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第226号 ヨブ記5:17-27

サタンがもたらした「罪」との戦いの人類史

― L姉妹の末期がん克服の真相―
「私には過去何年もの間、占星術(星占い)への常習的関心を断ち切れない問題がありました…
去年の夏、敵は私を誘惑しました…私の声が次第にかすれ始めたのはその直後です…」


ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。ききんのときには、死からあなたを救い、戦いのときにも剣の力からあなたを救う。舌でむち打たれるときも、あなたは隠され、破壊の来るときにも、あなたはそれを恐れない。あなたは破壊とききんとをあざ笑い、地の獣をも恐れない。野の石とあなたは契りを結び、野の獣はあなたと和らぐからだ。あなたは自分の天幕が安全であるのを知り、あなたの牧場を見回っても何も失っていない。あなたは自分の子孫が多くなり、あなたのすえが地の草のようになるのを知ろう。あなたは長寿を全うして墓に入ろう。あたかも麦束がその時期に収められるように。さあ、私たちが調べ上げたことはこの通りだ。これを聞き、あなた自身でこれを知れ。 
ヨブ記5:17-27

全聖書の中で最古の書『ヨブ記』は、人の苦しみ、悲しみの背後に神に敵対する天界の被造物サタンがいることを明確に描いている際立った書です。この世の事象を神の視点から見ることによって初めて、神の創造の秩序を乱し、神の人類救済のご計画を阻止しようと、自ら被造物の分際でありながら、神に敵対しこの世の支配者者となったサタンが、堕天使、悪霊とともに、この世の背後で暗躍していることを知ることができます。
最初の人類アダムとエバの神への不従順の結果の堕落は、人類史にサタンの介入を許し、神の完璧な家族の一員として「神の御姿」に似せて特別に創造された人間は、サタンのもたらした罪の結果、―病、苦しみ、悲しみ、憎しみ、死―  に彩られた人生を歩む者に転落しました。堕落後、神ご自身が備えてくださった救いの道によらなければ、もはや、永久の神の家族の一員となる特権に戻ることができなくなった人間の、滅びに至る人生の始まりです。

ヨブ記冒頭で、神の会議で人を訴える者として立ったサタンは、義人ヨブを苦しめて神を呪わせようとはかり、神に許可を願います。神はサタンを敗北させ黙らせるために、サタンがヨブに災いを下すことを許されましたが、そのことを通して神は、義人ヨブでさえまだ気づいていなかった、堕落した被造物に潜在的に存在する罪を自覚させ、試練を通してさらに聖めることをもくろまれたのでした。突如襲い全家族を巻き込んだ恐ろしい災いによって、大変な苦痛におとしめられたヨブが最も理解に苦しんだことは、生涯愛し、献身してきた神が自分の悲痛な訴えに応答されないことでした。しかし、神ご自身がヨブに御姿を顕されるという至福の経験を通して、最後にヨブは
「あなたにはすべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。あなたは言われました。『知識もなくて、摂理をおおい隠す者はだれか』と。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。あなたは言われました。『さあ聞け。わたしは語ろう。わたしはあなたに尋ねよう。わたしに答えよ』と。私はあなたのうわさを耳で聞いていましたが、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます」(NIV)
と信仰告白をしたのでした。

冒頭に引用した聖句は、苦難のさなかにあったヨブを助けようとかけつけた友人エリファズの最初の助言です。ヨブの苦しみの本質を理解できなかった友人は「全能者なる神の正しい裁きを耐え忍ぶ者には、考えられるすべての難儀を越える癒し、守り、助け、祝福が与えられ、長寿を全うすることができる。だから、ヨブよ、罪を悔い改め、あなたが今まで他人に語ってきたことを今、自分自身に適用せよ」と、真理を非難の心、むちで諭そうとしたのでした。
すべての苦しみをただ罪の結果と決めてかかった愛のない神学論は、神の慈しみ、憐れみに対する確信をヨブから失わせ、神を見失うまいともがいていたヨブの苦しみに、信仰の脅威さえ増し加えたのです。『ヨブ記』はページを割いて、人間的視点に立った愛のない神理解、カウンセリングの危険を訴えています。

献身的なキリスト信徒P兄弟から、今年二月半ば過ぎ、執り成し依頼の連絡が入りました。妻のL姉妹が咽喉癌末期と診断され、喉頭摘出、声帯除去の手術以外に方法がないと医師から言われ、三月半ばに手術が行われることになったとの絶望的な知らせでした。長い医者通いにもかかわらず、症状は悪化の一方で、去年十二月初めの診断でも風邪薬しか処方されなかったこと、今年になって他の医師を訪ねた結果、突然の癌宣告で動転、L姉妹は「主を賛美し、御言葉を語り告げるため、せめて声帯は残したい」との強い願望がある旨の連絡を受け、私たちの執り成しが始まりました。
五ヶ月前に主から示された詩篇によって、声帯が残されることを信じているとのL姉妹の揺るがない信仰と、喫煙、飲酒、声帯酷使などとは全く無縁な姉妹の信仰生活、医師の誤診などの要因をかんがみ、主の憐れみにすがり、私たちは主の奇蹟的なご介入を信じて祈りました。L姉妹には手術後の精神的ショックを緩和するための、声帯除去後の発声法、呼吸法、生活の仕方などのカウンセリングに重点が置かれた、手術までの三週間が始まりました。私たちの祈りは、声帯が残される奇蹟と主の完全な癒し、がん撲滅に向けられました。
L姉妹から手術中止の驚くべき知らせと御言葉通りに主が働かれたことに対する歓喜が伝えられ、私たちも主の大きなご介入をほめたたえ、すべてが好転するかのように思えたのは、手術予定日の五日前のことでした。
しかし、その二日後、姉妹は呼吸困難に陥り、咽頭腫瘍の腫れを削除し、気道を確保する緊急手術をしなければならなくなりました。成功が危ぶまれましたが、主は不安にさいなまれたL姉妹にご自身を顕され、彼女を支えてくださいました。この後、L姉妹には大変な試練のとき、六週間に亘る放射線療法と化学療法が続きました。初回の化学療法は彼女には過酷すぎ、身体の極度の衰弱に加え、放射線療法によるのどの炎症で強度の鎮痛剤も効かなくなり、液体、唾液さえ飲みこむことができなくなったため、二週間余に亘り鼻腔栄養補給に依存しなければならず、手術による声帯除去は免れたものの、それ以上の死活が危ぶまれた危機、苦しみが彼女を襲ったのでした。
しかし、癒しのきざしは突然訪れました。多くの苦しみの後、六月半ばには、笑いを交えた会話もできるまでにL姉妹の声が戻り、内視鏡検査の結果、癌の委縮が確認されました。主は、進行がんによって声を喪失し絶望状態にあったL姉妹を憐れみ、彼女の信仰と、主にある兄弟姉妹の執り成しに確かに答えてくださいました。最終的なCTスキャンによる癌撲滅宣言は九月に延ばされましたが、彼女の、加えられた生命を主への献身に捧げる新たな人生はすでに親類の者たちへの証しで始まっています。

しかしながら、四ヶ月に亘るL姉妹の闘病の間、日夜辛苦をともにした執り成し手として、主の御旨を測りかねる疑問は多く、晴らされないまま残っていました。最悪の癌宣告が告げられた最初の時点で、L 姉妹には、声を用いて犯した数々の罪を悔い改めることを勧め、私たちは執り成しを始めました。愛の主は奇蹟的なご介入で、確かに祈りに答えてくださいましたが、その後、なぜ神は再三再四、絶望感を与えるような過酷な苦しみ、痛みを容赦なく加えられたのだろうかということは大きな謎でした。
ヨブの例のように、神ご自身が義人とみなされる人だれに対しても突如として災いを下し、先が見えないような苦難におとしめられるとしたら、主のしもべたちは御心を測りかね、いつも不安を抱いていなければならないのだろうか、これが信仰生活なのだろうかと、思いあぐねていた六月末、日常生活に戻り始めたL姉妹から思いがけない罪の告白の証しが届きました。彼女の快い承諾を得て、以下、全文を載せました。彼女の赤裸々な告白は、私たちの信じている神が理由なくしもべたちを懲らしめる方ではなく、「道理の神」であることを大きく証ししています。
 今日、私は自分の罪を告白したいと思います。このことはもう神と私との間で取り扱われ、神は私を赦してくださったと、信じています。医者が私の癌を見抜くことができなかったとき、神が私に詩篇107篇17-22節、特に17節
「愚か者は、自分のそむきの道のため、また、その咎のために悩んだ」
を示されたことを以前あなたにお話したことを思い出してください。神がこの最初の聖句を示されたとき、私には神が私を懲戒されるおつもりであると分かりました。ですから、私は神に、なぜ私を病におとしめたのですかとか、直ちに癒してくださらないのですかなどと、不平を言いませんでした。神がもたらされる苦しみをすべて耐える覚悟はできていました。私は私を懲戒される神の御旨と決意を受け入れ、一言たりとも文句を言わず、そればかりか、神が愛で私を鍛錬してくださることにむしろ感謝さえしました。それは、私には自分の罪がよく分かっていたからです。
  私には過去何年もの間、占星術(星占い)への常習的関心を断ち切れない問題がありました。過去、私はこの罪を神に告白し、朝毎に熱心な祈りを捧げました。それに応え、神は憐れみを示してくださいました。2009年、神はご自身を顕してくださり、私は目で神を見たわけではありませんが、三日間の間に二度も、神の栄光、力、愛を感じることができたのでした。この世の何物にも比べることのできない、その素晴らしい体験は朝五時、教会と自宅で起こりました。私は神のために生きる決意をし、そうしたいと心は燃えていました。
  しかし、去年の夏、敵は私を誘惑しました。私は誘惑に抵抗することができず、ついに罠に落ちてしまったのです。再び、コンピューターで占星術にふけり始めたのです。私の声が次第にかすれ始めたのはその直後です。神がこの詩篇を示されたとき、私は、苦しみが神からのものであることを知りました。最初、医者の診断(末期癌告知)は恐怖でした。しかし、神は私に御言葉を与えてくださっていたので、完全に絶望的になることはありませんでした。とはいえ、最初の化学療法を受けた後、症状があまりにもひどく、身体が衰弱したため、もうだめだ、神の言葉は成らないとの思いに至りました。化学療法は耐えるにはあまりにも過酷すぎたので、正直言って、私は死ぬのではないかと思いました。しかし、そのとき、神が与えてくださった詩篇から、神は私を墓から救ってくださるのだと思い起こし、私は神に希望を託し、憐れみを祈りました。
  神の愛と憐れみを体験した私は今、今まで以上に神を愛しています。私には、私を聖めようとされた神の御心が分かります。神は人が罪を犯すのを我慢されるお方ではありません。今私は心から神をほめたたえ、感謝しています。本当に祝福を感じています。私は神の子で主は私の神です。あなたは私に、神は子らに最善のものを与えてくださると言いましたが、その意味が今分かりました。どうぞ、私のために、私の残りの人生のために、私が主のために生きることができるように、お祈りください。主のために生きるということがどういうことなのか、今まだよく分からないので、私の生涯が主に献身するものとなるように、祈ってください。信徒たちの間で、執り成しの祈りがいかに重要であるかを、私は感じています。私のために執り成してくださったお一人お一人に感謝を言い尽くせません。皆さまの上に主の祝福がありますように。Lより。
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