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フレデリックの手紙:2013年4月24日

フルダ・ミニストリーの皆さま

主イエス・キリストの御名によりブルンジの地から皆さんにご挨拶します。
ずいぶん長く、手書きによる手紙を書きませんでした。お許しください。
神はいつも私たちに良くしてくださいます。

思い返しますと、私は十カ月、英国の聖書学校で聖書を学び1994年12月に祖国、
ブルンジに帰りました。
帰ってみると、祖国は民族間の内戦で荒廃し、あちこちが、がれきの山と化して
いました。
妻と娘に再会した最初の夜、私たちの家に手榴弾が投げ込まれましたが、主は
ほむべきかな、友人が私たちを救い出し、私たちは無傷でそこを逃れ、より静かな
場所に移り、他の家族と一緒に三カ月過ごしました。

1995年3月、私たちは「ブルンジを離れなさい」という主の声をはっきり聞いたので、主の声に従い、隣国ケニヤに向かいました。結局、ケニヤでは難民として十一年間、過ごすことになりました。
今でも良く覚えていますが、1995年9月にフルダ・ミニストリーと最初の連絡をとることができました。その時以来、フルダ・ミニストリーが私たち家族と私のミニストリーを金銭面、物質面などで支援してくださっていることを本当に感謝いたします。
それはあたかも、イゼベルから逃れたエリヤが干ばつの折、ツァレファテの地で養われたかのようです(旧約聖書列王記第一17章1節~24節)。
神さまが、そのことを覚えて、フルダ・ミニストリーをさらに祝してくださるようにお祈りします。

私は、以前、売りに出されたある土地のことを、皆さまにお知らせしました。その土地を購入すれば、穀物を育てることにより、私の家族維持および教会の建設ができると考えたからです。しかし残念ながら手元に十分な資金がなく、買うことができませんでした。
ここブルンジでは土地購入の際は十分にその土地についてチェックをして、注意を払って購入しなければなりません。というのは、今でも十六万二千人のブルンジ人がタンザニアで難民生活を送っています。彼らが帰還したときには、(戦争のため)今は更地になってしまった彼ら所有の土地は当然、彼らのものになるからです(タンザニア政府は難民にもタンザニアの市民権を与えるという方針をとっていましたが、現在はその方針を撤回しています)。

フルダ・ミニストリーから、過去三台の車を寄贈していただき、感謝しています。うち一台はダンプトラックでした。残念ながら使用してから八日目に土砂崩れに遭遇し大破してしまいました。
教会建設は西洋では減少していますがアフリカでは教会は成長しています。ダンプトラックを所有することにより、土砂、セメント、鋼材などが安価で運べ、教会建設が容易になります。このことについてもどうかお祈り下さい。

神様は私たちの行くところには、必ず道を備えてくださいます。私は自分のことを「神様がなさった生きた奇蹟」だと信じています。

私がギラン・バレー症候群(急性・多発性の根神経炎の一つで、主に筋肉を動かす運動神経が侵(おか)され、四肢に力が入らなくなる病気。重症の場合呼吸不全をきたす、指定難病)にかかったとき、病院の医師は少なくとも六ヶ月は寝たきりになるだろうとの診断をしましたが、二ヶ月でほぼ快復しました(現在、少々の後遺症はありますが、97%回復したと思っています)。
また、ご連絡をします。
主にあって  フレデリック ハレリマナ


あとがき

フレデリックは数年前、ダンプトラックで事業を始めた直後に思わぬ事故で二人の、主にある兄弟を失うという非劇、ダンプトラックばかりか、事業の準備のために費やした計画、時間、労力、資金のすべてを何の償(つぐない)いもなく一瞬のうちに失うという悪夢のような現実の出来事に直面したことを静かに思い起こし、長い手紙を送ってきました。
ここに掲載したのはそのほんの一部だけです。

長い祈りの中で、国家復興途上のブルンジで一番必要とされていることは、建築資材を作業現場に運ぶ役割を担うことであると、再び主から示されたフレデリックは、今、二度目の挑戦でダンプトラックを入手することを望んでいます。
現在、私たちは、四トンから七トンくらいの中古のダンプトラックを、主が絶妙のタイミングのときに市場に出してくださることを祈っています。
これまでにも主は祈りに必ずこたえてくださいましたので、今回も主の大いなるわざを見ることを待ち望んでいます。お祈りに覚えていただけましたら、嬉しく思います。


御言葉から

フレデリックの二度目の挑戦で思い起こされるのは、サムエル記第二6章1-19節と歴代誌第一13章5-14節、15章に記されている不思議な出来事です。

このくだりを読んでの最初の印象は、神の荒療治の不可解さです。
ダビデ王国の首都エルサレムに、イスラエルの真の王であられる神ヤーウェのご臨在の象徴である「神の箱」を運びたいとのダビデのはやる思い、神への情熱は、最初も二度目も全く変わらず同じでした。しかし、神がダビデと民に示された反応は、最初は拒絶、二度目はあふれる祝福でした。

私たちは正しい動機、決断、情熱さえあれば、何でも主に受け入れられると勝手に思ってしまうものですが、神の側では違うことをこの出来事は語っています。
イスラエルの神の地上の御座としての「神の箱」の重要性をだれよりも知っていた王ダビデは、神権国家イスラエルの真の王のご臨在を象徴するその箱を、国中で最上の場所に安置したいと願っていました。
エルサレムに「神の箱」を安置することによって、民と自分の上に君臨される神の主権と支配を、イスラエルの民が正しく認識することを切望したのです。

しかし、最初に箱を移したとき、ダビデは神の示された方法ではなく、常識的に正しいと思われた方法、いわば、神の掟に則(のっと)った取り扱い方ではなく、異邦人ペリシテ人の例にならって、行動を起こしたのでした。
神の拒絶は、「神の箱」に直接関わった家来の即死という恐ろしい結果で示されました。
ダビデは憤り、―主ご自身に栄誉を帰す試みが正反対に神の怒りの顕れとなったことに対する理解できない憤慨― と神への恐れ、―主への畏敬の念ではなく、内なる罪悪感から生じた不安― で、しばらく「神の箱」から遠ざかりました。
その後ダビデは教訓を学び、神の側から何らかの指示が与えられるまでは、箱を動かそうとはしませんでした。

神を愛するダビデでさえ嫌煙した「神の箱」は、ガテに住んでいたレビ人オベデ・エドムの家に三ヶ月間預けられました。オベデ・エドムとその家族に大きな祝福がもたらされたのを見たダビデは、それを神からの「しるし」として捉え、今度は掟に則った方法で、細心の注意を払い、多くの祭司とレビ人によって「神の箱」をエルサレムに移動することにしました。

主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛を
いけにえとしてささげた…ダビデとイスラエルの全家は、
歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った」 
サムエル記第二6:13-15

レビ人が肩に神の箱をかつぎ、エルサレムに向かって恐るおそる主の御前に歩み出たダビデ一行、人間の歩みが六歩、―「六」は人の数、人を象徴する数― 許されたとき、それはもう神の祝福がダビデ一行にあり、この移動が主の御旨であるということでした。第「七歩」目からは神の祝福の歩み、このようにして、神は、ご臨在の場をエルサレムに移されたのです。

私たちはこの出来事から何を学ぶことができるでしょうか。
神の示された道を神の御旨(みむね)に従って歩むことが、私たちに要求されている真(まこと)の信仰の行為であることをこの出来事は教えています。
神は「恐ろしい行為」によって、イスラエル人に、永久(とこしえ)の神の絶対的な聖(きよ)さと、「神の箱」に象徴された聖なる方の威厳を教えられました。いや、焼きつけられたのです。
神権国家イスラエルの主にある新しい重要な始まりに際して、主は民にショックを与え、見えない神の支配の覚えとされたのでした。


フレデリックの二度目の挑戦が、このダビデの「神の箱」移動の出来事と同じように、主の大いなる祝福に変えられますように、皆様のお祈りに覚えてください。