどのように対処してきたかについて多くの意見を交わし、同時に、宿題としても持ち帰りました。
他方で、研修参加者は教会活動、運営に関して、これまでの方法や関わり方を変えていくという誓いをしました。彼らはタンガニカ湖の周辺を拠点として宣教を行っていますが、その地域は間違った教義が語られている一帯です。信徒をそのような教えから守るために彼らが戦っている現状をかんがみると、今回の研修はまさに時宜を得たものでした。

研修参加者のあかし

例一
「会衆自身が悔い改めなければならない、私はそのことに焦点を当ててきました。私はそれが教える理由だといつも考えていました。私が説教に努める理由は、会衆が純粋な心、安らかな心そして本当の信仰からくる愛によって満たされるべきであると、信じ、信じてきたからです。」

主催者として私は、もっと早くにこのコースを始めておればよかったと、感じました。
多くの女性が、教会の指導者としての資格を持っています。しかし、残念ながら私たち男性は間違って教えられてきたため、その結果、女性が教会での重要な役割を担うことを私たちが妨げてきたのです。
私見ですが、パウロが主張したことと、私たちが若いときから教えられてきたこととを比較し、関連させ、そこに焦点を当てると、私たちは教会の役員を任命する際には、もう一度原点に戻って考え直す必要があると思います。

例二
「私は、私たちキリスト者が自国の中で起きている事柄について責任があるとは考えもしませんでした。今私は、権力に対して祈ることについてのキリスト者の責任という面で怠慢であったことに気づきました。また、もし私たちが心と霊を一つにして団結すれば、ブルンジで起きている混乱の多くを回避できると思います。私の結論は次の通りです。キリスト者としてまた特に教会の指導者として、私たちに委任された教会のためになすべきことの正しい基本に戻るために、鞭打たれなければならないということです。」
研修参加者(牧者)、コースを終えて

 結論、―今回のコースを振り返って―

この書簡『テモテへの手紙第一』は私たちが毎日奮闘している諸問題を扱っているので、基礎的な学びのコースです。
このコースのために働いてくださった方々に感謝を申し上げます。このコースを終了した研修参加者はみな、各々の会衆に、違った方法で聖書を教えることができることでしょう。主が引き続き皆さまを支えてくださいますようにお祈りします。