TRANSLATE

AD | all

第200号:歴代誌第一21:1-22:1:天災を通して語られる神

【PDFはこちら】

聖書は、神の警告を無視した結果、かつて何が起こったかを詳述し、何が起こるかを明確に預言しています。真実の記録の書であり、神の預言の書である聖書だけが、今日、全世界が直面している問題、危機に対する唯一の答えを提示しています! 憐れみの神は、究極的な裁きが下る前に、キリストの教会に、日本の人たち、全世界の救いのために真剣に執り成す「とき」を与えてくださっています。同時に、まだキリストを受け入れていない多くの人たちにとって、今こそ、悔い改めて、主を受け入れる「とき」なのです。

ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。ダビデはヨアブと民のつかさたちに言った。『さあ、ベエル・シェバからダンに至るまでのイスラエルを数えなさい。そして、その人数を報告して、知らせてほしい。』すると、ヨアブは言った。『主が、御民を今より百倍も増してくださいますように。王さま。彼らはみな、わが君のもの、そのしもべではないのでしょうか。なぜ、わが君はこんなことを要求なさるのですか。なぜ、イスラエルに対し罪過ある者となられるのですか。』王はヨアブを説き伏せた……
この命令で、王は神のみこころをそこなった。神はイスラエルを打たれた……主はイスラエルに疫病を下されたので、イスラエルのうち七万の人が倒れた。神はエルサレムに御使いを遣わして、これを滅ぼそうとされた。主は御使いが滅ぼしているのをご覧になって、わざわいを下すことを思い直し、滅ぼしている御使いに仰せられた。『もう十分だ。あなたの手を引け。』主の使いは、エブス人オルナンの打ち場のかたわらに立っていた。ダビデは、目を上げたとき、主の使いが、抜き身の剣を手に持ち、それをエルサレムの上に差し伸べて、地と天の間に立っているのを見た。ダビデと長老たちは、荒布で身をおおい、ひれ伏した。ダビデは神に言った。『民を数えよと命じたのは私ではありませんか。罪を犯したのは、はなはだしい悪を行ったのは、この私です。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。わが神、主よ。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。あなたの民は、疫病に渡さないでください。』すると、主の使いはガドに……『ダビデは上って行って、エブス人のオルナンの打ち場に、主のために祭壇を築かなければならない。』……ダビデはオルナンに言った。『私に打ち場の地所を下さい。そこに主のために祭壇を建てたいのです。十分な金額で、それを私に下さい。神罰が民に及ばないようになるためです……こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげて、主に呼ばわった……そこで、ダビデは言った。『これこそ、神である主の宮だ。これこそ、イスラエルの全焼のいけにえの祭壇だ。』
歴代誌第一21:1-22:1

昨年の東日本大震災と津波による福島原発事故以来、同胞愛に心動かされた日本の人たちの、被災された方々や被災地の復興に向けての懸命な支援活動が続いています。心身ともに大きな痛手を受けた人々、町々、環境が一日でも早く、改善され活気を取り戻すことは私たちすべての日本人の祈りです。復興の明るいニュースは私たちに、人々の協力、努力によってこのまますべてが順調に行くかのような安心感を与えますが、しかし、日本の現状がどれほど悲惨であるかは実際には十分に国民に知らされていないようです。政府が、今後起こり得る万が一のために備えて、都心に住む者たちをも含め何千万人もの日本人の緊急避難場所を隣国に打診していることが、海外のマスメディアや日刊新聞の英語版で伝えられています。政府が作成した最悪のシナリオでは、当初から脆弱性が警告されている福島原発四号機の使用済み核燃料の崩壊の可能性だけでなく、敷地内の他の原子炉崩壊による放射能汚染が前代未聞の破局を招く可能性が訴えられており、このことが起これば、日本だけの問題ではなく、世界的な破局に進展することは間違いないのです。幸いにも、余震を含め、福島を直撃する大地震が再度起きていないので、危険な状態でも何とか持ちこたえているのが現状のようですが、政府の科学者たちは、三十年内に首都圏界隈にマグニチュード7級以上の地震が起こる可能性を70%と試算しました。ところが、五月初めの BBC 系海外マスメディアの情報で、今年一月に東大の有名な地震学者のグループがその可能性を四年以内と試算したことで論議がひき起こされていたことが知らされました。この可能性はあくまでも計算値ですから、三十年たっても何も起こらないこともあるわけで、私たちはこのような数値に脅かされることはないのですが、世界中を見渡しても明らかなように何か大変なことが迫っているという危機感をだれも無視することのできない時代に私たちが生きていることは確かです。特に人間にとって不可抗力な領域でのかつてなかったような災いの連続は、天地を支配しておられる創造者なる神以外の何ものからの警告でしょうか。異常気象、地震、津波、竜巻、台風、洪水、干ばつ、水質悪化、海陸空の動物の大量死、昨年秋から目立って北半球で起こり始めている大地、大空のうなり、うめき現象、農作物に大打撃を与えているボール大の雹害等々、数え上げればきりのない自然現象による災いが今世紀を特徴づけています。どの領域においても、私たち人間の努力にもかかわらず、この世はもはや解決策を提供することができないところまで深刻に追い詰められています。しかし、生きて働く真の神を信じる者には、この世の現象に全く左右されない確実な希望があります。その希望は聖書に記され、どのような方が真の神であるかがそこに証しされています。多々ある宗教も希望を語りますがそれを裏づける根拠がないのとは正反対に、聖書に証しされている神は、人間史の中でのご自分のお働きを聖書に歴史的に書きとめられたのでした。その多くは、前もって約束されたことの成就、すなわち、神の言葉、預言が人間史において実現した記録になっており、同時に、まだこれから起こる多くの預言も記されています。過去の預言が百パーセント成就したのであれば、まだ成就していない預言のすべても必ず起こると信頼できるわけです。千六百年にわたって、神の霊感によって書かれた神の言葉、聖書は人知をはるかに超えた永遠の書で、そこには、人間史の最初から最後の時代にまで関わる驚くべきメッセージが語られているのです。

今月は、人間の営みの背後に、神に挑戦する堕天使サタン、―人をだまし、神から引き離す者―が働いていることを明確に語っているくだり、―ダビデ王の人口調査の結果、イスラエルの国中に広がった災いに対し、国の指導者が罪悔い改めて執り成し、万事が益に変えられたこと、神がサタンの策略からイスラエルを守られた出来事―から、神が下される災い、危機に直面したときの唯一の解決策を学ぶことにしましょう。冒頭に引用したくだりでは、サタンが予告、警告なく突然登場します。サタンは新約聖書では最後の書「黙示録」で初めて、竜、蛇、だます者として正体が暴露されますが、キリストの荒野の試みに登場して以降は姿を潜めているためか、サタンという実体はなく、悪を象徴する心象現象にすぎないというような誤った解釈がなされてきたようです。しかし、ヘブル語(旧約)聖書では、神に挑戦し、悪を誘発する「者」として、しかしその働きが神によって制限されており、とうてい神には及ばない者として、ヨブ記、ゼカリヤ書とこの歴代誌の三書に登場しています。預言書には、サタンが背信の御使い、被造物であることを描写した箇所もたくさんあります。

ダビデの人口調査が神の怒りを買い、そのために災いが下されたこの出来事に関して、サムエル記も歴代誌もともに、最初の時点では懲らしめはダビデに対してではなく、背信のイスラエルに対して下されたことを明らかにしています。モーセの掟には、人口調査を行うとき、各自が贖い金を納めなければ、災いが起こりうることが警告されています。このこと一つ取り上げても、神の宮への贖い金とは無縁に人口調査を命じたダビデは掟を無視したといえるのですが、民の頭数を数えることはそれ以上の誘惑をはらんでいたのでした。支配下に徴兵の対象になる者たちがいかに多くいるかを知ることで、国家の力が保証され、安泰だと思いをはせるとき、すでに神ではなく、目に見えるものへの依存が始まっているのであり、サタンの仕掛けた罠に陥ることになるのです。もし人の行く末のすべてが神の御手にあることに信頼しているのであれば、そのような実態をつかむ必要はないはずでした。にもかかわらず、忠告した家来を説き伏せてダビデは自分のしたいことを決行したのです。神を憤らせたのは人口調査自体よりもむしろ、忠告にもかかわらず自我を決行したダビデの動機、罪への迎合でした。しかし人口調査の半ばで罪の呵責に駆られ、自分の愚かさに気づき、罪の赦しを請うダビデを神はご覧になります。そこで、預言者ガドを通して裁きを宣告された神は、憐れみも示され、ダビデに、三者択一で懲らしめを選ぶことを許されました。「私を主の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。人の手には陥りたくありません」と、主ご自身の裁量にすべてを委ねたダビデは「主の剣、疫病が地に及び、国中を荒らすこと」を選びました。ダビデは自分だけに神の裁きが厳しく下ることを選んだつもりでしたが、主の御使いがイスラエルの全土を北から南へと疫病の剣を振り上げて襲い始めるや、またたくまにイスラエルの人たちが七万人も倒れるという大惨事に発展したのでした。このままではイスラエル全土が全滅です。しかし被害の最中、ダビデの心の中に生じた苦しみ、悲痛な叫び―「はなはだしい悪を行ったのは、この私です。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。わが神、主よ。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。あなたの民は、疫病に渡さないでください」―を聞かれた主は、御使いに命じて疫病をとどめられました。それは、北方から南に向かっていた御使いが、ちょうどエルサレムの「オルナンの打ち場」の上空に来たときでした。

それはまた、ダビデと長老たちが神の怒りをなだめるために、当時ギブオンに置かれていた主の祭壇で主にいけにえをささげようとギブオンに急いでいる途上のことで、彼らもちょうどそのオルナンの打ち場にさしかかっていました。ダビデら一行は、抜き身の剣をエルサレムに向けて差し伸べている御使いがまさに上空に立っているのを見上げ、恐怖に駆られます。もはやギブオンに向かって進むことができず、哀悼の意を表し、ただひれ伏していたとき、神は再び預言者ガドを通して、御使いが指し示しているその場に「主のために祭壇を築かなければならない」と命じられたのでした。ダビデは主の御旨がエルサレムに祭壇を築き、もはやギブオンに出かけるのではなく、エルサレムでいけにえをささげることであることを知り、このオルナンの打ち場のある地所を買い、直ちに築いた祭壇に全焼のいけにえをささげました。主は天から火を下していけにえを焼き尽くし、祈りに答え、イスラエル全土に広がろうとしていた疫病は、エルサレムより北方まででくい止められたのでした。

この出来事は、今日日本が直面している深刻な問題の解決に鍵を与えています。人口調査という出来事で神が王ダビデを憤られた罪がイスラエル全体の罪であったように、日本国民すべてが、神の御旨ではなく自我に生きることによって背信の罪を犯しています。全人類の唯一真の神は、日本に前代未聞の地震、津波、被爆という災いを下されたことによって、特に、主の再臨はまだ先のことだと危機感もなく眠ってしまっている霊的指導者「キリストの教会」が悔い改め、霊の目で神の御旨を察知し、まだ真の神を知らない多くの日本の人たちの魂の救いのために執り成すようにと、警告しておられるのです。このまま心底からの執り成し、悔い改めがなければ、日本全土の滅びは間違いありません。しかし、憐れみの神は今、致命的な災いが起こらないように、しばし天地、天候を制御し、日本の人たちが神に立ち返る「とき」を与えてくださっています。主以外に日本を救う方がいないことにまず「教会」が覚醒し、警告に答えなければ、災いは全土に及ぶことになるでしょう。