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第223号 列王記第二4:19-22、:32-35、13:20-21:

「生ける生命の水」のメッセージを告げた預言者エリシャ

偶像崇拝に陥り、ヤーウェ崇拝との混成宗教が蔓延、霊的にも物理的にも堕落していた北イスラエルの神を求める者たちに、「死」から「生命」に復活させる「生ける神の言葉」を取り次いだ預言者エリシャはまさに、新約時代のイエス・キリストの「ひな型」であった……

この町の人々がエリシャに言った。「あなたさまもご覧のとおりこの町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」すると、エリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」こうして、水は良くなり今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。 
列王記第二4:19-22
エリシャが家に着くと、なんと、その子は死んで寝台の上に横たわっていた。エリシャは中に入り、戸をしめて、ふたりだけになって、主に祈った……寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せて、自分の口を子どもの口の上に自分の目を子どもの目の上に、自分の両手を子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきた。それから彼は降りて、部屋の中をあちら、こちらと歩き回り、また、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開いた。     

4:32-35
こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。  

13:20-21

  エリシャは、神がイスラエル王国にご自分のメッセージを告げるために送られた大預言者エリヤの後継者として召名を受け、エリヤの二倍もの奇蹟を行い、バアル崇拝で霊的、物理的に堕落していた北イスラエルに神の生命の息吹を吹きかける大きな役割を果たしました。エリヤが始めたミニストリーを完成する役割を担ったエリシャの働きは、新約時代のイエス・キリストのミニストリーに類似しています。エリヤは「干ばつの裁き」の予告でミニストリーを始めましたが、エリシャは「生命を与える水」のメッセージ「わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない」を実証し、バアル崇拝による霊的堕落を象徴するかのように、住民に「死」をもたらしていた悪質な水を、良質の「生命」の水に変える奇蹟を先がけに南はエドムの地から、北はアラム(シリヤ)まで巡回ミニストリーに生涯をかけた大預言者でした。
  異邦人であっても、神の預言者の言葉を受け入れ、その預言者を遣わされた神ヤーウェを信じ従うなら、そこに真の生命があることを教え、体験させることはエリシャの特徴ある働きでした。求める者だれにでも、生きるに必要な水、食物を与え、病を癒し、困難から解放し、守り養ってくださる愛と憐れみの神の力は、エリシャを通して、国境を越えて広められたのでした。庶民の特別なニーズに応えて、憐れみの行為で神の奇蹟を地上で具現させた預言者は、ツァレファテのやもめとその息子を奇蹟で救ったエリヤの先例を除いて、エリシャ以外にいないのです。
  父のいない子ややもめの生活を守り、神の民の回りに住んでいる異邦人を愛し、衣食住を恵む神の本質がイエス・キリストのミニストリーを特徴づけるものであったように、エリシャはまさにキリストのひな型でした。

  冒頭に挙げた二つ目のくだり、列王記4:32-35は、エリシャを神の人と認め、そのミニストリーを支えたシュネムの女の子どもの蘇生(肉の身体から肉の身体への生き返りで、肉の身体から霊の身体へのキリストの甦りとは区別される)の奇蹟の出来事のほんの一部を引用したものですが、預言者の言葉によって図らずも授けられた息子が突然死ぬという非劇に直面した女の強い信仰が証しされています。絶望的な不可能を可能にする神の奇蹟の力によって授けられた子の行く末は、その言葉を取り次いだ者を通してのみ、神から示されるに違いないと信じた女にとって、第一優先はエリシャの許にかけつけることでした「私があなたさまに子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか」(4:28)と、このような悲しみを体験するためであったのなら、初めから諦めていた子どもを授かるべきではなかったという女の悲痛な叫び、死に物狂いの哀願は、エリシャを通して最初に神の預言の言葉を受けたとき、女の脳裏をかすめたに違いない恐れが現実のこととなった、希望の完全な消失、絶望感からの叫びでもあったのです。
  それでも、「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離れません」(30節)と揺るがない信仰から、さらなる奇蹟を求め、食い下がる女に心動かされたエリシャがシュネムにかけつけたときには、子どもは間違いなく死んでいました。神にとって即座にその子を生き返らせることは不可能でも難しくもなかったのに、なぜか神は、エリシャが真剣に執り成す道を選ばれました。そこには、密室の中で、子どもに覆いかぶさるようにして、かすかな生命のしるしをも決して見逃すまいと、必死に祈る預言者エリシャの姿が描かれています。執り成し手と母親の必死な祈りは憐れみの神の心を動かし、死んでいた子どもは生命のしるしを示し始め、肺に戻った空気によって引き起こされた「くしゃみ」は紛れもなく、生き返りの証拠で、完全数を象徴する「七」に示されたように、それは、神の奇蹟的ご介入の行為でした。密室でのエリシャのすべての行為は、魔術的、儀式的なものではなく、全身全霊でその子のために主に執り成したことを示す、熱烈な祈りの表れでした。
   「信じる者は、奇蹟を見る」ことが示されたこの話しに続き、エリシャが生命を与える食物を多くの信じる者たちに分け与えた奇蹟が記されています。ちょうど、キリストが四千人、五千人の群衆に食事を与えられたことを思い起こさせる、「持てるわずかなもので信仰の一歩を踏みだすとき、主があり余るほどに満たしてくださる」ことを実証する奇蹟でした。

  六十年以上に亘って、六人の王に仕え、長いミニストリーの終わりにはおそらくエリシャは八十を過ぎ、九十歳近くの高齢に達していたと思われます。背信の王にも「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」(13:14)、すなわち、「エリシャの存在はイスラエルの軍事力よりも力強い」と敬われ、最後にイスラエル王ヨアシュに象徴的行為で預言を告げた後、エリシャは死んで葬られます。『列王記』13章は、エリシャの最期を、「生命を与える水」のメッセージを告げた預言者「生命を与える神の代理人」にふさわしい、驚くような奇蹟で締めくくっています。
  葬式の群れがエリシャの墓の近くを通りかかったとき、モアブ人の略奪隊が奇襲攻撃をかけてきたため、動転した会葬者たちは亡骸をエリシャの墓に投げ入れて立ち去ったのでした。しかし、エリシャの骨に触れたその亡骸は蘇生し、エリシャの影響力が死後も続いていること、「死を越えた生命」のメッセージが残されることになったのです。エリシャのミニストリーはまさに、幾つかの生命を与える出来事に特徴づけられました。しかも、その死後もエリシャがイスラエルにもたらした生命の力は続いているのです。
  攻撃、混乱、瀕死のときにも、この預言者を通して生命があるという希望は、後世、約束の地カナンから追放され、捕囚の身になった「イスラエルの残りの者たち」にとって、未来を望み見るともしびになったことでしょう。「主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった」(23節、下線付加)に表現されている神の自己啓示は、出エジプト後、イスラエルの民が金の子牛を造って神に反逆したときにも神が顕わされた本質で、背信のゆえに堕落していく北イスラエル王国に対しても、神は救いの御手を差し伸べ続けられたことがうかがえるのです。
  エリシャ史詩の締めくくりで、『列王記』の著者は、「神はアブラハムのゆえに、イスラエルを滅ぼすことをいさぎよしとされず、ダビデのゆえに、ユダを滅ぼすことをいさぎよしとされなかった」と語っているかのようです。亡骸が生き返らされるという出来事は特にイスラエル史において、国を失い、バビロン捕囚に連れられていったユダヤ人に復興の希望を与えることになり、そのメッセージは「生命を与える神の言葉の担い手である預言者に『触れる』ことによって、『投げ捨てられた』後も『生命』の望みがある」ということでした。神殿、祭司制度、儀式を失った「イスラエルの残りの者たち」は捕囚先バビロンで、神の言葉、すなわち、ヘブル語(旧約)聖書「モ―セの律法と預言者と詩篇」の学びに没頭し、今日に至るまで、イスラエルに対する究極的な復興への希望は保たれ続けているのです。


「トリノの聖骸布」はイエス・キリストの時代の本物であった! 甦りを実証する墓布であることが、新たに解明された!


  神の秩序があらゆる領域で人道主義的な人間の秩序、原理、基準に置き換えられ、人類の混乱と動乱の時代に突入している二十一世紀は、まさに、エリヤ、エリシャが送られた偶像、サタン崇拝の時代と同じ様相を呈していますが、すべての預言が成就するこの世の終わりに神は、キリストの甦りが事実で、「キリストによる救いを信じる者は救われ、永遠の生命に至る甦りの身体が与えられる」という全聖書が一貫して告げている真理を、だれでも認めざるを得なくなるように方向づけておられるようです。
  「トリノの聖骸布」が昨今、また、科学的に本物であることが新たに主張されてきています。イタリアのトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されているこの墓布は、幅1.1m、長さ4.2mの亜麻布で、キリストの埋葬に使われた布であるとして、1898年に初めて写真が撮られて以来、注目を浴びてきました。しかし、1988年に世界の三大学で放射性炭素による年代測定が行われた結果、1260年から1390年の間、中世に作られた偽物であると判定されたのでした。しかし、今日の高度な工学をもってしても聖骸布のように、人の全体像を布の上にネガ状に転写することは難しく、当時の技術ではとても創作できないという難題を抱えたまま、科学者たちによって究明は続けられていました。
  まず、西暦33年にエルサレムにマグニチュード8.2の大地震が起こったことから、墓の裂けた岩から中性子が放射された可能性が指摘されました。降り注がれた中性子が、窒素の原子核と反応することによって、亜麻布の墓布にX線照射によると同じような陰画を焼きつけることになるというものです。
  また、地震によって引き起こされる放射線放出は、放射性炭素による年代測定に混乱を来たすため、1988年の場合のように、間違った年代判定が出されてしまったことと、2013年に再測定した結果は280BCEから220CEにかけての、ちょうどキリストの時代の墓布であり、しかも、排他的にエルサレムの土壌に特有な石灰岩のわずかな土ぼこりが足の部分に付着していたことも化学分析で明らかになったのです。
  次に、非常に興味深いのは、聖骸布に焼きつけられたネガ状の陰画には、頭蓋骨はじめ、外からは見えない歯も皮膚を通して写っているとのことで、考えられる唯一の解決策は、内側からの放射線を浴びた状態とのことです。聖骸布の男性は、「頭、手首、脇腹、足の部分に大きな血痕が生じるような傷、まさに十字架刑を受け、葬られ、内なる閃光放射による陰画を残して甦られたキリスト」としか説明ができないのです。
  聖書の真理が科学的に解明される日はもう来ているのです。